中島省三のエッセイ

アンティーク

2013/06/09

知人のリサイクルショップには古いものから新しいものまで店内所狭しと品物がつまっている。アンティークな人形そして福助が昼間の店内は時が止まったように静かである。店主の居なくなった深夜の様子は誰もしらないが人形が自慢話をし合っているいるのだと僕はおもっている。アンティークな人形は私はフランスのパリの高級人形店で・・・・・福助は京の大店の呉服屋の・・・・玩具の動く音、ガラスの触れ合う涼しい音が・・・夏の夜の夢、一度訪ねてみようと・・・・・怖いぞ・・・・・

モンシロチョウ

2013/06/07

梅雨に入ったが晴天が続き,ビールが飲みたくなり浜大津から電車で京都に向かう、次の駅、上栄でドアーが開くと乗客に紛れモンシロチョウが車内入った、ドアーが閉まり電車は発車した。ぼんやりと車窓を見ていると先ほどの蝶がひらひらと車内を舞いながら僕の前の窓へ、光にすけて見えるモンシロチョウを美しく感じた。蝶は次の駅も降りなかった。暇な僕はこの蝶は何処まで行くのだろうかと心配しながら見ていた。この電車は山科駅を過ぎると地下に入るので、僕は蝶を捕らえて車内から外へと考えたがひらりと身をかわし、ひらり、ひらりと車内を飛びまわっている。次の作戦は僕の降りる市役所前駅で捕らえて地上へ、とそして京都の空へと、と思ったがモンシロチョウは三条京阪で乗客に紛れ降りてしまい僕の救出作戦は徒労に終わったが、ホーム内を見ていると蝶は浜大津行きの電車を探している様に見えた。僕の乗る電車は動き出し蝶は視界から消えた。ホームを歩きながらモンシロチョウの小さな旅は無事、大津へ帰れるのだろうかと少し心配したがビールを飲む頃にはすっかり忘れていた。

菅山寺のケヤキ

2012/06/05

何故か菅山寺の大ケヤキを見たくなり友人を誘い五月晴れの中、余呉の赤子山へ向かった。林道の終点に車を止め歩くこと十五分程で行ける秘境なんてめったに無い急坂を下り直接お寺には行かず朱雀池へむかった。山野草がまだ咲き残っているのを見るためだ。途中で野鳥を撮るカメラマンに会い撮りたてのアカショウビンの写真をモニターで見せてもらいついでに花の名前を聞くと踊子草の花と教えてもらいデジカメで撮影して菅山寺へと向かう途中にある天満宮も荒れ果て侘しさだけが漂う。菅山寺の本堂も崩壊寸前で数十年前の風情は感じられないが大ケヤキだけは千三百年の時間の重みを辺りに漂わせている何度も訪れているが来るたびに歴史の重みをそしてちっぽけな人間の行いの愚かさを感じずにはおられない。

金環日食

2012/05/21

2012年5月21日 我が国は金環日食に沸いた。 僕は三井寺の観音堂の展望台より七時ころより日食をみた。 幼いころの思い出が蘇った。それはガラスにロウソクの油煙(すす)を付け太陽を見ていた頃の感動が、でも観測グラスにデジカメを操作しながら欠けてゆく太陽を眺めている今の僕には感動はない、光の速さで八分間もかかる遠い処の太陽のこと、感動も遅れてくるのだろうと、そうこうするうち金環になったが、ただシャッターを切り、グラスで覗いただけで僕の観測はおわった。帰り際、石段を降りていると足元の木漏れ日の美しさに驚いた。日食の感動は八分間も送れてやってきた。木漏れ日の美しいシーンの映画、羅生門の名場面がうかんできた。三日月型の小波が地上を静かに揺らしていた。

ユリカモメ

2012/01/31

ユリカモメの事が京都新聞に載っていた。 最近はネグラの琵琶湖へは帰らず加茂川の中洲で夜をすごすユリカモメが多いとそして天敵が居なくなったと記事にあった。湖岸を自転車で毎日走っていても以前より数も少なくなった。数年前なら朝の散歩で三井寺の観音堂の上空を大編隊で京都へ向かうユリカモメの大群の羽音に驚いた事もあったのが懐かしく思い出される。久しぶりに浜大津港でユリカモメが整列していた。ユリカモメの学校がまだ健在していることに安堵した。カモメの飛行術は美しく琵琶湖で見かけるどの鳥よりも速く飛翔のする姿を見ていると僕もグライダーに乗っているような錯覚を覚える。もし鳥に生れるならユリカモメ・・・でも僕はアルバトロスになりたいと思った。

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