中島省三の湖畔通信

8,000,000t?

2022/01/04

8,000,000tこの数字は昨日の朝日新聞別紙グローブ1月3日の11ページの見出しに記された数字だ。今回はゴミ問題を取り上げているので興味を持ち読んだ。八百万トンものプラスチックごみが一年間に流出している事に驚いたが、その数字の下には「究極のごみ」問題が載っていた。言うまでもなく原発から出る放射能を含んだ核のゴミの処理問題は未だ解決していない、青森県六ケ所村の施設も工事着工から29年経っても完成しない事情が詳しく書かれていた。世界は79年のアメリカスリーマイル島原発事故、そして86年チェルノブイリの原発事故後は安全対策を強化したことによって建設費が増加したこともあり原発建設は激減した。我が国では2011年3月11日に福島第一原発事故が起きているのに、まだ原発をローベース電源と考えている、そして福井高浜と美浜の老朽原発を再稼働するという危険極まりない事態だ。其の上に核燃料リサイクル施設建設や最終処分場も決まっていない中で原発の利用を諦めることなく進める此の国の行動は世界の情勢から大きくかけ離れている現状には失望と虚しさを感じるだけだ。今日も湖岸に佇んで季節風の吹いて来る彼方の老朽原発が事故を起こさないかと心配が募るばかりだ。琵琶湖は心配された水位低下も回復した。もし事故が起きれば近畿14万人の命が危うくなることは誰もが分かっていることなのにと、美しい琵琶湖を眺めた。

今日も青空が・・・・

2022/01/03

今日も青空が広がり風も弱く湖岸ポタリング日和となった。水位もマイナス25センチになり11月のマイナス69センチから大きく回復して青空の下で琵琶湖が大きく見えた。琵琶湖の深呼吸(全循環)も間もなく行われるのではと青い琵琶湖をながめて僕は深呼吸した。湖岸は散歩や凧揚げをする家族連れの姿も見られる長閑な正月風景だ。滋賀県ではコロナ感染者の数が少しづつ増えているのが心配だ。第六波に繋がらないことを祈るのみだ。そして大津の商店街は正月でもあり眠った様に静だ。僕の少年時代はお年玉を握りしめた子供たちが玩具屋に詰めかけて賑わっていた頃を思い出してきた。商店街には玩具屋は四軒はあった、模型は平野屋だけで模型好きの少年で溢れていた頃の商店街の正月風景の記憶を持つ人も少なくなってきた。映画館も商店街には大黒座と公楽座があり正月は立ち見席で大入り満員だった事も懐かしい思い出だ。アーケードの下は余りにも静すぎてデジイチのシャッター音が大きく感じた。

青空の琵琶湖

2022/01/02

青空の下で湖岸ポタリングを楽しんだ。浜大津港で見かけるユリカモメの数が少なく感じた。二日前までは群れをなしていたのに何処へ行ったのかと辺りを見ても10羽ほどが人が与えるパン屑に集まって飛んでいた。水位が回復して浜大津湖岸の石垣も三段目からは水面になった。冬場の標準水位のマイナス30センチ以下になったのではと浜大津港の突堤を見た。湖上を見るとオオバンの数が例年より少なく感じるが渡り始めの頃は相当数見かけたが、今は琵琶湖の何処にいるのかと辺りを見渡すも姿は無かった。ユリカモメを探して膳所公園まで自転車を走らせた。膳所公園の入江も水位が回復して葭原も元気を取り戻した。湖上のエリに目をやるとユリカモメが休息していた。入江に掛かる橋の上でデジカメを出すと、パン屑を与える人と間違えたのか数羽が近くまで飛来したが、デジカメは餌でないと確認したのか直ぐに飛び去った。僕は基本的に野生動物には餌を与えない主義だから餌を使って野生動物を撮りたくないと思っているからだ。由美浜湖岸で青空を見上げていると、今年も気候変動で起きるとされている災害が心配になってきた。

新春叙景

2022/01/01

新年を迎えると僕は何時も小林一茶の句「目出度さもちゅう位なりおらが春」を思い出す、僕は改まって新年を迎える儀式は未だに理解していない年が変わった処で何も変わらないのだからとおもっている、正月飾りのしめ縄も止めて久しい、そして毎年、来ていた伊勢神楽も止めてしまった。時間は新年だからと言っても日常が続くだけと思うから正月と言っても楽しくも面白くもないと思ってすごしてきたから改まって新年を迎えることもないとおもっているから、素直におめでとうございますは言いたくないから、挨拶も日常の儘が好きだ。今年も湖畔通信は日常を記録しながら拙い文章で綴ってゆきますが、今年もよろしくおねがいします。 

雪雲に霞む船を・・・

2021/12/31

今日は大晦日、コロナ禍が二年も続き明るい年ではなかったと打出浜から湖上の彼方には、雪雲に霞む観光船ミシガン号が見えた時に、ギリシャ映画シテール島への船出(アンゲロプロス監督)を思い出してきた。少し記憶は薄れているが、霧のシーンの美しい映画は今も印象に残っている、亡命先から帰国した老人が行き場のない社会の中で受け入れられずに、ギリシャを離れ、シテール島を目指す旅へと向かう切なく悲しくもある、人生のファイナルを描いた物語は、那智勝浦に伝わる補陀落渡海と重なってくる、熊野では海の彼方の理想郷・常世の国が在ると信じられていた時代、観音菩薩が降臨する霊場を補陀落といい、そこではすべての者の願いを聞き、救いの手を差し伸べるとされたていた。補陀落渡海は篤い信仰に支えられて18世紀まで続いたと言われている、補陀落渡海の船は乗船すると扉は閉ざされ鍵が掛けられて、30日間の食料を積んで船出するのは、死出の旅だ、シテール島も補陀落も現実にありえないのだ。信仰に支えられた希望だけだったとのではと思った。今を生きる弱い立場の人達が希望を持てる時代はやって来るのだろうかと雪雲に霞む観光船はシテール島か補陀落へ向かう船に見えてしまうのは社会が弱い立場の人達の事を考えずに進んでいるからだと思った。来年はコロナも終息して少しでも明るい兆しが見えることを願いながら湖岸を後にした。

追 拙い写真と文にお付き合いいただきありがとうございました。来年も宜しくお願いします。

TOPページ前ページ次ページ

-Topics Board-Skin by Web Studio Ciel- 管理

× 閉じる