中島省三の湖畔通信

ウスバキトンボ・・・・

2025/08/17

湖岸ではウスバキトンボが多く舞っているが何かに留まったところを見たことがない休憩しなくても大丈夫なのかと思った。南の島から何代も繋いでやってくるが越冬は出来ずに全滅するそうだ、そして次の年も同じ様に南の彼方からやってくるウスバキトンボに何故と聞いてみたくなった。でも地球温暖化が進めば暖かくなった日本の冬がウスバキトンボが越冬できる日が近いのではと・・・一枚目の写真にウスバキトンボが写っているのが分かるかな?二枚目は京阪電車浜大津駅の上部の広場では浜大津こだわり市が行なわれていた。初めて覗いたがお店もそれなりに並んでいた。近江の銘酒も販売されて賑わっていた。駅上の広場から浜大津港を見ると琵琶湖文化館の工事が進んでまもなく一階部分立ち上がってくるようだ。

大文字

2025/08/16

8月16日は京都で行なわれる送り火、大文字は祖母に連れられて京都の従兄弟の家に泊まって見た、そして大文字山へ点火の日にも登った記憶がある、そして仲間で作った熱気球を京都の気球サークルと一緒に幾つかの熱気球を係留して大文字を見たのは40年くらい前のことだ。送り火を見た記憶も遠くへと去った。之からパソコンを閉じてテレビで京都五山の送り火中継でも見ようと思った。

敗戦記念日?終戦記念日?

2025/08/15

戦争が終わって80年が経った。僕の戦争の思い出は当時5歳では記憶も朧気だ。幼馴染の登ちゃんと青空を見上げ遥上空を悠々と編隊飛行で銀翼を光らせながら飛行するB29の数を数えながら日本軍の高射砲の砲弾は届かず虚しく炸裂する様子を見上げていた。そして終戦間近の7月に近くの兵舎を機銃掃射したグラマンが超低空で飛び去った事ぐらいが僕の戦争の記憶だ。身近な戦死者は家族同然の雇い人のマサさんが出兵して南国の戦線で亡くなったことは幼心にも悲しい思い出だった。戦地からの手紙に僕にバナナを食べさせたいと記してあった事を祖母から聞いたのは小学生の時だった。空襲警報のサイレンの音は心の奥で今も聞こえてくるのは本当の平和が訪れていないからだと思う今日の記念日だ。

湖岸叙景

2025/08/14

琵琶湖の水位は少し回復したようだ。何時も見る突堤の円形の水抜き?で分かった。台風シーズンまで渇水の心配は無さそうだ。

湖岸叙景

2025/08/13

雨の日が多かったお陰で少し温度も下がった数日の間、少し元気を取り戻した。でも今日から湿度の高い蒸し暑さが戻り意気消沈だ。カメラを持って湖岸へ出かけるも数枚写真を撮るだけで終わった。

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