中島省三の湖畔通信

SF映画の様な・・・

2020/05/29

夕食後、テレビニュースを見ているとコロナ対策でフェースシールドを着けた新地のホステスの姿はSF映画を想像してしまった。人間の目で確認できないウイルスが世界を制覇した現実を認識した。大きく人間社会の在り様を変化させたウイルスの正体をまだ人間は捉えきっていないとおもった。もう少し冷静になって行動しなければと余りにも不自然すぎる実生活に可笑しさを感じているのは僕だけではないとおもった。湖岸ポタリングでは非常事態宣言時より人も少なく自転車は快適に走れた。この非常事態宣言は何だったのかと思いながら湖岸を走った。午後は、最近面白くなった御近所カメラ散歩に出かけた。昨日、フイルムカメラで撮った被写体をケイタイで撮った。フイルムよりも綺麗で鮮明に写るが充実感が無いのは何故と・・・写真も本もデジタルプリントされる現代はモノが軽く見えてしまう、今読んでいる「幻世」は活字で印刷された本だ。積んでおいた時間も長く、本に蓄積された時間を感じながら読むから重さを感じるのか、写真もフイルムで撮ったモノは何故か違う、重さを感じるのは作業にかかる時間が作用しているのかと、そして軽さが映るスマホを見た。スマホ画面には皇子山陸上競技場前のアポロ像が1980年代の俄文化を背負い少し草臥れた姿が写っていた。野球場入り口前では高校球児像が空しく青空に向かってスイングしていた。コロナの影響で高校野球大会予選も中止され、今も静かな球場の上空を白い雲が流れる様子は、これも日常と空を見上げた。

写真一枚目と二枚目はフイルム写真 三枚目は今日の三井寺

風景写真・・・

2020/05/28

今、「東京漂流」に続いて藤原新也の「幻世」まぼろよ、を読んでいる今回のコロナ騒動が起きなかったら読まずに、そして本の整理で棄てていたかもと、危うく大切な本を失うところだった。本はエッセイ集で読みやすくプレッシャーを感じない本だ。風景に付いて話している42・195キロの旅、は楽しく読めた。マラソン中継でランナーと風景の関係を読んでいると日常の風景のリアリーティーはテレビドラマでは感じられないと思った。僕は琵琶湖の記録映像をライフワークとして続けているが記録映像が必ずリアリティーを持っているとは限らないとおもっている撮った瞬間から過去へ消え去る儚いものだ。フイルムからデジタルになってから記録としても残らないのではと思っているからだ。今日は久ぶりにニコンFM2にカラーネガフイルムを入れ湖岸ポタリングへ向かった。2020年のコロナ騒動の記録写真を撮っておきたいと思ったからだ。浜大津港では休業中の観光船や乗り場の様子を撮っているとフイルムを巻き上げるレバーの異常な感触が指に伝わった。確認すると不具合が、直ぐに気がついてよかったと、体が記憶していることに感謝した。帰りは八月で閉店する西武百貨店を撮った。此の西武が開店した時に僕は父から継いだ家業から離れた時、1976年だと記憶しているから閉店には一抹の寂しさを感じながらショーウインドーの写真を撮った。又一つ大津の風景が消えて行く、町中でも江戸時代から続いた菓子屋も廃業した。日常の風景の変化を写真に記録できたら良いのだがとカメラのフイルムを巻き上げると手には確かな感触を感じた。

写真一枚目は今夕の浜大津港、二枚目はフイルムカメラ、三枚目もフイルムカメラです。

コロナの影響は・・・

2020/05/27

非常事態宣言が解除されて日常に戻りつつある町の状況を撮った。浜大津港では未だ観光船はコロナ休業で眠ったままだ。琵琶湖を見ると波間にオオバンが漂っているが北へ帰らなくてもよいのかと聞いてみたくなった。湖岸で見かける人が非常事態宣言時より少いの何故と・・非常事態宣言が解除されたから好きな場所に行けるから態々湖岸へ来なくても行ける場所が増えたからではとおもった。スーパーやドラッグストアではマスクが山積みされる様になった今、アベマスクが我が家にも届いたが、使うあてもなしと不要なマスクを持て余した。そして商店街では手作りマスクとオシャレなフェースシェードを付けたマネキンが新しいファションだよと売り込んでいた。梅雨の蒸し暑さの中でマスクとシェードを着けて歩く自信は僕にはないと熱中症を心配した。コロナの影響で町の様子がSF映画で見た様に人がマスクやシェードを着けて歩く姿が現実になるとはおもはないがと、オシャレなマネキンを見た。

ナナホシテントウムシ

2020/05/26

昨日はエゴノキが毎年、花を咲かすとは限らないとグウグルで調べた折に分かり、毎年花を咲かす桜より好きになった。今日も三井寺での新しい発見に?散歩に出かけた。展望台から眼下の景色を眺めていると、手元の垣根の人工丸太の年輪?の上に小さなテントウムシを見つけ写真に撮った。直径5ミリくらいのテントウムシは人工丸太を本物とおもっているのだろうか?そんな事を考えながら見ていると、テントウムシの飛行性能が素晴らしく人間の造った飛行機などが飛行できない乱気流の中を墜落せずに飛べると研究者が語っていた事を思い出した。飛行が終わると美しいデザインの翅カバーで大切に保護されて見れない、高速度カメラでしか捉える事が出来ない翅を見たくなり飛び立つ瞬間を期待しながら待つもナナホシテントウムシはテイクオフしてくれなかった。鳥も素晴らしいが、精密機械で空を飛ぶ宝石の様な小さな昆虫の飛行の素晴らしさを体験するには昆虫になるしかないと、小鳥の囀りを聞きながら境内を歩いた。

庭の八つ手は今年は勝手に場所を変えて元気よく手の数を増やし何を求めているのか僕には理解できないと一つ一つ八つ手を見た。

エゴノキの花は・・・

2020/05/25

何時もなら此の時期、白い可憐な花をたわわに付けたエゴノキを見られる筈が今年は花を見かけないと不思議におもっていた。今日の散歩で三井寺の境内に在るエゴノキを良く見ると葉陰に隠れるように花が三、四輪が咲いているのを見つけた。そして写真に撮りながら何故、今年は少いのかと、離れて樹の全体を見るも花を確認する事はできなかった。エゴノキは浄瑠璃や歌舞伎で演じられる伊達騒動にチシャノキと言われ、登場する樹だ。でも僕は歌舞伎も人形浄瑠璃を見たことがなく想像すらできない、一度見てみたいと思いながら時間が経ってしまった。パソコンで花が咲かない事を調べると剪定の仕方が悪かったと・・・でも境内の雑木同然のエゴノキを剪定などと、おもって良く見るとバッサリと太い枝が無造作に切らている樹があったが、そのことが影響したのではと考えるが、もう一箇所のエゴノキは剪定された跡もないからエゴノキ自身が何らかの理由で花を咲かすのを止めたのではと思いながらエゴの花を写真に撮った。今年はコロナ休業で休んでいる茶房ながら亭の池のモリアオガエルにも会えなかった、そして青空に映えるエゴの花も見られないのかと曇り空を見上げた。


我が家の菖蒲は手入れした覚えもないのに今年は多く咲いた。

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