中島省三の湖畔通信

台風は何時来る?

2024/08/31

テレビや新聞が伝える台風10号の情報は僕の暮らしている場所には何の役にも立たないのではと?思うのは間違っているのかも・・・台風情報に翻弄されるのを止めた。台風が弱まった事を考慮に入れて雨戸は出さなかったから労力は0だ。なんと台風はまだ海上で停滞している事を知り雨は降らないと確信して湖岸へ向かった。琵琶湖は波もなく静かな湖面は台風の影響を受けていなかった。北方を見ると明るい空が日本海側は晴れているのではと想像できた。東南方向は台風の影響を受けている鈴鹿山脈があり雨が降っている様にも見えた。琵琶湖の水位は少し回復したようだ。湖岸付近に停滞した藻の除去作業は大変だと思いながら湖岸周辺を写真に撮った。観光船ターミナルには人影もなく台風で運休していた。そして勢力の衰えた台風は何時琵琶湖へ来るのかと東南の空を眺めた。

吹き寄せられた藻

2024/08/30

台風10号が日本の各地で大きな災害をもたらしているが幸い滋賀県では大きな災害は発生していないが心配だ。湖岸ポタリングに出かけると浜大津港の突堤からにおの浜に湖岸にかけて湖面は藻に覆われていた。昨夜は強い風はなかったのでは記憶を辿った。でも台風を取り巻く北風もあると天気予報が伝えていた事を思い出した。此れだけの藻の除去にはスーパーかいつぶり号が出動しても何日も除去作業をしなければ取り切れないと思った。でも水草の生態系は難しいらしい刈りすぎて琵琶湖への環境問題が心配だと以前に研究者から聞いた事を思い出してきた。早く10号が去ることを願うのみだ。

駅跡の桜そしてサライへ

2024/08/29

今日は雨で湖岸ポタリングを諦めて市役所前のカフェサライへ出かけた。向かう途中で石坂線の駅跡を通ると桜の木が伐採されていた。この駅は別所駅として戦時中は陸軍基地や少年飛行兵の訓練所があり賑わった駅だ。戦争の時を見つめた桜の木の記憶は消えたのか?と少し虚しさも感じた。そして皇子山運動公園の入口近くには石碑があり、此処が少年飛行兵の修練場だったことを知らせていた。僕も5歳の頃、今から79年前に隣の軍属に連れられてプライマリーグライダーを練習する少年飛行兵の姿が朧気な記憶として浮かんできた。平和な時代の続くことを願いながらカフェサライへ向かった。カフェは別所駅から北へ200メートルに出来た市役所前駅の近くだ。お店は基本的に開業時と変わらない姿だ。中へ入るとテーブルの上に花が置いてあった。よく見るとメッセージカードに祝開店50周年とあった。マスターに50周年おめでとうございますと伝えた。半世紀の存在感を漂わせる店内でエスブレッソコーヒを飲んだ。開店時と変わらないメニューで続ける事は凄いと思った。

今日の琵琶湖は

2024/08/28

今日の琵琶湖は東南の風が強く吹いていた。多分、台風10号の影響ではと思った。打出浜湖岸から湖面を見ると風が強い割に波立っていないのは藻が異常に多いからだ。風が吹き集めるのか湖面の色が緑色(アオコ?)の様にも見えた。台風の動向が心配だ。

廃墟の零年

2024/08/27

湖畔通信を書こうとパソコンの前に・・・付けているテレビから終わらない戦争の番組が流れていた。今、僕が読んでいる本「廃墟の零年」イアン・ブルマ著の内容にある1945年の時代、戦争が終わったから世界は何もなかったかの様に平和な時代になったのではと単純に考えていた。本を読み進む中で戦勝国、敗戦国、捕虜、抑留、処刑・・・・廃墟とかした戦争の跡地で国が正常になるまでの人間の行為や行動には言葉を失うしかない内容が語られる、戦争は戦っている間も終わっても簡単に平和にならないことを知った。テレビ(NHKのEテレ)では終わらない戦争の中で抑留の話を主題の番組と今、僕が読んでいる本「廃墟の例年」とリンクした。著者イアン・ブルマは1951年生まれだ。其の著者が記した「廃墟の零年」を8月の忌まわしい戦争の記憶の月に読み終えようと思った。

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