比良の秋
2008/11/14
秋晴れの日、友人を誘いびわ湖バレーへ出かけた。ロープウエーイで打見山頂まで五分間で駆け上がる最新の設備だ。今日は友人に割引券をもらい半額の九百円で往復できるラッキーな日になった。久しぶりの超楽チン登山、広い車内には乗客が二十人くらい、ベルが鳴り発車、そして眼下には紅葉の山並みと琵琶湖が広がっている。写真を数枚撮るまもなく山頂駅、周辺は整備中で工事現場のようだ、蓬莱山の斜面を見ると大きな溜池の工事の最中、係りの人に尋ねると、人工雪を作るために必要な水を確保するために必要とのこと、自然を破壊して進む工事は後戻りする事はない。僕も文明の利器を使って登山したりここでスキーも楽しんでいる自分がいる。そしてゲレンデを歩き汁谷へと斜面を友人と降りた。やたら鹿の糞が目立つ、そういえば鹿が増えすぎ山林の被害が増えていると聞く、すこし紅葉が残っている山の秋の美しさに感動している時、僕の脳裏に京都のモミジバフウの木の事が浮かんできた都会の木は管理され美しく紅葉する事も無く枝葉を落とされ人の手によって選定され秋の風情すら感じることなく季節が流れて行くが、山の木々たちは自由にのびのびと秋を演出してくれる、すべてが調和している風景を眺めていると心が落ち着いてくる、でもそんな調和を乱すのも人間、やはり地球を守るため人間は必要ないのは確かなこと、でも生きて行きたいと思うのが、生物の本能か・・・ でも美しい秋の自然の装いを感じているのも人間だけかも・・・・・そんなことを考えなが歩いていると、あっ鹿がと友人の声僕が見たときは茂みに消えていた。鹿が増えれば食すればいいか、びわ湖バレー名物、鹿のステーキかジビエといったところか、人間の多様性なんて食欲ぐらい、自然界の素晴らしい多様性を再認識する紅葉見物はロープウエーイに乗り終わった。
モミジバフウ
2008/11/14
モミジバフウと言っても誰も何の事だか解らないと思う。 それは京都の繁華街、京極の六角広場にある木のことである。その木の存在を知ったのは秋も深まったある日、何時もの茶房大吉での会話を耳にはさんで、気になり大吉さんにフウの木の話を聞いた。その木は枝葉が切り落され街の秋の風情がだいなしになったと、行政または管理者は何を考えているのかと言う話であった。その後大吉さんと足立さんと三人で六角広場へ、夜の街明かりのなかに彼は身包み剥がれ、寒そうに立っていた。足元には小さな彼の表札に区民の誇りの木 モミジバフウと書いてあった。彼は誇りも名誉も感じず、静かにただ寒空を見上げて立っている。彼を横目でやりすごし僕と大吉さんは体を温めに何時ものバーへ向かった・・・・・
湯川さんのハコ
2008/10/20
2008年7月11日湯川成一さんが亡くなられた。湯川さんは限定本を出版され、また個性ある素晴らしい装丁をされる方として有名な人でした。僕とのお付き合いは京都寺町にある茶房、大吉さんでの出会いである。大吉さん(杉本立夫)とひょんなことから知り合いになり大吉さんからいただいた本、泥牛杉本立夫という題名の湯川書房の発行されたものだった。それから数ヶ月したときに大吉さんから紹介されたのが最初だったと思う。お洒落な初老の紳士、しつれい大学の教授かとまあ僕にはソンナフウに見えた。それから京都へ出ると御幸町にある湯川書房を訪ねた、店構えはすこし風変わりで入り口は斜めに切ってあった戸を開けると何時もクラッシック音楽が流れている室内、こんにちわ、と声をかけると本と書類がおかれた棚のかげから、すこし腰を曲げ、いらっしゃい、まあ座ってと出てこられた。僕は難しい本の話はすることはなく、映画の話をするのが常だった。湯川さんの自慢の一つに映画を一年間に400本見たよと優しく笑いながら話されたのが今も僕の心にのこっている。2001年の6月には湯川書房で琵琶湖原風景中島省三写真展を開かしてもらった。親しくなって行くうちに大吉さん等とよくお酒を飲みにでかけるようになったでも湯川さんは始めの頃はあまり飲まれなかったがここ4年ぐらいからはビールを中ジョッキーで3杯は飲まれるようになった。そんな中で僕が家業の紙箱製造の仕事をやめたことや記録映画制作にお金を遣いはたしたことを話していると私もよく似たものやと笑いながら話をしたのもつい最近のように思える。湯川さんに箱をいただいたのは去年(2007)のことだ、大吉さんが焼かれた平杯には僕の少年時代の我侭な思い出が書かれた二つの杯が入っている箱だ。その箱は湯川さんがボール紙を切られ色紙をはられた素朴な箱にぼくは感動した。こんなにも美しい紙箱をみたのは始めてのこと中の箱書きが素晴らしい、湯川さんの美しい墨字で 泥牛杯 銘 省ちゃん と そして湯川さんの好んで使われる 水雀 のハンコがおされている。見事な箱、素朴ではあるが湯川さんのセンスがあふれている。夕日に湯川さんの箱がしずかに語ってくる秋の夕暮れは寂しく感じる。そして一つとして良い箱を作ること無くやめた家業、今も人生と言う箱を作りかねている僕がいる。
カマドウマ
2008/10/17
映画のチラシを見ると以前予告編で気になった時代劇,藤沢周平原作の山桜が掛かっている,時計を見ると充分間に合う,急いで玄関に懐中電灯を用意して(夜に帰ると家の中は真っ暗、手元灯りが・・・)でかける。映画は期待に反して、時代劇のニューシネマと言ったところ、空虚な感じで映画館をでる外の風の心地よいこと、夜の寂れた大津の町並みを自転車で家路に、といっても10分で我が家へ、玄関の戸を開け懐中電灯を点け家の中へ足元を照らすと、小さな生き物がまるでスポットライトをあびて登場するプリマドンナのように・・・・・まさか、カマドウマ・・・コウロギではないのは直ぐに解った,羽がない、コーヒー色,体に縦じま、まるでシマウマのようだ。何故僕がカマドウマに拘っているのかは説明しなくては・・それでは短く,僕の好きな画家中村忠二さんの作品にカマドウマがある、15センチ各の小さな絵,その絵は友人でもある杉本さんの茶房大吉の店内に数年前から季節になると掛けられる。僕はその絵を見ると何故かほっとする、それは画家中村忠二さんのやさしさが伝わってくるからだと思う。もう亡くなられて33年がたつが,僕が忠二さんの絵を目にするのは7年ほど前のこと、書家の新井狼子さんが京都の画廊で企画された時見た、今でも人やものに接する優しさがあふれた、素晴らしい絵と言葉、貧しくとも清く生きた画家の生涯を思うとき、僕に生きる楽しさ、悲しみがそして希望がわいてくる。忠二さんの絵のカマドウマには言葉が・・生甲斐は・・たのしみはと書かれている、優しく生きる事とは・・・・空虚な映画の後に僕はカマドウマに会えてなんだかウレシクなってきた。僕もカマドウマに生甲斐は・・たのしみはと聞いてみた・・・静かな静かな静寂なそして幸福な時が流れた・・・・そして僕はお腹がすいたので遅い夕飯の準備にかかり明るくなった部屋で食事を終えると、どこかで省ちゃん生甲斐は・・たのしみは・・・・・とカマドウマの声が・・・床下を見るともうカマドウマの姿は無かった 秋の夜の幸せな静寂があるのみ
2008・10・17 中島省三
比良、八雲が原の夏
2008/07/09
梅雨の晴れ間の暑い日に,友人に誘われ比良へ登山に出かけた。僕はあまり乗り気でないのを長谷川さんに見透かされていた、また奥ちゃんも同じく感じたらしい、でもバスを降り歩き始めるとそんな気分は消えて登山モードになっていた。とつぜん前方を鹿二頭が横切るでも熊ではないのでゆとりで見過ごし八淵の滝へ向かう。心配していた水量は多くなく,無事,対岸へ渡れた。涼しい瀬音とマイナスイオンを含んだ空気をあびながら,何時もの比良の大杉へ到着,600年の樹齢はあると言われている大木だ。僕は屋久島へは行っていないので縄文杉は写真でみているくらいで実際にみる大杉はこの比良の大杉だけ,堂々と立ちはだかる気高き姿はいつ見ても感動する。いま北海道では地球の環境問題をG8で討議されているがエアコン完備の快適なホテルで地球温暖化を話し合っても、どうせ金まみれの経済大国が都合のいいところで合意とそんなこと解ってます。せめて自然豊かな森の中で先住民族のアイヌの長老にでも自然への接し方でも聞かれたほうが良いと思うのは僕だけではないでしょう。エネルギーを原子力発電へとシフトとかこれも経済優先,アメリカ,フランス、もちろん日本も原発を作ることは即お金もうけにつながる,莫大な資本が動き、それに群がる利権者や国は人類の安全や地球の環境など実はどうでもいい事のように考えているのではないかと感じる。そんなことを考えながら広谷の山小屋へ、もうヒグラシ蝉がカナカナとないている。さあ何時もの定番,山では即席ラーメンが一番美味く感じる,自然の美味しい空気と歩いたことで美味さが倍増。帰りには山紫陽花の群落や谷川のアマゴを見ながら八雲が原え,元スキー場は夏草が茂りさしずめスキーヤーは夢の後と言ったところか、それにしても自然の回復力は凄いリフトやロプウエーイが無くなり訪れる登山客もへりゴミもなく湿原は静かに元に帰りつつある。自然環境なんて人類が消えれば即地球は綺麗になる事まちがいなし、でもねやっぱり人間の文明や現代社会あってのことですね。復活しつつある八雲が原へは歩いて2時間はかかる,自分の足で歩いてたどり着く湿原の美しさは格別だ。現代生活は豊かさと快適さを求めてやまない、石油はピークアウトだと言われてひさしいそこで原子力にシフトと大国のもくろみ,風力発電、太陽光発電、つい先日テレビで太陽光発電が最後のエネルギーと学者がのべていた。僕も原子力へのシフトよりは良いとおもうが・・・・・20年後ソーラーパネルで覆われた地球は以前、青い地球と言われていたが今では太陽の光を受けて黄金色に輝く地球を他の天体に住むエイリアンがその輝く光が我が星に悪影響を与えているので地球を攻撃するとの通告を持ってUFOが飛来したとテレビが放送している・・・・・・・・・・・・・