テレビと映画
2008/06/24
液晶画面の美しいテレビにドラマが映し出されている。眼科の待合室、画面の綺麗さに見とれていると、料亭の床の間に掛かる絵が気になりだした。まてよ高級料亭に露天で売られているような安物の掛け軸が掛けられるはずがない。画面が精密になり、セットの造りらが本物との違いをごまかせなくなり、ドラマの内容より画面が気になりシラケテしまい見るのをやめた。最近の映画もハイビジョンカメラで撮影される作品もある画面は精密で美しいが、自然の描写などは空気の質感を感じるまではいってないように思える。やはり映画はフイルムで撮られたものが僕には向いている。最近見た中国映画、フートンの理髪師は安定した画面と本物の街、北京のフートンで撮影されたことも影響してか久しぶりにゆっくりとした時の流れる映画を堪能した。チン老人の暮らしの豊かさ、と言ってもお金持ちではないが、心ゆたかに自分の時間を刻んでゆく物語と急速に進む北京の近代化、オリンピックを控え古き良きものが失はれて行く様は世界中どこも変わらないことを感じる。でもチン老理髪師の生活をとおして描かれる物語は現代社会のおろかさや矛盾を静かに見せてくれる。資本主義は物質的に豊かにしてくれるが一方、格差社会で貧困にあえぐ多くの人をつくりだしている。美しく光る大都会の夜景、光があたり明るく照らされる場所と照らされない闇とのギヤップは・・・フイルム映像のしっとりとした画面、が空間を優しくつつんでゆきしばし現実を忘れさせてくれた。映画の帰りみち、電気屋でいまはやりのエコ電球型蛍光灯を買った、その夜、少し暗めのほのかな温かみのあるあかりが部屋をつつんだ。明るかった部屋より色んなものが新鮮に見えた。フイルムで撮った映画の中にいるようだ・・・・どかかでカメラが回っている・・・・
マジックアワー
2008/06/09
マジックアワー 公開中の映画の題名だ。 テレビで毎日のように宣伝されまた監督が色んな番組に出演され映画の内容を話されている、べつにつられて見に行った訳ではないが、期待したほどの内容はなかった。映画のシーンの中で、35ミリの撮影カメラを俳優が軽々と手持ちで撮影している場面になると、あまりにもリアリティーのなさにシラケテしまい思わず席を立とうとした。いくらコメディーとはいえ、そのほかの場面でも、俳優がロケ現場と実景を勘違いするなんて考えられないことです。そんな無理な設定をしながら映画は進んで行き、2時間の映画は終わる。なぜ見に行ったかといえば題名マジックアワーにある、監督さんがテレビで説明をされていた太陽が日没後ほんの短い時間、美しい光線となり美しい風景を見せる、それがマジックアワーだと得意げにはなされていた。僕なりに美しい光に満ち溢れた映像があると一方的に解釈して出かけただけかも、見終わって外へ、そして夕景の美しい湖岸を歩いた。雨上がりの湿気をふくんだ優しい空気を通ってきた光がマジックアワーを演出してくれる中、もう僕は映画の事等をすっかり忘れ去り美しい光景の中え入って行った。そして頭の中でマジックアワーの制作を始めた。ヨウーイ キヤメラ スタート35ミリフイルムがカメラのなかを、いや頭の中を流れて行く・・・カーット
原発のCM
2008/05/19
テレビからながれてくる不思議な電気会社のコマーシャル。 C O 2を出さない原子力発電は環境にやさしいとそして放射能を含む燃え殻を地中深く埋め安全に処理と訴えている。誰しも放射能の恐ろしさは知っている。何百万年年と残留する放射能の危険性は地中へ埋蔵そして未来の他者への配慮などお構いなし万物の霊長と言われて久しい人類も理性を失い迷走をしてしまったのかC O 2の環境問題なら人間の叡智でもって解決できるかもしれませんが、日夜、テレビ、新聞、メデイアからたれながされる情報を狂気の頭脳でどこまで解析できるのか僕には自信がない。自分を現代情報社会より隔離して生きてゆく勇気もない。せめて知恵を使って生きた時代の太陰太陽暦、所謂、旧暦で昔の緩やかな暮らしへ想いをはせるのが精一杯、はなやかな陽のくらしを捨て月のくらしへ明日5月20日は旧暦4月16日、十六夜の月、せめて真実の満月を杯の酒に浮かべて飲み干す事ぐらいは出来るかも・・これなら出来ます。約束します。
春の琵琶湖(豊かな湖ー2)
2008/03/30
春の晴れた日,友人の清水さんと琵琶湖の撮影に出かけた。僕は何時も自転車なので遠くへは行けない,久しぶりに清水さんの車で長浜方面へ向かった。近江大橋の東岸ではビオトープの工事が始まっている新聞では自然環境に配慮して在来魚に適した湖岸に葭原を復元するそうだ。電気ポンプを使い水を循環させ水位をコントロールするそうだ、その側では大型ショッピングセンターの建設がはじまっている。ビオトープなんて人間の自然ゴッコみたいなもの,所詮近代科学のシステムとやらで自然が回復できると信じている人たちのお遊びではないかと、しかも費用は大型ショッピングセンターの負担ときている。僕は自然の複雑なシステムが人工的に復元できるとはおもいません。草津から守山にかけての湖週道路から見える風景は人工的なものばかり、ときおり自然に流れ着いて自生して大きくなった柳が元気に新芽をふいているのが少し心をなごませてくれる。琵琶湖大橋の湖岸にも大リゾートショッピングセンターの工事が進んでいる。どの工事をみても何十年も持つ様には見えない。野洲川から近江八幡の湖岸から見る風景は何時も琵琶湖の雄大さを感じる処だ。彦根、長浜、そして近江町の湖岸に湖上には漁船の姿もなく,また人影も見えず静寂な時間の中で暫しすごし湖岸を後にした。数日後、浜大津から粟津への湖岸を自転車で走る。なんと,釣り人の多いこと、狙う魚はブラックバスだ、僕の子供のころと言えばボテジャコかモロコだった。セレブな人はバスボートで湖上より大物を狙い、多い日は20隻くらいのボートが打ち出が浜でバスつりを楽しんでいる。でも大物を釣り上げるのを僕は見たことないが最近湖岸では中学生や高校生が大物のブラックバスを釣り上げているのをしばし眼にすることがある。先日も60センチ以上はある見事なブラックバスを釣り上げていた時の、少年の目は輝き、幸福と充実な時を感じているのがこちらにも伝わってきた。大きな魚の眼を見ていると、外来魚,湖のギャングと言われている魚ではあるが強い生命の力強さを感じ僕にも少年と同じような幸せな時を共有できた。その後少年はブラックバスを湖へ返した。滋賀県ではリリース禁止と訴えているが僕には少年に注意する考えなど浮かびもしなかった。まさしく琵琶湖は豊かな湖である。少年は大きな魚を釣り上げた時の思い出を持ちつづけ大人に成長してゆくだろう。外来魚が琵琶湖での生息で別に悪質な有害物質を排出しているわけではないのに,人間社会の市場経済の優先的条件から悪者扱いしているだけではないか、もしブラックバスが何万円もする高級魚だったら漁業関係者ら行政の発言も変わっているかも? 市場経済の悪化や食糧不足で外来魚が将来脚光をあびる日がくるかも・・・・・・2100年の新聞には琵琶湖の漁業が活況そして滋賀の経済の発展と・・・そんなことないか・・・・ あるか・・・・・・
比良スキー場その後 2
2008/03/18
2006年に訪れて早2年が過ぎた。どのように自然が回復しているかが楽しみに金糞峠を何時ものメンバー奥ちゃん、テレマークの達人、長谷川さんと僕と3人で目指したのは2008年3月16日。登山口のイン谷より、スキーをリュックに付け、歩き出す、順調に大山口をすぎ青ガレの急坂を喘ぎながら登る、僕はアイゼンを付け、金糞峠の最後の登り少しバテ気味、でも歩みを止めなければいつか峠に着くと自分に言い聞かせながら背中の重荷に耐えながら一歩、一歩進める、人生、気楽にきたからせめて登山くらいは苦労しないと、とそんな事を考えているうちにやっと峠に,眼下にひろがる雄大な琵琶湖を配した眺めはすばらしい、でも以前より木が茂り視界を遮るのは少し残念だ。40年前はガレ場で岩がゴツゴツと男性的な風景だったように思うのだが,時の流れを感じながら八雲が原へ、テレマークスキーを履き目指す。真っ白な雪が1メートル以上ある林間を快適に進む、やはりスキーは雪に足が沈まない冬山にはかかせない道具と感心しながら谷川のせせらぎの音を聞きながらそして八雲が原,元比良スキー場、きれいにリフトや建物が取り払われ、すっかり美しい風景が蘇っている。2年前来た時はリフトや建物は残っていたのだが今では見違えるほど綺麗にかたずいている。企業が責任を持って元の姿にもどしている。一度自然を破壊して元の返すと言うことの大変さを感じる風景だ、まだスキーのコースには木が生えておらず滑るには快適だが,不自然さは残るが10年もたてば自然に木々が生え森が再生されれば良いのだがそんな事を思いながらシールを着けコースを登り,3人でテレマークスキーのシュプールをゲレンデに刻んだ。美しい雪原の八雲が原をスキーを滑らせ帰路につく,谷川の水に目をやると,以前より透明感のある流れに、スキー場の施設が無くなり,やっと自然の谷川に戻りつつあることを確認、なんだか嬉しさがこみあげてくる。比良登山も大変な苦労を覚悟しないとできなくなった。大勢の人々が押しかける観光的登山が出来なくなったことは比良のお山にとっては幸いなことである。金糞峠を下りイン谷口へ無事本日の登山終了。家に帰り体重を量ると3キロ減であった。でもその後奥ちゃんと酒宴。翌朝,体重は元の・・・・・