中島省三のエッセイ

限りなく透明な・・・・

2008/02/26

限りなく透明な・・・・久ぶりにショットバーに立ち寄った。シングルモルトをストレートで飲んだ,琥珀色の液体がのどを刺激しながら胃へと落ちてゆき,頭の回転が油をさしたように、なめらかに感性を目覚めさせてくれた。黒いカウンターに目をやると,すごく透明感のあるグラスに目がいった。幾つかおいてあるグラスのなかで、輝いて美しく見える水の入ったグラスに見入っていると、ふっと自分が透明感のある空気の中を飛んでいるような錯覚に入り込んで行った。一年に二度か三度くらいしかない,水気を含まない空気,異常なまでの透明感のなかを飛行機は飛んでいるのだが、なぜか自分は不安感でいまにもパニックに陥りそうで、はやく飛行機を着陸させたい気持ちでいっぱいなのだが,透明感の空気の中を進めないでいる怖さで体の筋肉がブロックして、まるで金縛りにあったような状態が、いつまで続くのかと、そんな想いに耽っていると、なにかつくりましょうか とバーテンダーの声が,手元の透明感のあるグラスの水がゆれている。世の中何もかもが透明感でとは行かないでしょう。最近のイージス艦と漁船の事故で情報を出さない自衛隊、はたまた年金問題,医療事故らの官庁の透明感のないどろどろ関係、すべて透明にはゆきそうもない。透明の怖さを知っている役人や官僚はしたたかである。また空気や水に限らず透明に限りなく近づくと言うことは,神秘的な怖さを伴ってくるのでは、すこしは傷ある人生何もかも透明にはしたくないと思っている、また世の中,見えないところや見えるところがうまくメビウスの輪のように繋がっているのでしょうか?社会の中ではせめて政治と行政等の公的機関の透明性はほしいものです。そう究極は透明人間ですか,世界中の人間が持ち物も含め
透明になったら、さぞかし地球は美しくなるでしょう。バーのカウンターに目をやると、グラスもそれから自分の手もみえない、もしかシングルモルトは透明人間になる液体だったのか、いそいでトイレの鏡へ  自分の存在を確かめに急いだ・・・・・・・・・

ヒューマンエラー

2008/01/29

自分のミスでパソコンが壊れた,うっかりミスである。早速 友人の茂呂君に電話で何時ものようにアドバイスを受け,何とかインターネットにだけは繋がるように復旧した。さすが我が師匠と感謝した。電話の終わりにまたヒューマンエラーのことでエッセイ書けるなと言われ,その気になってネットでヒューマンエラーを見れば山ほど掲載されている以下にうっかりミスが多い事を改めて感じた。最近の福知山線の事故、そして航空機の事故ら数え上げればきりがない。自分が事故で怪我をした事もほとんどがヒューマンエラーで,注意していればとすべて後の後悔である。飛行機を操縦する時、まずはじめにチエックリストで項目を一つ一つチエックしてゆく、そんなに慎重にやっていても人間はなれによる錯覚で事故に繋がるでも事故は一つのミスではおきない,自分の経験では大抵三つのミスが重なった時に怪我をしたり事故に遭ってきた。原発でおきる事故もヒューマンエラーだ。一人のうっかりミスで大事故なんて大迷惑では済ませない。この国には監理と管理の能力を持ち合わせた指導者や政治家はいないのかと思う。政治家もヒューマンエラーで選ばれし人たちかも又官僚も,最近の医療保障,国民年金、ガソリンの暫定法らへの対処をみていると選挙で個人がうっかりミスで内容も理念のない人に投票するのもヒューマンエラーかと考えてしまう。この国はヒューマンエラーがギネスに載るとすれば上位に入ること間違いなし、でも心配だ,原発事故は人類の存亡にかかわることだから,航空機や鉄道も大量輸送の時代,うっかりミスでは済まされないと考えながらタイムマシーンのうっかりミスならと、もし時代設定を間違えたらとクダラナイ事を考えながら寝床に,夢の中,タイムマシーンは火山活動の激しい地球の創世記にあまりの暑さに目を覚まし、タイムマシーンの時代設定ミスかと思いきや単なる自分の電気毛布の温度設定が高温に、これもヒューマンエラーかと低温に切り替え眠りについた。

窓の開かない汽車なんて・・・

2008/01/23

もう何十年も前にこんなフォクソングがラジオから流れていたのをおもいだした。窓の開かない汽車なんて サヨウナラが聞こえない・・・現在走っている交通機関の電車、バス いや自家用車までもが窓を開ける必要を感じていないのではないか、一昔前までは夏には電車の窓を開け風を入れ暑さをしのいだ。バスの窓も自由に開けられた。小型自動車らには三角窓があり、風を取り入れ夏の暑さをしのいだものだ。今では冷暖房完備で窓を開けている乗り物はない。もちろん車に限らず、住宅も同じ、大量に使われる電力、化石燃料、そして放出される炭酸ガス。地球の温暖化が叫ばれて久しいが、現状今日を見てもこれでは無理無理と思ってしまう。交通機関も多様性をもって、窓の開けられるバスや電車も走らせ、たとえば冷暖房のついていない乗り物は運賃が半額とか、乗ればエコマイレージが加算されるとか、いろんな方法は考えられるのだが、僕は個人的には風を体に感じる乗り物、自転車、バイク、ハンググライダー、特に大空を飛ぶときは風を受け空中を鳥のように舞っているときは最高のきぶんだ。電車やバスで移動するときも、地下鉄のように街や山や川が見えない乗り物より、車窓風景が楽しめる地上を走る乗りものがいい、でも地上よりも空を行くことのほうが、ゆっくりと時間が流れてゆく、対象物が離れていることでスピード感がない。飛行機を操縦しているときもゆっくりと変化してゆく景色は250キロのスピードを感じない。宇宙旅行のロケットはなおさら広い宇宙では速度をかんじないだろう。光より早く進めば時間がなくなると言われているが、でもそこまでの移動は僕に必要ないが、飛行船なら飛行機よりも下界の景色を眺めながらの旅が、でも窓の開く汽車に乗り車窓風景を眺めながらの旅も良いだろうそんなことを考えながらテレビを見ているとウナギの旅の話をしていた、何千キロと旅をして日本に帰ってくると、渡り鳥もまた旅の達人、やはり究極の旅は自分の足で、地球の上を歩くことかとおもいつつ、テレビのチャンネルを変えると今度は紙飛行機のお話、いつのまにか僕の手に紙飛行機、そして紙飛行機を暗闇の部屋に飛ばした今夜は夜間飛行、満点の星の下、紙飛行機に乗った僕は星の王子さまに会えるかも・・・・・・・・飛行老年の夢・・・・・

LRTに乗って京都へ

2008/01/23

LRTと言っても別に新しいものができた,ワケではない。1997年に京都の地下鉄が出来、京阪電車京津線が山科から先が地下鉄に、そして車両が4両編成の青いスマートなLRTとなった。つい最近京都市地下鉄東西線が太秦天神川まで延伸された。その電車に乗り友人の住む、太秦へ向かった、山科を過ぎると電車は地下に御陵駅、次は蹴上、と走る電車の窓には暗い地下トンネルの単調な光景が流れてゆくなか、ぼんやりと僕の頭の中は、地上を走る電車の思い出へと変化していった。九条山の急勾配を上った電車は蹴上へと下ってゆく、5月の眩しい日を受け、蹴上浄水場のツツジの大群落が車窓風景を楽しませてくれたことや、渋滞の三条通りを、東山では京都市電との交差、道沿いの商店、車窓から見る風景の楽しさ、窓からは風が季節を知らしてくれる。思い出に耽っているうちに終点の太秦天神川駅に浜大津から35分で、ずいぶん便利にはなったが失ったものも多いと思った。地上に出ると、前には路面電車(嵐電)が走っている。新しい駅は工事中でもちょっと先に目をやると次の嵐電の駅、蚕ノ社が目と鼻の先、なぜここに天神川の駅を、行政の無駄に腹を立てつつ、電車に乗らず大映通りの友人達の待つスタジオへ、15分も歩けば電車二駅、現代人は歩かない、わざわざジムに通い、器具を使い、よどんだ空気、変化しない景色を見ながらルームランナーの上を歩いて健康を維持。便利になると言うことはお金を使うこと、そんなことを考えているうちにスタジオへ、友人達と便利さを非難しながらコンビニで買ったものを食し、テーブルはプラ容器や紙コップの山、便利さの疑問も感じる間もなく時間は過ぎた。帰りの電車の窓に映る自分の顔を見て、なぜか寺田寅彦の随筆の一節、人の顔について書いてあったことを、銭湯に入っているときの顔と電車に乗っているときの顔の違い、を書いていた。電車で見る顔に楽しさはないと、今はケイタイの画面とにらめっこ、だから車窓風景も季節の風も必要ないのかと、冷暖房完備の電車の窓は開かない、少し酔った自分の顔が地下鉄の暗い車窓に映っていた。

大津中町商店街と大型ショッピングセンター

2008/01/06

年末の人影も疎らな大津の商店街を通った。僕の少年時代の思い出がよみがえって来る。大勢の人が正月準備のため繰り出して身動きがとれないほど賑わっていた、この街の現在では考えようもない歳末売り出しの活況、滋賀県で一番の繁華街だった。我が家も同じく、正月用品や衣類を買いに、母や妹と31日の夜、賑わっている商店街で買い物をしたことを思い起こしている。時の流れのなか20年くらい前までは、まだカメラ屋、高級ブッティク、レストラン、宝飾店、食料品店が建ち並び商店街として機能していた。スーパーもあったが、結構 買い物客も多かった。それが近年シャッターが下り、電車通りより東側では所謂シャッター通りになってしまった。西大津には大型ショッピングセンターができ、まさしくドオーナツ化現象である。でも僕は顔の見える小さな商店で毎日 買い物をしている。冷蔵庫はその日に使用するものだけが入っているだけ、たまにスーパーで必需品を買うぐらいでまにあっている。近頃ニュースではそんな商店街が消え、高齢者や弱者の日常の買い物ができなくなるとつたえたいた。テレビでは地球の温暖化が実しやかに,明るく大容量のライトで照明されたスタジオから流されてくる言葉には真実味がない。大津市と近隣に超大型のショッピングセンターの建設が進んでいる。電力を大量に消費する冷凍設備や商品を照らす過剰なまでの照明,夏涼しく,冬は暖かくまたショッピングセンターに乗り付ける車の数々はたまた期限切れで捨てられる食品らの無駄、どれをとっても地球の温暖化には悪影響することばかり,レジ袋のことなどチャンチャラおかしい、おまけに地球にやさしいとは開いた口がフサガラナイと言いながらもエコバッグを持って行くがもっと素直に人間が住める地球であるためにと言えば僕も納得するのにと思う。僕は大型店がにがて,大量の商品に圧倒され何時も何も買わず。近くの電気やさんで買い物をする。豊かさを求めてやまない現代社会はやがて温室ガス効果で世界中が熱帯に,20万年後の日本列島は熱帯のジャングルとなり,木の上でオランウータンが悠々と地球が取り戻した自然のおかげで暮らしている,人類の文明はすでに滅び,生き延びた人間がオランウータンや猿の落とす果実を狙って木下で待っている。僕は猿に追われ必死で逃げている。その猿を見ると比叡山に住み2008年に追放された猿ではないか、・・・・そんな初夢みれたらと思いながらキイーを打っている。いま袋小路の現代社会 アフリカで起こっている紛争,食料問題はたまた豊かさと富を求めてやまない資本主義大国,化石燃料産出国らの横暴らが果てしなく続く地球上の出来事。でもこんな現実の中でもほのかな希望をもち続けようと僕は何時も思っている。でも僕は思う20万年後の地球は緑が森を蓋い熱帯の地球で人類がまた新たな一歩を紀元200001年宇宙の旅の始まりの幕がひらく カメラ よーい カチンコ そしてカメラが回り始める・・・・・


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