中島省三のエッセイ

オランダの光・・・琵琶湖の・・・

2007/12/09

初冬の琵琶湖の風景を眺めていると 以前みた映画 オランダの光(2003年 オランダ映画 監督 ピータ・リム・デ・クローン)が浮かんできた 水のある美しい映像と17世紀のオランダ絵画の光について現代を代表する芸術家が語り 映画は湖畔の定点撮影で時間の変化のなか 光とともに美しい風景が映し出されてゆく うんちくのある話を聞きながら映画は進んで行く 僕の好きなジエームズ・タレルも飛行機に乗りながら 光を自由に演出することの楽しさを語っている タレルは少年の頃より飛行機を操り空から地上に注ぐ光を見て育ったことが 今の宇宙的な作品へと進んだのかも オランダの光(映画)のことを 加藤周一氏が朝日新聞 夕陽妄語で オランダの光を この湿り気をおびた透明な空気 として17世紀に活躍した フェルメールやゴッホそしてターナー等の絵を語り また 京都の光は湿り気をおびているが・・・僕には興味ある内容でたのしく読めた そんなことを思い浮かべながら自転車で走っている 湖面に反射する光が近隣を美しく変化させて行く眺めは他の日本の地方とは違う趣のある風景ではないのだろうか きっと琵琶湖に反射した光は美しく周辺の景観を演出してくれているのかも 古来より多く詩に詠まれ 語り継がれてきた美しい風景はいまも 湿り気をおびた透明な空気は流れている 湖面や流れる雲をみて 琵琶湖の光を感じている いつか僕もフイルムで映画を撮りたいと  もちろん題名は琵琶湖の・・・・


  

音へのノスタルジー

2007/12/05

いつもの 朝の散歩 三井寺の境内は紅葉の落ち葉が赤い絨毯を曳いたよう 朝の陽射しを受け輝いている その上を歩くと カサ カサ と落ち葉の音が耳にはいってきた そして鳥達のさえずりが ピーピーと雑木林の中から聞こえてくるたぶんシジュウカラだろう そんなことを考えながら石段を駆け上がり 展望台から大津の市街を眺める 高層のマンションが建ち並び 屏風を立てたように湖への景観を遮っている マンションの密閉された 部屋で外界の季節の音が聞こえないのでは 我が家は築70年以上の木造和風 生まれて67年住んでいるその暮らしも様変わり 台所のたたきは消え おくどさんも無い 祖母が割り樹(薪)を かまど にくべ お米をたく音 蒸気機関車のように 湯気をだす釜 わりき の燃える音 時々 パンとはじけ火の粉が 庭では父が斧で薪を割る音 夜は天井裏を走るネズミの足音 夏には蛇のはう音も 生活の音 自然の音が豊かな子供の頃 祖母はコオロギが鳴くとボッコつづれとないていると 言って冬支度をしていた事などが懐かしく僕の脳裏に浮かんでくる いまテレビでは デジタル放送 ハイビジョン等のコマーシャルがながれている 眼から入ってくる 情報は物欲ばかりをかりたてる 音を重視されないドラマや番組 ケイタイも画面を目で追い 音は無視 映画は音を重視したものが多い 黒沢 明の映画では激しい雨や風の音 フランス映画では食器やフォークの音 水の音と言えば僕の大好きな ロシアのアンドレイ タルコフスキー の作品 ノスタルジアでの水の音は いまも 心のなかに残っている タルコフスキーは雑誌のインタービューで 地球上で一番美しいものは水であると言ってのけた 作品は映像も素晴らしく タルコフスキーを映像の詩人と呼ぶ人も多い 眼も大事だが 心に響いて 感動するのは耳から入ってくる 音や言葉ではないかと思う 見ることも大切だが  これからは耳を澄ませいろんなことを聴き 心豊かに暮らしたいと願う そう言えば 三井寺には素晴らしい 水音のする井戸がある あかいや とよばれている いまも岩に囲まれたわき水はボコボコと間をあけながら 水を噴きだしている  その音は少年時代聞いた神秘的な音では無いようなきがするのだが  昔と変わらないものは我が家の天井裏を走るネズミの足音だけかとそんなことを考えていると  もう僕の足は舗装された道を歩いていた


  

トイカメラの思いで

2007/12/03

最近  従兄弟にトイカメラをもらった BELL 14は小さなカメラで 説明書付で少し しみの付いた紙箱に入っていた 銀紙に包まれたフイルムは期限切れだ カメラを見ていると 僕が小学校 2年生の頃 親類のおじさんにいただいた事を思い出した  HARBAR と言う暗室不用カメラで 後ろの磨りガラス に逆に写る風景や人物を見て ピントを合わし そしてシートフイルムを入れ曳きぶたを上げ シャッターを押し イーチ と言って1秒の露光を そして赤いお皿の現像液に  しばらくすると 撮した人物が 液の中のフイルムにボンヤリと像が浮かんでくる いまその時の写真は一枚も無い カメラのレンズ周りに 英語でMADE IN NIPPON そして NO NEED DARK ROOMと書かれている いま説明書とカメラを眺めながら 60年の時間をかんじている 話をしていると高級カメラのように感じるが おもちゃそのものだ 自分が考え失敗をかさね やっとそのカメラが扱える 勉強は大嫌いであったが 機械いじり大好き少年だった そして6年生のとき父に買ってもらったのが リッチレイと言う ボルタ版のフイルムを使う トイカメラ これで撮した写真は残っている 妹と父 そして祖母 が写っている小さな白黒の名刺位の大きさの写真だ  現代でもトイカメラは活躍している(暗室不用のカメラは無いが)中国製やロシア製で代表的なものではホルガと言ってプラスチックのボディーとレンズの簡単な機構のカメラ
6X6のブローニ版のフイルムを使用 ピントもあまく トンネル効果といって 写真の周辺が暗くトンネルの中から風景を見ているように写ることがデジタル写真にはない柔らかさなどが若者にうけているようだ  やはり人は決まり切った事よりも予測できないものの方に魅力を感じるのかも デジタル化ですべてものごとが解決できると考えているのか現代は プラスかマイナス 金持ち か 貧乏 単純に二極化 そしてグローバル化される社会 人間そんな単純ものとはおもえません おもちゃカメラだって頭をつかい 自由な発想で作品ができる子供の頃から遊びでも思考能力を鍛えた そんな時代は とっくに去ったのか いま人類は大きな曲がり角にきたと言われて久しい ボタンを気楽におしながらのデジタル生活 そして思考を放棄そんな時代を朝日新聞 2006/12/16 夕刊 21世紀論のなかで 米国の社会学者 ウォーラーステイン教授の言葉 500年続いた近代文明の仕組みは おおきな崩壊に向かっている これから人々は長く困難な時代を迎えようとしているのです と記事のなかにあった おもちゃカメラを眺めつつ手にしているのはデジカメ(コンパクト)で写真を楽しんでいる お気楽な自分も思考を放棄しているのかと苦笑いしながら 来るべき困難な時代に僕は思考を復活できるのか と 手元のカメラに目をやった そして記事は現代文明はアポリア(袋小路、難問)に入ったと結んでいた







風に・・・鳥に そして空

2007/11/30

僕は 時々 空が恋しくなる もう飛ぶことを止めて7年 思えば少年時代のライトプレーン(紙と竹・木)が飛行機へのあこがれの最初  その模型飛行機の ゴムをいっぱい巻き 大空へ 向かって 投げる 音も無く 飛行機は滑るように手元を離れて 鳥のように 舞い上がって行く 空を飛ぶ事にあこがれるのは誰にでもある 少年時代の夢だ 幸いにも 僕は26才の時飛行機を操縦する機会を手にすることができた 大津の小さな飛行場には 白い羽布張りの小型機 パイパースパーカブPA18(アメリカ製 135馬力)が僕の来るのを待っていたようである  それから  毎日が飛行機三昧 名教官の教えを受け 学科試験も一発でパス 実技試験も一回で受かり 自家用小型単発のライセンスをもらったのは27才の時であった  大空を鳥のように 超低空 宙返り キリモミ 鳥になった錯覚 有頂天になっているとき  航空医学の先生に 人は鳥には なれないよ と言われた 空間識失調といって 暗闇 霧のなかでは 上下 左右が認識できない事等 を聴いた その後 グライダー ウルトラライトプレーン パラグライダーで鳥の真似をしてきた やっとこのごろ 人は心や頭のなかでしか鳥になれないのかと感じるようになった でも エンジン付の飛行機は大空を自由に鳥のように飛べ 人を鳥に近づけてくれる唯一の手段 そして 風になるには 熱気球に乗るしかない 仲間と熱気球を作った思いでも 30年近い時がながれた 飛行船と気球の違いは 目的地に簡単に行けるのは飛行船だエンジンがついているので世界中を旅する事もできる 気球は風に乗るしかない 上下のコントロールはバーナーを焚き操作できるが 進行方向へは 風に頼るしかない 早朝の気流が安定しているとき すこしの空気の対流によりおこる風をつかみ 自分の思う方向へと それがなかなか思うようにはいってくれない 熱気球を操縦していると 思うようにならない人生とオバーラップしてくる そんなところが気球の魅力かも 空中に浮かび  風のなかに入って流されて行く快感 まさしく風になるときである  進んでいるのに 頬にあたる風はない だから風そのものの中にいる自分感じるときである ぽっかりと空中に浮かび 風とともに移動する 視界は360度 絶景そのものだ石川五右衛門の南禅寺の門など比ではない 冬空を見上げると 雲が流れている白い鳥ユリカモメが編隊を組んで飛んで行く 眺めているだけで 鳥になれ 風になれる 幸せをいま感じている 67才の飛行少年 いや飛行老年か  気球には夢がある 80日間世界一周 そんな映画がありました 



三丁目の夕日・・・・・・

2007/11/26

最近 レトロな映画がヒットしている 僕の育った時代 タイムスリップと言うより 思い出を黄泉が得させてくれる 三丁目の夕日 黄色い涙 オリオン座への招待状 等 でもCGの画面 安っぽいセット とくにオリオン座の方では 8ミリカメラでの撮影シーンではW8の8ミリカメラはあんなに長く撮影できません ましてゼンマイを巻くシーンもなく いくら作り物の映画とはいえ その時代に生きたものは そこで緊張感がとぎれてしまいます やはりレトロ映画といっても 実写には勝てません つい最近 小津安次郎の お早よう を見た やはりその時代に撮影された映画しかも 名匠とあってはしかたないことかも テレビが我が家にきたのも1956年頃 いろんなことが お早よう を見ているうち
 思いでがよみがえってきた 子供の頃 電話室が
我が家にあった 磨りガラスに電話室と曇りガラスに透明にその部分が文字で書かれていた 2畳くらいの部屋だった 密閉された部屋には机と電話機はロボットのような顔をしていた その顔は 眼のようにベルが二つ並んでいる そして口は小さなメガホンを反対につけした感じ そしてサイドには クランクと受信のための装置がついていた その受話器を取りクランクを2回から3回し 交換手をよび 相手の番号をそしてこちらの番号を伝え 一度受話器を電話機にもどす しばらくして ベルがジリジリとなり交換手よりつながりましたとの声 今のケイタイの時代では考えられないような電話でしかも近所には電話の無い家が多くよく電話 かかってきましたと 隣の家によびに行ったものです 電話料金は通話料はいくらかかりましたと交換手が伝えてくれました その後 黒いダイヤル電話 そして プシュホン 時代は個人が一台ずつケイタイを持つ時代 隣近所のつながりもプライベートとか 個人主義になり 我関せずと ケイタイの画面とにらめっこ 近所の頑固親父にどなられたり おばさんにおやつをもらったこと チャンバラで手をケガした そんなことは遠い時間のなかの事  幸いなことに僕にはケイタイはない もう一度 ロボットの顔した電話器に会いたいと思った




TOPページ前ページ次ページ

-Topics Board-Skin by Web Studio Ciel- Admin

× 閉じる