中島省三のエッセイ

最近の邦画の秀作 二本

2007/11/24

最近 素晴らしい 邦画 二本を見た 天然コケッコー と 赤い文化住宅の初子 で どちらも中学生が物語の主人公だ 天然コケッコーは山下監督 原作くらもちふさこ の作品 島根の浜田の過疎地の学校 しかも小学生と中学が一緒で生徒は6人 のどかな風景 ゆったりとした時間が流れる映像は 現在日本にもこのような所があるのかと思うほどの画面は小津映画の構図を感じさせる 中学生そよ(夏帆)の天然と言うか純粋な少女と東京の風を持ち込む 生意気な大沢(岡田将生)のいなかの分校の生活 それをとりまく人々が織りなす映画は ギスギスとした現代社会をゆたかな ゆったりとした時間の中へと旅をさせてくれる そよ と 大沢 二人の土手での会話 ほのかな思春期のデートの画面は 映画史上に残る シーン だとおもう  赤い文化住宅の初子 タナダユキ監督 原作松田洋子 広島県 福山 での物語 これも中学生の恋愛 初子(東 亜優)はケイタイもない 兄と二人で貧しい暮らし バイトしながらの中学生活 三島(佐野和真)は豊かなくらしの中学生 初子の兄との葛藤 けっしてたのしい生活ではないがひたむきにいきる 少女と純粋でひたむきな三島くん 電気も止められる様なくらし くらい現実 を乗り越えて行く少女の強さ それを支える少年のほのかな愛 ラストシーンに希望がもて ほのぼのとしたあたたかさを感じながら映画は終わる 監督インタービュのなかで タナダユキさんは ほんのささやかな ほのかな温かい灯りは 絶望の中でしか 美しくみえないのでしょうか と語っていた この2本の映画は時間の奥行きを感じる近年の邦画の傑作と僕は思う  どちらも大津の小さな映画館 滋賀会館シネマホール で見た 滋賀会館と言えば かっては滋賀県一の映画上映ホールだった 僕はその大ホールで今日 映画を見た アグファカラー総天然色映画 小津作品 お早よう(1959)での居酒屋のシーンでの会話 テレビは一億総白痴化 そんな時代がやがてくることを監督の 小津さんはその時すでに現代のあり様を予測していたのか まさしく今の社会そのものではないか  そんななか滋賀の大切な映画文化発信元の滋賀会館の存続が危ぶまれている なんとか続く方法はないのかと 考えながら 寂れた商店街を自転車で走りぬけた



 

カラスウリの花からの想い

2007/11/23

真夏の夕方 電話をとると 友人の北脇さんの奥さんから 今夜 カラスウリの花が咲きますよ と 見に来られたらとお誘いをうけた その夜 錦織のお宅を訪ねた 奥さんの懐中電灯に照らされ 白いレースの中に花が咲いていた 一輪を青色のガラス瓶に生けてもらった 蛍光灯に照らされ 涼しさと優雅さを漂わせている 僕はなぜか 以前友人の福家さんの書かれた エッセイ 三井の山風 で紹介されていた小説 アリとニノ にでてくる プリンセス ニノを想いおこした グルジアの女性は世界一美しいといわれている カラスウリと中央アジアの砂漠とは関係はないのだが 白いレースの様な花の貴賓さが 僕をアゼルバイジャンの街 バクーへ
の想いをよみがえらしてくれた 小説は アリとニノの民族と宗教をこえ愛し合う二人の恋愛小説で ロミオとジュリエット にたとえられている  作者は
クルバン・サイート と二人の共著で1937年に発行  僕は福家さんに本を借り ひさしぶりに読んだのがこの小説 内容はいまおこっている民族と宗教の紛争とオーバラップして来るような背景で 男女の関係 民族と宗教のはざまでおきる  大スペクタクル恋愛小説  映画では味わえない魅力 想像を膨らまして読む小説の凄さをあらためて感じた本だった 写真のカラスウリの花をみていると また僕の想いを乗せ遠いカフカスへ運んでくれる様な気がした


 

 

三井寺の沢ガニ

2007/11/22

夏の朝 蝉時雨を聴きながら三井寺の石段を登り観音堂へ 展望台より見る大津の風景もすっかり変わった 甍の町並みが続き  三上山や南湖の湖岸線の緑色の葦原が見えた風景もマンションやホテルがたち かって美しく見えた のどかな 景色は今はもうない 木立の道をぬけ 金堂へ 工事中で覆いがかけられ荘厳な姿は見られない 砂利道の足下に眼をやると 沢ガニが よく見ると塩招きのように ハサミは片方 はて沢ガニてハサミ両方あったはず と そんなことを考えていると 僕が少年のころ漆にかぶれ 顔や瞼がはれたとき 祖母が三井寺の沢ガニを すり鉢ですりおろし かぶれた顔に塗ってくれたことを思い出した でも漆のかぶれに沢ガニがなぜ と今 疑問におもう 子供どうしのけんかで腕をかまれたときも じゅうやく(どくだみ)の葉っぱをあて なおしてくれた 現代のように すぐに医者へと行くことはなかった 昔の人は学はなくとも知恵や自然を利用することよく知っていた そんなことすると 罰があたる もったいない そんな言葉をよく耳にした  現代人は多くの大切なものを失ったようだ 足下にはもう沢ガニは消えていた また僕の耳に 蝉時雨が夏の暑さを運んできた



  

晴れた日にモアイ像を見る

2007/11/19

モアイ像を見るといっても イースター島へ出かける訳ではない 高島市マキノ高原の赤坂山 にある と 友人の奥くんに以前聴いたのを 思いだし 彼の案内で仲間4人で 晴れた晩秋の赤坂山に登山した 奥くんによると 彼の写真が新聞の一面に 明王の禿にあるモアイ像と紹介された たぶん 奥くんの命名だろう 4人は黒川林道から紅葉の美しい登山道を2時間 心地よい汗をかきながら 明王の禿に到着 そして山仲間の定番のインスタントラーメンを作る 奥くんがやっぱ サッポロ一番や と いそいで食事を済ませ モアイ像へ ガレ場のやせ尾根をそしてガレ場の中間に 見事な 自然の芸術 まさしく モアイ像である 感動がはしる  そして  眼下には遠くに琵琶湖 そして マキノ町の田畑や人家が 久しぶりに 空を飛んでいる様な気分だ 赤坂山山頂からは 送電線の巨大な鉄塔が 自然の美しい景観を遮断している でも その鉄塔も 冬のスキーツアーでは目標になり 利用しているので 複雑な気分になる 自然の作った 不思議なモアイ像 人が作った鉄塔  芸術点は モアイ像100点  鉄塔0点 といったところか スキーで下れば 疎林の中でもがきながら 2時間はかかる でもこの日は歩いて 1時間  なんで滑るより歩きが早いのか そんなことを 考え温泉についた もう 僕の思いでのマキノスキー場のひなびた小屋 銀パラを火鉢で溶かしスキーに塗ったことも遠い時間の彼方へと


 
 

人工の浜辺

2007/11/16

晴れた日は 自転車で湖岸を浜大津から粟津の晴嵐まで走る 信号のない人と自転車専用 湖岸風景は子供の頃の面影はない 弁天丸 みどり丸 京阪丸らの多くの汽船が停泊していた 木造の桟橋 自転車で走ると僕の脳裏に昔の光景がよみがえる におの浜は びわ湖大博覧会の会場だった
高くそびえるプリスホテルをすぎると由美浜 夏 リュウキュウツキミソウが咲き 砂浜ではビーチバレーに興ずる若者や花を見に来る人たちは
ここが 埋め立てて作られた 人工の砂浜とは知る人はほとんどいないと思う 自然とは人が美しく思い 感じ 楽しく遊べる場所 全国いたるところで そんな観光地が増えている 本当の 自然とは 人を容易には受け入れず入ったとしてもそこは危険が待ちかまえている 僕たちの子供の頃の自然にたいする考えだった 里山は自然と人とのセフテイーゾーン 琵琶湖岸の人工の浜 でも現代人は自然の砂浜と思うのだろうか 湖上はるか上空に広がる雲の美しさを見て いま地球をとりまく環境も人間の営みで 自然もまた人工化してきたのか でも変化する気候 巨大竜巻 サイクロン 豪雨 そして 人類は自然に飲み込まれてゆくのか 
   

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