冊子の連載が・・・
2022/12/13
毎月、知人から頂く、冊子「生活と自治」を楽しみにしているのは辺見庸氏の新・反時代のパンセ、だが先日12月号をいただき、ページを開くと「新・反時代のパンセ」が載っていなかった。連載中止のお知らせがあり読んだ。冊子の編集の進め方、編集姿勢などから執筆者からお断りをいただきましたとあった。以前は裏表紙には藤原新也氏の「日々の一献」が連載されていたが、終わってしまった。小さな冊子の編集方針が大きく変化したのかと危惧した。二人の連載を楽しみに読んでいたのにと少し落胆した。大きなメディアでは連載されない大切な言葉が聞けなくなった事は残念だと思いながら、朝日新聞を読むも心に響く記事もなく寂しく新聞を閉じた。
物価上昇
2022/12/12
物価上昇を伝えるニュースを聞かない日はないと、改めてフイルムの値上げの幅には驚いた。半年前では850円で買えたコダックのカラーネガフイルムがネットで見ると2500円の値が付いていた。スマホやデジカメが主流の時代、フイルム写真が人気と言ってもフイルムが高価になり折角フイルム写真のブーム?なのに、これではフイルム写真は少数の好き者の趣味の世界へと移ってしまうのかと・・・値上げはフイルムだけに限らず来年度初めには4000品目の値上げが予定されているとニュースが伝えていた。物欲が少ない年金爺の暮しの中で自由に使えるのは自分の頭脳くらいかと、これから益々、頭の中で遊べる空間を広げなければと思うこの頃だ。
ユリカモメ到来
2022/12/11
ユリカモメが琵琶湖に到来している事は分かっていいたが、例年なら12月の初めに浜大津港の桟橋の手すりに整列する姿が見られる筈が今年は沖合で群れを見かけるも間近で見ることはなかった。昨日、膳所公園の湖畔でユリカモメの群れを見かけた。公園の南側の湖上のエリが取り払われてユリカモメの休息場所が消えた。例年ならエリにユリカモメが留まっている姿が見られたが、今年はエリが無く寂しい風景だ。今日、湖岸ポタリングで浜大津港へ立ち寄るとユリカモメが桟橋の手すりに整列していたが、例年より数も少なく三十羽ほどだ。湖面に浮かぶユリカモメの群れの中をガチョウが此処はオイラの縄張りとばかり存在感を表し堂々と五羽のガチョウが通過する様は面白くおもわずデジカメのシャッターを押した。そして間もなく恒例のパン屑を与える人が登場すると毎日ユリカモメの整列する姿が見られるようになると思った。
俳句
2022/12/10
俳句と言えば、古池や 蛙飛び込む 水の音 を一番に思い浮かべる僕の憶えている、俳句だ。短文で表す情景は写真と同じではと思う時もある、今読んでいる「映像のポエジア」はロシアの映像作家アンドレイ・タルコフスキーが記した本だ。映画芸術を熱く語るタルコフスキーの映画への情熱を感じる内容で少し難しく感じるが読み進んでいる、其の中で日本の俳句をタルコフスキーが高く評価している、本の中で,発句(ママ)の読者は、自然に溶け込まなければならない、発句に没頭し、上限も下限もない宇宙のなかにいるときのように、その深みのなかで我を忘れなければならない。として芭蕉の古池や・・を例に上げて語っているが、僕はまだ芸術の深さや高みは未だ解らない・・・でもなんとなく感覚的に少し理解できそうな気もすると思いながらページを繰っているのが現状だ。そして写真は俳句の様だと最近思うようになった。説明のいらない写真は俳句と同じではと思うこの頃だ。もし俳句のような写真が撮れたら、湖畔通信には文章が要らないと思った。
今日は好天に誘われ久しぶりに膳所公園まで湖岸ポタリングを楽しんだ。その時の撮った写真だ。
散歩写真
2022/12/09
僕の行動半径は約2キロメートルと琵琶湖から見ると小さな池の様で世界情勢など語るのも恥ずかしいとおもった。毎日、デジカメとスマホで撮る写真もマンネリ化も良いところと反省しているが、今日も随分とシャッターを切った。近くの疎水に掛かる鹿関橋より閘門の工事の様子を見ると明治時代から使われ続けた鉄製の門扉(京都側)が外された。そして琵琶湖側門扉も解体工事が始まった。人力でハンドルを回して閘門の開閉には30分近く時間を要し、観光通船の通過に時間が掛かる為の改修工事と聞いているが、日本遺産に指定され明治時代に日本人だけで完成させた事業の遺跡を簡単に変更して電動化すれば便利にはなるが其の往時の時間感覚などが失われてしまい歴史の時間を体現できないのではと思った。浜大津港ではカワウの学校が始まったのかカワウの生徒が整列していた。昨日は沖合でユリカモメの群れを見かけたが、未だ浜大津港に近づく気配が無いのは何故と琵琶湖を眺めた。

















