中島省三の湖畔通信

プーチンは皇帝か・・・

2022/07/06

7月5日の朝日新聞の寄稿記事では、ロシアの作家ミハイル・シーシキン氏が「プーチンは皇帝か」と題して自分の現在の苦悩を語っている寄稿文を読んだ。深く心に響く言葉で表現されたロシア人の苦悩はロシア人でないと心の深い所までは理解できない部分もあるのではとおもった。僕はロシアの映像作家タルコフスキーが今も大好きだ。タルコフスキーの映画の全作品を見た。詩情豊かな映像が伝える映画はどれも素晴らしく今も僕の心の奥深くに残っている、テーマは人と自然そして愛とノスタルジーの壮大なテーマがタルコフスキーの映画だ。遺作となった「サクリファイス」は核戦争に寄る人類の危機を表現した映画だった事を思い出した。ロシアは小説、音楽、映画と素晴らしい芸術作品を生み出してきた国が今、ウクライナ問題では戦争犯罪国家として有名になってしまったのは残念だ。今日もウクライナでは戦禍が続いている、国際社会は何も出来ないまま時間だけが過ぎてゆく、寄稿文の中にでも文学の大切さが書いてあった。早く戦争が終結して、ウクライナ、ロシアの両方の国から文学を通じて今回の戦争の悲惨さや愚かさが語られる様になる時が早く来ることを願うしかないと新聞を閉じた。

今日の散歩写真

2022/07/05

毎日の散歩で向かう三井寺の境内は動物、小鳥、昆虫、花と写真の被写体は無限にあるようにおもうが、いざ撮影となると動物が一番難しい何時何処で遭遇するか分からないからだ、先日、展望台ではアライグマを見かけるもデジカメを構える間に逃げ去ってしまった。狸も逃げゆく姿を目で追うのが関の山だ。冬場、大きな角を持った鹿に出会うも撮り逃した。鳥もアオサギやシラサギは何とか撮れるが小鳥は動きも早く鳥撮り専門のカメラマンでないと撮れないが、今日は金堂前の蓮池の石橋を渡ろうと足元を見るとスズメが、急いでカメラを構えるも逃げないので近づくと幼鳥で飛べずにチョコチョコした動きで逃げることもないのでカメラを近づけて撮った。近くで親鳥の声も聞こえるが姿は見えない、写真を撮るのを止めて小雀から離れた。近くで見るとスズメも可愛い鳥だとおもった。最近ではスズメの数が減っているのは虫が減ったからだと言われている、そう言えばハエや蚊も見かけなくなった。人間には快適空間も自然の中で暮らす生き物たちには暮しにくいのではとおもった。今日はカミキリムシも撮れた、褐色は初めてなので写真に撮った。辺りを見ると屈んで地面にスマホを向ける人がいた、近づいて尋ねると小さな幼トカゲがと指を差してくれた先にはメタリックな輝きを放ちながら小石に隠れよとしている小さなトカゲを見て嬉しくなった。近年、トカゲの姿を見ることが少なくなったからだ。今年は大きく育った美しいトカゲの写真を撮りたいと思った。

植物の名前・・・

2022/07/04

今日の散歩では56年前の傘を差して三井寺へ向かった。途中から雨足が少し強くなった。十二本の骨が美しいカーブを描いて茶色?薄茶色のテトロン生地をピインと張った傘に当たる雨音は弾んでいて防水効果も充分だそして黒い蝙蝠傘ではないから明るく感じた。そして防水加工の技術に驚いた。ゴアテックスの雨具と言えども五年も経てば水を弾く力も弱まって生地に染み込んで撥水能力が落ちて来るからだ。緑の樹間でも違和感がないと改めて半世紀以上も経た傘に敬意を込めてデジカメで撮った。三井寺の蓮池では蕾が幾つか確認できた。今年は花が期待できそうだ。仁王門から大門坂へ向かうと電柱に小さな花が咲いているのに気づきデジカメで撮った。蔓が電柱に絡んでいる植物の名前はと・・早速スマホのグウグルレンズで検索すると、ヘクソカズラと分かった。可憐な花の名前には相応しくないのではと思いながらデジカメで撮った。帰宅後、パソコンで詳しく見るとヘクソカズラは葉っぱを擦ると異臭がでるので、其のような名前が付いたらしい、そして別名サオトメザクラとヤイトバナとあり此方の方が良いのではとおもった。いくら万物の長を自認しているホモ・サピエンスはモノに名前を付ける時くらい知性とセンスを活かしてほしいものだ。僕はサオトメザクラと呼ぼうと考えた。

当世傘事情

2022/07/03

台風4号の影響を受けお天気は昨日の青空から一変して雨となった。雨傘と言えば、50年前は蝙蝠傘か番傘が定番だった。時は流れてビニール傘が主役となって久しいが初期は使い捨て感覚で使用していた頃は百円だった、今、使用している傘は700円で骨はグラスファイバー製となって丈夫になった。ビニール傘はチープなモノと思っていたら何万円もする高級品も在るが、昔、蝙蝠傘と言っていた時代は耐久性もあり近くの傘屋さんが修繕してくれ、ライフサイクルも長く何10年は使用できた、我が家には父が使用していた日傘兼用の蝙蝠傘は今でも使えそうだ、父が亡くなって56年が経った今も存在感があるから凄いと改めて傘を眺めて感心した。ワンタッチ式でないから使用しなかったことと傘にも風格があり、捨てずに、靴箱の片隅で鎮座ましていたわけだ。今日その傘を点検すると生地はトーレテトロン製で黒色でなく茶系色で骨は12本だ、僕が雨の日に数日使っただけだ。今でも充分使用できる事がわかった。今流行りのビニール傘にはない手作り感が伝わってきた。職人が傘を一本づつ仕上げていた手工業の長閑な時代を思い出してきた。今は商店街に傘屋など在るはずがない、そして傘屋は提灯も売っていた事も思い出してきた。傘と提灯は竹製品だから、番傘も貸し傘として名前入りの傘があった、我が家にも壁に番傘が5本収納された笠懸が在った事も映像として浮かんできた。番傘に当たる雨の音は日本の梅雨の音だ、心地よく傘の上で跳ねる雨粒が生きているようにも感じた少年時代には帰れないが、せめて蝙蝠傘を差して雨の日を楽しみたいとおもった。明日が雨なら父の形見の晴雨兼用傘を差して三井寺へ散歩に出かけようと思った。

一日だけの個展?

2022/07/02

今日も青空、本当に夏が来たのだろうか、と三井寺の石段を上がっていてもセミの声がしないからだ。梅雨明けと同時に蝉しぐれを聞いて夏が来たと実感するのが僕の夏だ。午後は、におの浜のカフェタイムで友人の小野さんが一日だけの作品展示?個展を開いた。もちろんビールと軽食を頂きながら小野さんの陶芸作品を批評?酷評?した後にビールで乾杯した。参加者と言っても皆、友人が5人が参加した小さな集まりだ。作品は陶芸作品と言うより彫刻それともオブジェの方が相応しいと作品を拝見して勝手に好き放題の感想を述べさせてもらった。小野さんは豪快な笑い声を上げ好評、酷評など苦にせず、此れが小野だと言わんばかりの迫力を感じる作品もあり一日だけの個展ではもったいないとおもった。そして最後に写真を撮ろうとしたら僕が一番気になっていた大きな作品が片付けられてしまった。それは乾燥途中で素焼きもされていないものだが彫刻家を目指した小野さんの想いを感じた作品だった。タイムの軽食も美味しくビールやワインを飲みながらわいわいがやがや楽しくやっていると夏が来た気分になった。最後に小野さんからぐい呑や湯呑みの作品から好きなものをどうぞとプレゼントされた。僕は湯呑みをもらった。ビールも飲めるとおもったからだ。

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