中島省三の湖畔通信

勝手に梅雨明け宣言?

2022/06/26

今朝も土用の朝曇り?・・土用の朝曇りは祖母が良く言っていた言葉で此のシーズンは本当に朝方は曇っていても10時を過ぎると青空が見え好天となって来るから不思議だ。でも梅雨の最中、なのに晴天が続くと今年は梅雨をとばして真夏になったのかと湖岸に佇んで空を見上げ勝手に梅雨明け宣言したくなった。地球温暖化による気候変動はホモ・サピエンスが想像しているより大きく変化したのではとおもった。戦争などしているどころではない、真剣に地球温暖化防止に取り掛からなければホモ・サピエンスの滅亡の危機ではとおもった。電力を使わず、出来ることは僕には読書ぐらいだ。窓を開けると風が部屋に入ってきた、クーラーを付けずに本を開いた。久しぶりに買った、荻原浩の「それでも空は青い」だ。空がどんなに青くても、日差しが暖かくても、気持ちのいい風が吹いていても、人は死ぬ。の書き出しから始まるスピードキングを一気読んだ。爽やかなほろ苦さを感じる物語は少し心に響いた。今日も空は青空だ、この青空の下でウクライナでは多くの人が戦争で命を落としている、四ヶ月も戦争は続いたままだ、本当に早く戦争が終結してほしいと青空に願うしかないと空を見上げた。

アメリカオニアザミ

2022/06/25

アメリカオニアザミの存在を今日始めて知った。午後、市役所前のカフェサライに出かけ、紅茶を飲みながらマスターがアザミの綿毛が美しいと話をしてくれた。そんなに綿毛がと少し疑問を感じたが、一度写真に撮りたいと思った。何処に咲いているのか尋ねると横の駅(市役所前)だと聞き直ぐに見に、想像していたアザミとは違った。疎水の堰堤に咲いていたのは本来のアザミで綿毛を見ることが出来ないのは除草作業で刈り取られてしまうからだと分かった。そのアザミを良く見ると花の下部が大きく膨らみグロテスクに見えた。そして棘があり何時も見ていたアザミとは別種だと直に分かったが、名前が分からず、話は綿毛の話だけで終わった。帰宅後、パソコンで調べると、やはり生態系被害防止外来植物として駆除対象と分かった。棘があり駆除するにも注意が必要と記してあった。普段は外来植物には優しい態度で接しているがアメリカオニアザミは棘もあり、そしておまけに繁殖力も強いと聞いて、僕も態度を一変させ、これは駆除しなければと自分の家の周りを明日にでも点検しようと思った。

幸い湖岸ではアメリカオニアザミは見かけていないが・・見落としているだけと思った。浜大津のケリは今日も親鳥と雛一羽を見かけた。

新聞を購読していて良かったと思う日

2022/06/24

新聞を購読していて良かったと思う日が年間を通じて数回はあると、今日の夕刊(朝日)の記事、いま聞く 核のごみ処分場反対の訳は を読んだ。山本竜也さん(気象庁職員)が語る言葉は地元、寿都町にあった寿都測候所に勤めていて、地元の歴史などの本を自費出版した人だ。大阪の人が何故北海道にと、興味をもって記事を読んだ。1911年明治時代に寿都で銀鉱石の精錬所の建設問題が起きた時も地元住民が反対する中、国家事業として稼働するも、精錬所の過酷な労働で鉱夫たちの「同盟逃亡」らが繰り返され、結局、武田は寿都鉱山の採掘権を放棄したことなども記録した自費出版本などを出した山本さんが、今回の核のごみ処分場に反対する訳を分かりやすく語っていた。僕もチェルノブイリの原発が1986年4月16日に事故が起きたのを切っ掛けに滋賀県内で原発反対の仲間らと原発問題を語る中で、京都大学原子炉研究所に居られた小出裕章さんを招いて原発の危険について講演していただいた時に深く印象に残った言葉は原発から出る核のゴミは10万年経たねば放射能が減衰しないと言われた事が忘れなられない、記事の中で山本さんは寿都鉱山の話しは100年前のことだ、そして核のゴミ処分場では原発から出る核廃棄物を10万年も誰が面倒をみれるのか検討もつかない、100年や200年の問題ではない10万年と言えばホモ・サピエンスはアフリカを出発する以前で文化や文明など存在しない時代だ。今日も琵琶湖に佇んでいると、僕はどうしても福井若狭の原発群の早期廃炉しかないと・・そして高浜、美浜の老朽原発の再稼働は絶対許してはならないと思った。

写真二枚目は上空から鳴き声で威嚇するケリの鳴き声は我らホモ・サピエンスへの警告かもと鳴き声を聞いた。

湖畔叙景・・・

2022/06/23

湖畔叙景とタイトルを付ける時は話題が乏しいのと何もないことを書く筆力がないからだ。「湖畔通信」の以前は「何もない写真」として毎日、写真を撮っていたと昔を思い出した。京都の湯川書房で「何でもない写真」展を東京の吉田さんの企画で開いてもらった事も懐かしい記憶へと変わった。以前はコンパクトカメラを多用していたから気楽に撮れたのかもと・・・デジイチで撮る様になってからは記録写真へと変わった。今日も午後柳が崎へ向かったのは、去年の柳川の水害?で溜った土砂が保管されていた砂が気になったからだ。墳墓の様に積まれていた砂は消えていた。数十年前は水泳場だった砂浜が柳川の堆積砂が敷かれて以前により広くなった砂浜には人影もなく、此処が水泳場で賑わった場所と想像できるのは以前、此の場所で泳いだ世代の人だけと、静寂が支配する砂浜をデジカメで撮った。午後、湖岸ポタリングで通った浜大津港の近くの空き地にはケリの雛も親鳥も見かけなかった。でも夕食後、再び湖岸へ向かった時には雛が一羽と親鳥の姿を見かけた。その他の雛は元気だと良いのにと、側を通過した。久しぶりに静な夕景を見ていると心が鎮まってきた。

早くもアオコが発生・・・

2022/06/22

午後、五月晴れの空が広がった、午前中の湖岸ポタリングでは想像できなかった好天に誘われ、又自転車を出して湖岸へ向かった。浜大津港で午前中に見たアオコの前兆が気になったからだ。浜大津港の西側の湖岸から湖面に目をやると緑色のペンキを流した様なアオコが発生していた。例年通りならアオコの発生は9月だとすると二ヶ月以上早い発生だ。地球温暖化の影響かとアオコの湖面を見ていると、僕が諏訪湖でアオコを初めて見てから53年が経った。1969年大津JCが琵琶湖の富栄養化防止を訴えた16ミリ映画「青の輝き」の撮影で長野県の諏訪湖でアオコの撮影した事を思い出してきた。ボレックス16ミリ撮影機のファインダーから見る諏訪湖の水は緑色のペンキを流したとしか思えないような緑色の湖面が広がっていた。正か琵琶湖で毎年アオコが発生することなど想像すら出来なかった。1994年には空から湖面が緑色になっている場所を見た時は信じられないとファインダーから目を放し肉眼で確認してもアオコが湖面に確認できた。それから28年が経った今もアオコは連続発生しているが、最近ではアオコの発生など問題がないのか滋賀県もテレビ、新聞らも琵琶湖の話題は取り上げるが、肝心の環境問題らの報道は少なくなった様に僕は感じている、もうメディアを信じる時代は終焉を迎えたと・・テレビも新聞も見なくても、其の程度の情報はいくらでもSNSらで入手できる時代だ僕も新聞やテレビを止める日は近いと考えた。今日もテレビから各党が日本の防衛について語っていた。武器を強化と訴える政治家の多いことか武力では何も解決できないことは分かっているのに・・・それよりも地球温暖化による気候変動は待ってくれないとテレビを消した。

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