蚕の杜
2022/06/21
今日は雨、湖岸ポタリングも出来ず退屈な午前中を過ごした。午後は友人のMOROさんに借りていた展示会で使用したパソコンを返しに太秦へ向かった。京都の地下鉄東西線が完成するまでは不便な場所だった、今では浜大津駅から直通で太秦天神川駅まで40分足らずで行けるようになった。文庫本を読んでいる中に終点天神川に着いた。MOROさんが迎えに来てくれいた、家に向かう途中に大きな石の鳥居があり、尋ねると蚕の社だと、以前京福電車で太秦のイノベスタジオに出かけた時、電車のアナウンスで蚕の杜は良く耳にしていたが訪ねたことは無かった。住宅地の中に森が見えた、大きな森ではないが大木が茂り、歴史が感じられた。木嶋坐天照御霊神社(このしまあまてるみたまじんじゃ)が蚕の杜の本名だとMOROさんが説明してくれた。渡来人,秦氏の土地柄でもあり蚕が伝わった事も想像できると説明書きを読むも神代の時代は僕にとっては存ぜぬ世界と境内へ入った。神を信じないが大木が茂る小さな杜はタイムカプセルの様で町中に荘厳な自然がある不思議さを感じながら境内を歩いた。元糺の池は今では水が枯れているが、美しい水が湧き出ていた事が想像できる雰囲気がいまも漂っていて、其の奥に三角鳥居が鎮座ましていた。写真を撮りながら初めて見る三角鳥居に不思議さを感じた。帰宅後、パソコンで調べると蚕の杜 超強烈パワースポットとあった。
三枚目写真は三井寺の蓮池です。
ハッピーな日・・・
2022/06/20
ハッピーな時は突然やって来ると思ったのは、湖岸ポタリングの帰り道。浜大津港付近を通っているとケッケッと甲高い鳴き声が辺りに響いた。鳥には違いないと辺りを見ると足の長いハト位の大きさの鳥が鳴き叫んでいた。近くにも同じ鳥がいた。デジカメで撮るも少し距離があり少し近づくと甲高い鳴き声を発して飛びたった。でも手応えもあり撮れたと確信した。もし撮れていれば初ゲットだ。帰宅後、パソコンにアップして鳥の特徴を思い浮かべ図鑑を見てケリと分かった。チドリ科とあり、以前に見たミヤコドリもシギチドリ科で似たような鳴き声を思い出した。写真を見ていると何だかハッピーな気分になってきた。昨日、読み終えた「マイクロスパイ・アンサンブル」(伊坂幸太郎)の中にも人がハッピーになれるのは、ひょんな時に訪れる場面が幾つも出てきた事を思い出した。コロナやウクライナとロシアの戦争、景気の低迷らが続く、重く暗い空気が支配している時に本屋で見つけた小説が僕の気分をハッピーにしてくれたのは、物語の主人公たちが何かの切っ掛けで周りをハッピーにしてゆく明るい小説は今の時代にピッタリだと改めて「マイクロスパイ・アンサンブル」の表紙を見た。何でもない切っ掛け・・猪と鹿と蝶が揃えば何かが起こり現状が良い方向に進み、みんながハッピーになれる物語は楽しく読める大人の童話ではと読み終えた。そしてウクライナとロシアの戦争も何でもない、ひょんな事から平和が訪れるチャンスが出来るのではと少し希望を抱きながら一刻も早く平和が訪れることを願った。夕方、湖岸へ向かったがケリの姿は無かった。薄雲に覆われた太陽が西の山に近づいた。
要注意外来生物
2022/06/19
梅雨に入りお天気もイマイチで湖畔通信に載せる写真を探すのに苦労する日が続く、今日も三井寺へ向かう道端で紫色の可憐な花をデジカメで撮った。その後グーグルレンズで検索してムラサキカタバミと分かった。帰宅後、パソコンで調べるとムラサキカタバミは環境庁指定の要注意外来生物と分かった。庭に咲いていたフリージアラクサも大正時代に日本へやって来た外来種なのに山野草の仲間に入って市民権を得た花だ。僕は何時も不思議に思う、地球外から来たのなら話は分かるが広い宇宙の中、太陽系の小さな惑星地球の中で暮らす生命体の植物がホモ・サピエンスの行動で彼方此方に生存域を延ばしたのは自分で移動できない彼らはホモ・サピエンスに運ばれて来たくもない場所に連れてこられた上に、やれ要注意外来生物などと名指しされ駆除されては気の毒に思えてきた。辺りを見渡せば外来種が多く存在している、湖岸ではオオバナミズキンバイを筆頭にナガエツルノゲイトウらが控え名を連ねているのが現状だ。地球温暖化による気候変動が植物の繁殖域を変えて行く現状では日本固有の植物もやがては消えて行き熱帯植物が茂る亜熱帯になるではと思っている、遠にムラサキカタバミも日本の花の仲間になったのではとパソコンの画面に映る花を見て素直に美しいと思った。
写真二枚目は三井寺総門の扉、釘隠しが無い部分を見ていると時計の様にも見え、此れは此れで美しいと写真に撮った。
喫茶店を探して?
2022/06/18
梅雨らしい雲に覆われた、お天気は気分はイマイチだ。湖岸ポタリングで浜大津港まで来ると観光船乗り場は其れなりの人出が見られた。湖岸はマスクの必要を感じられない広い空間が広がるコロナ安全地帯ではと思った。今日は行きつけのカフェは2軒ともお休みだ。午後、市役所前のカフェ、サライへ出かけた。店内の壁は喫煙で染まったままだが、妙に居心地が良いから不思議だ。紅茶を飲んでいると若い4人組が入ってきた。植物に覆われたサライの佇まいが気に入ったのか、店内の経年変化に魅力を感じたのかと彼らのテーブルを見た。話やすさを感じたのは、彼らの礼儀正しさ?椅子を引く動作も静で、食事も静だ。何気なく声を掛けると、気軽に答えてくれた。彼らは大学生で、大津の喫茶店を探して・・(喫茶店同好会?)車でやって来たらしい・・サライは40年以上お店のスタイルを変えていない、コーヒーは開店当初からエスブレッソだ。カレーもスパゲッティーも最初から味も同じだ。僕は京都や山科にも店が多くあり別に大津に来なくてもと聞くと・・山科は店も多いがチェン店が多く味が決まっているからと答えてくれた。大津もチェン店が増えている、でも小さな洋食店も健在だし、探せば個人店も在るはずだ。僕も若者を真似て大津で気軽に行ける飲食店を探そうと思った。サライを出ると空は五月晴れで太陽が輝いていた。
朽ちてゆくモノ・・・
2022/06/17
毎日の散歩で訪れる三井寺では境内の植物たちが一番躍動している時だ。年々歳々、植物たちは新しい命の息吹を感じさせてくれるが、ホモ・サピエンスの作ったモノは劣化の一途を辿り消滅へ向かう姿を見ていると物悲しさを感じるのは、僕は秋よりも梅雨に感じる、水を得た植物たちが地球上を覆わんと活動する姿を見ていると人間社会はコロナウイルスや戦争、そして地球温暖化、経済の低迷で意気消沈している姿を見ていると、地球は植物が主役と思うこの頃だ。湖岸ポタリングで目にする桟橋も朽ち果て杭が残るのみとなった。三井寺の総門では釘隠しが存在感を表している、姿を見ていると隠すことを尊ぶ日本文化は・・・日本の政治の本質を見ているよな気分になってきた。もうすぐ選挙が始まるが、期待できる政治家がいないことが問題だと重い梅雨空を見上げて溜息をついた。