中島省三の湖畔通信

雨の三井寺叙景

2022/11/23

三井寺への散歩を初めて何年位になるかと考えた。犬を飼っていた頃は良く犬の運動のため毎日、三井寺へ向かったが、犬を飼わなくなってからは偶に写真を撮りに観音堂の展望台に出かけたぐらいだ。日常の習慣となったのは20年ほど前からではとおもった。今日は雨、散歩はお天気に関係なく出かけるから苦にはならない、雨に強いデジカメ、ペンタックスK3を首にかけ、ビニール傘をさして三井寺へ向かった。秋雨にしては暖かく感じ、温暖化が進んでいることを実感した。境内は晩秋の紅葉を楽しむ観光客が雨にも拘わらず彼方此方で見られた。紅葉は晴れの時よりも雨の日の方が赤色が浮かび上がるのは、周囲の暗さが引き立てているのだとおもった。境内を歩いていると、ジュウガツザクラの枝に残る色づいた葉のあまりの美しさに驚き立ち止った。幹からリストラされながらも憂愁の美を見せる姿に魅せられおもわずデジカメのシャッターを切った。そして秋雨の三井寺の晩秋を楽しみながら境内を歩いた。

イーロンマスクとかけて紅葉と・・・・

2022/11/22

晩秋の三井寺は紅葉の絨毯が敷かれ美しく思いますが植物の世界では非情な生存競争が繰り広げられていることを、チコちゃんに叱られる(テレビ番組)では、紅葉は植物が厳しい冬を生き抜くために葉っぱを落として本体の幹を守るために葉に栄養分を送るのを止める事は、人間社会の会社で行われるリストラを例に上げて説明していた。本体の幹は経営者で葉っぱは従業員で、紅葉は幹から栄養分を絶たれた葉っぱ、は従業員で、非情な経営者は幹だと番組で放送されたことを思い出した。参道の紅葉の絨毯の上を歩いた。そしてTVのニュースに時々登場する実業家イーロンマスク氏がツイッター社を回収して従業員の大量解雇を宣言したことは、もみじの木と同じ様な行動ではとおもえた。振り返りながら見る紅葉の絨毯が少し寂しく見えるのは何故と考えた。

人間至上主義?

2022/11/21

人間至上主義は、今読んでいる「ホモ・デウス」(ユヴァル・ノア・ハラリ著)の中で出てくる言葉で、本は人間至上主義で変化した、社会を大きな視点で語る物語は、まだ読んでいる最中だが上巻ではホモ・サピエンス全史を急ぎ足で、未来への不安を感じた。下巻もテクノロジーとサピエンスの未来を語っている、飢饉や自然災害そして戦争と何千年も同じ過ちを繰り返しながら文明を築き発展してきたホモ・サピエンスは何を学んできたのかと・・・現実社会では戦争は止まず、飢饉も災害も解決出来ず、そして地球温暖化に対しても未だ経済優先で未来へ走るホモ・サピエンスの文明とは何かと、今日もページを繰った。

雨上がりの琵琶湖を眺め気分は少し明るくはなるが、之から先、何か良いことが起きるとは思えない現状では心は晴れないままだが、写真に映る世界は長閑であってほしいと今日もデジカメのシャッターを押した。

休日叙景

2022/11/20

毎日の散歩も冬場は遅く朝の九時半頃に家を出る、今日は休日で三井寺の境内は紅葉を楽しみに訪れた観光客の姿が見られた。久しぶりに旗を持ったバスガイドさんを見かけスマホで撮った。三年ものコロナ禍の影響で観光バスの姿を見かけるのは少なくなった。少人数が乗った大型の観光バスが殆どで、それも偶に見かけるだけだったが、最近は満席の観光バスを見かけるようになった。三井寺の駐車場にも大型観光バスが数台留まっていた。浜大津港ターミナルは賑わいは以前ほどではないが徐々に客は戻って来ているがインバウンドの様な賑わいには程遠いと思った。今日もシラサギくんは浜大津港の湖岸で餌取りをしていた。水位が低くなり湖岸の浅瀬に寄ってくる小魚が獲りやすくなったからではと思った。湖上を見ると今年は水位が低かった所為で水草が育ったのか小さな茂原があり水鳥の格好の遊び場のようで水鳥が多く群れていた。

写真一枚目はスマホからの転載です。

古いデジカメを持ち出して

2022/11/19

今日のカメラ散歩は福島の友人Hさんが数年前に送ってくれたデジカメ、ニコンD300は15年前に製造された、今では古いカメラを持ち出した。友人Hさんは癌で闘病中だ、友人が使っていたデジカメは今でも充分に写真が撮れる名機だ。朝の散歩、そして湖岸ポタリングで数十枚撮った。今日も浜大津の湖岸には件のシラサギくんが人を恐れることもなく餌取りをしていた。シラサギくんの祖先は恐竜だ。ホモ・サピエンスの7万年の歴史を遥かに凌ぐ、今から6000万年前に滅びたと言われている、そして地球上で1億6000万年もの長い間栄えた動物は恐竜だけだ。そんな恐竜を祖先に持つシラサギは凄いと思った。湖畔のシラサギくんは最近、人が近づいても飛び立たずに餌探しに夢中だ。シラサギは普通は人が近づくと飛び立ち逃げ去るのが普通だが、でも此のシラサギくんは逃げない、学習能力で得たのか、人を認知しているようだ。今日も人が近づいてスマホで写真を撮っても平気で餌を探していた。僕は飛行機やグライダーやパラグライダーで空を飛んでいたが鳥のようにはなれないと諦めた。人は自分の体だけでは飛べない、何らかの道具を使わなければ空中を飛行することは不可能だ。今も鳥に憧れるのは自由に体一つで好きな場所へ行けるからだ。曲がりくねった道を進む必要もなく最短距離で目的地に向かえる鳥は凄いと憧れをもって何時も空を見ているホモ・サピエンスだ。

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