中島省三の湖畔通信

湖岸叙景

2022/06/11

お天気がイマイチでは気力が湧いてこないが、何時もの三井寺への散歩をすませ、雨の降る前に湖岸ポタリングを済ませようと帰る間もなく湖岸へ向かった。乗船ターミナルは少し賑わっていた。湖畔の紫陽花を見るも写欲が沸かずにパスした。打出浜から琵琶湖を眺めると雲は低く乱層雲?積雲が高度3000フィート辺りで漂っている、間もなく雨が降り出す予感が、今日は此処までと自転車のハンドルを切って帰路についた。

我が家の紫陽花は今年は駄目かとおもっていたら花は小振りながら綺麗に咲いてくれた。

坂本の町並み

2022/06/10

七週間毎に検診を受けているが時間が余りにも早く過ぎるのが納得できずに坂本のKクリニックへ向かった。行はJR湖西線で向かうのが最近の習わしになった。高架から眺める車窓風景は見晴らしは良いが親近感が乏しいのと乗車時間が短いのと、魅力も乏しくデジカメを出すことは無かった。クリニックは予約制で時間ロスもなく終わった、もちろん異常なしだ。昼食は坂本名物鶴喜蕎麦と決めているので・・11時半なのに表で待っている人いた。名前を書いて待つ間、町並みをデジカメで撮った。隣の菓子屋鶴屋がシャッターが下りているので、近づくと錆びたシャッターが営業を止めた、ことを知らせていた。僕は36歳まで家業(紙函)で、坂本地区の菓子屋に紙函や包装紙らを収めていた頃は、広栄堂、鶴屋、野村湖月堂、藤屋?らの菓子屋が多く存在していた。今では広栄堂だけと?なった。シャッターが閉ざされた鶴屋を見ていると1970年代の町が未だ活気があった頃を懐かしく思い出した。大津で唯一古い町並みが残っていて瓦屋根の美しい民家も何れは消えるのかと静にデジカメのシャッターを切った。帰路は京阪京津線で車窓風景を楽しんだ。開けた田園地帯の面影は既に無く、少し残る田畑も住宅地へと変わるのは時間の問題と思いながら写真を撮った。住宅の隙間から見える近江富士が寂しそうに見えた。

青空を見ていると不安になるのは・・・

2022/06/09

今日も三井寺の展望台から琵琶湖を眺めると上空には雲一つない青空が広がる景色を眺めていると何故か不安になってきた。地球温暖化による気候変動、ウクライナで起きている戦争の事が心の中から消えないからだ。でも生態系の中で頂点に立つものから滅びるのは世の常だ。もしホモ・サピエンスが絶滅する時はきっと青空の日ではないかと想像するからだ。今日は湖岸ポタリングで膳所由美浜の紫陽花を見に出かけた。毎年、撮っているからアングルを幾ら工夫してもマンネリ写真になるのは分かっているが、今日も同じような写真を撮ってしまった。帰路、におの浜から琵琶湖を眺めると巻雲がたなびき、青空には雲の作品が並び、空の美術館が開館した。三本線の様な雲は、多分飛行機雲から変化したものではとデジカメで撮った。大気の流れは早く地上で感じるよりも遥かに早いスピードで変化している、そして地球の回転スピードも早く振り飛ばされないのは重力?引力のお陰ではと遥か高空の巻雲を見た。



剪定

2022/06/08

我が家の横庭には僕の中学生の頃、父が氏神早尾神社の御旅所に場所を貸してから庭の真ん中には小さな社が鎮座ましていて、60年以上が過ぎた。庭にはツツジが4本あり、ここ数年前から我が家の庭木を剪定してくれる植木屋さんに一年一回の12月の剪定ではツツジの花芽を刈り取ってしまうので花が咲き終わった頃、剪定したほうが良いと言われ、それから僕が剪定をするようになった。両手で使う剪定バサミでは疲れるので友人から電動バサミを借りて数年剪定していたが、余りにも木を刈り込み過ぎたり、木を雑に扱っている様に感じ、ここ三年前から両手で使う剪定ばさみでやり始めた。其れからは花が多く咲くようになり、丁寧にやれば木も答えてくれているのだと思うようになった。剪定は一日に一本程度が82歳の爺にはちょうどの作業で、昨日と今日で三本剪定できたのは上出来だ。植木職人の様に形が整えるまでに至っていないがまあまあの出来と自画自賛しながらツツジを見ると少し刈り込み過ぎたのか風通しの良くなったツツジが風邪を曳きそうだと自分の技の未熟さを反省した。未熟さは剪定だけではなくハサミの刃を欠かせ近くの研ぎ屋のお世話にもなった。残すは後、一本となった。腕が痛むので明日はおやすみだ。

昨日は二輪だったフリージアラクサが今日は三輪に、何だか嬉しくなった。

五大絶滅?

2022/06/07

久しぶりに読みかけの本「地球外生命」(小林憲正著)を読んだ。宇宙物は好きでSF小説から宇宙の歴史らに関する本と言っても専門書でないから少し軽い気持ちで壮大な気分になれるから少年時代から好きだった。今日は第三章知的生命への進化、を読んだ。46億年の歴史のある地球に生命が誕生したのは、今から6億年前と言われているから地球の歴史から見れば、つい最近の事だ、五大絶滅の歴史は、現代から4・4億年前古世代オルドビス紀、3・6億年前デボン紀、古世代と中世代の間2・5億年前、中世代のジュラ紀の2億年前そして6500万年前恐竜が滅びたと言われているメキシコのユカタン半島に隕石が落ちたのが第五回目の大絶滅だと記されていた。地球上の生物は大絶滅をくぐり抜けながら発展してきた過程では強いものが勝ち残ったのではなく弱いものが生物の命を繋いで来たことを知ると、いま地球上で霊長類の長、また生物の頂点にあるホモ・サピエンスの絶対的な消費資本主義経済で地球の気候までが変化している現在、そして今回のウクライナではロシアの一方的な侵攻によって戦争の火蓋が切られた結果、今世界は世界大戦への拡大が心配されている、そして大国が保有する核兵器の数は地球を何回も絶滅させるだけの分量があると言われている、もしホモ・サピエンスが核兵器を使用すれば地球は第六回目の全地球絶滅へと向かう事は分かっているから、一刻も早くウクライナとロシアの戦争を終結させなければと思うも個人の力ではどうしようもないと空しい毎日が続く・・・そして歴史が語る様に一番強いホモ・サピエンスが核戦争がが起きれば一番に滅びることが決まっている、そして哀しいのは地球の歴史で全絶滅をホモ・サピエンスが自らの手で起こすとなれば宇宙の歴史が始まって以来の愚かな出来事と・・・どうかホモ・サピエンスが自らの手で全絶滅だけは絶対避けなければならないとおもった。

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