中島省三の湖畔通信

フイルムカメラのシャッター音

2022/11/18

カメラと言えばフイルムを入れなければ写真が撮れなかった時代を過ごした、僕は今でも時々、フイルムをカメラに入れて撮影を楽しんでいる、今日は友人のSさんが親類からもらった、ニコマート(フイルムカメラ)を持て遊びに来た。ニコマートはニコンFの廉価版として1960年代で人気があったカメラだ。頑丈で精密感あふれるカメラは50年以上経った今もフイルムを入れれば写真が撮れる名機だ。Sさんのカメラは露出計が故障しているから露出は?とデジカメのオートカメラに馴れた事もあり、もう一度フイルムカメラの使い方を尋ねるために・・・僕も久しぶりに晴れの16を思い出すも、やはり露出計を持って友人と三井寺へ紅葉を撮りに出かけた。三井寺の紅葉は見頃で大勢の観光客で賑わっていた。ネガフイルムでの露出はシビアでないからと露出計の指針を読みSさんに伝えた。紅葉と建物を入れSさんが真剣に構図を決めてシャッターを押すと懐かしいパシャとシャッター音がした。久しぶりにカメラのシャッター音を聞くと、懐かしいカメラ少年の時代が蘇ってきた。でもフイルムカメラの時代には戻る事はないと、テクノロジーの進化は之から先、デジカメに代わる未来のカメラはと考えた。カメラと呼ぶ映像記録装置は別名になっていると、もしかしたらホモ・サピエンスの時代は終わっているのではと思った。

賑わう湖上・・・

2022/11/17

晩秋の琵琶湖の湖面は渡り鳥の大群で賑わっている、何時もならオオバンが多いが、今年はマガモやキンクロハジロが目立つ、ユリカモメは最近、少し見かけたが今日は見かけなかった。そして湖岸には狩りの名手のチュウサギ君が餌を探していた。此のシラサギは人を認知しているのか人が三メートルの距離に近づいても逃げない、僕も毎日と言っていいほど顔を会わしているから認知されていると、今日も二メートルに距離を詰めても飛び立たない、本当は飛び立つシーンを撮りたかったが諦めて広い構図で撮った。今日は暖かく午後遅く湖岸へ向かった。ベンチで文庫本を読みながらマジックアワーを待った。本を閉じて湖畔へ向かうと件のシラサギ君が佇んで哲学しているように見えた。シラサギ君は息を凝らし神経を集中して餌を探しているだけだが絵になるとデジカメのシャッターを押した。マジックアワーの美しい琵琶湖に佇んでいると浮世の悩みを忘れた。

二枚目写真は疎水閘門の工事、僕は閘門の扉がモーターで動作さすための工事かと思っていたら、閘門扉を切断して取り外し、新しく製作する?大掛かりな工事とは思っていなかった。

太陽のスポットライト

2022/11/16

去年の秋よりも今年の秋は短く感じるのは気候変動の影響かと思った。夕方、湖岸ポタリングに向かうと観光船ミシガン号がスポットライトに照らされ浜大津港第二桟橋に接岸した?浜大津港に大きなスポットライトなどの設備はなく、晩秋の太陽光線が雲?建物?に遮られ、限られた光線だけがミシガン号に当てられた様に見え、背景は影で黒いから余計にスポットライト効果が感じられた。陰りを感じる黄昏時の光には憂いを感じた。打出浜から湖上を見ると、此方は夕日が分断された様に見えた。琵琶湖は少し風もあり冬が近いことを知らせているようにおもった。湖岸に佇んでいると一抹の寂しさを感じるのは、最近、年上の友人が亡くなったからだ。長年、山スキーでお世話になったNさんが8月に他界されたことを知った。遠くは新潟の浅草岳、そして御岳、乗鞍、白山へ、山スキーに連れてもらった事は遠い思い出になってしまうのかと、新雪の斜面をテレマークスキーや山スキーで滑り降りた快感は今も忘れることは出来ないと山スキーの大先輩Nさんの冥福を黄昏の空に祈った。

21世紀のホモ・サピエンス

2022/11/15

今日「ホモ・デウス」(ユヴァル・ノア・ハラリ著)上、を読み終えた。7万年前にアフリカを出たホモ・サピエンスの物語は楽しさと悲しさを感じる雄大な時間は本にしてみれば文庫本300ページだ。そんな短い時間で全てが分かるわけではないが、本の中にではホモ・サピエンスが地球を制覇出来たのは協力できる能力を備えていたからと記してあった。テレビのニュースがG20首脳会議を伝えている、中国の首相習氏とアメリカの大統領バイデン氏が話し合いの席に座っている映像を見ながらホモ・サピエンスの発展してきたのは協力できたからだとおもった。本に書いてあることが全て正しいとはおもわないが、大きな戦争に発展しないのはホモ・サピエンスがコミュニケーションがとれ協力できるからだ、でもウクライナの戦争の事を考えると宗教や言葉そして地域格差の問題も多く簡単には解決しない問題も在る、そして本の中では飢餓問題は過去の様に書かれているが現にアフリカのソマリアでは飢餓状態が伝えられている、いくらテクノロジー文明が発達しても解決出来ないこともあるのではと思った。

短い秋

2022/11/14

近年、秋が短くなったと感じるのは僕だけではないと思った。虫の声が、してこないのも不思議だ。我が家は築90十年を超える古い家だ。子供の頃、此の時期になるとコオロギの鳴き声が聞こえると祖母がボッコ?綴れと冬支度をするように鳴いていると教えてくれた懐かしい思い出も記憶の彼方へと消えそうだ。今朝、小さなコオロギを洗面所で見かけ、掴んで庭へ放した。家の裏となりの民家と庭も壊された影響か我が家の庭では空蝉の数も少なかった。秋と言えば虫たちの合奏が彼方此方から聞こえてくるのが秋だった。そんな情緒を必要としなくなったのかとホモ・サピエンスの君臨する地球にも変化が起きているのではとおもった。近未来はAIロボットが君臨する地球では情緒など必要ない人工?テクノロージ文明の世界では生命体の必要は無いのではと耳を澄ますと電化製品のノイズが耳に入ってきた。

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