楽しく読める本・・・
2022/06/06
読書時間と言っても一日の中で1時間から2時間では本が好きだとは言えないと思った。昨日、「第一藝文社をさがして」(早田リツ子著)を読み終えた。何時もなら併読しながら少しづつ読むのだが、今回は集中したのは地元大津から始まる物語だからと思うが・・そうではない人物伝?なのに推理小説のように次の展開が気になり、中塚道祐氏の動きを知りたくなりページを繰った。それは、書き手の早田さんの取材力と表現力で人物に魅力を感じたからとおもった。中塚道祐は少年時代から映画好きで多趣味だ、いけばなの世界へと、そして出版業では北川冬彦氏「純粋映画記」、伊丹万作氏「影画雑記」、滋野辰彦氏「映画探求」を発刊そして季刊「シナリオ研究」と映画専門書多く出版されたことなどを知り、僕の生まれる前の大津の桝屋町には素晴らしい出版社があった事に驚き、自称映画好きの僕は知らないことの多さを恥じながら本を読み進んだ。戦後は真野での事業の失敗もありながら本の事業からは離れずに生きる中塚道祐氏に集中できた。本は中塚氏だけでなく交遊関係のあった詩人らまでも話は広がり時代背景も良く分かり友人との繋がりを大切にした中塚道祐の人柄までが浮かんできた。本の中には知っている人の名前も出てきた、詩人の大野新さんとは何度かお会いした時に天野忠さんの事も話して頂いたことを思い出したりと楽しい方向に広がった本だった。最後に中塚道祐氏の詩、「中道」なんて かっこいいこといっている お前たち 本当は保守なんだろう を読んだ時に今の野党のことだとおもった。
一夜開ければ・・・
2022/06/05
一夜開ければ・・・昨日、イベントの百円商店街で賑わった大津の商店街は寂れた日常の姿に戻っていた。ドーナツ化現象で全国的に旧市街の商店街は衰退の一途を辿っているのが現実だ。今日も三井寺観音堂の展望台から見る西大津方向は湖岸にはマンション群が衝立の様に並ぶ風景は発展する大津市街に見えるが、先日、三井寺観音堂書院での「めぐる水」展で僕が1975年に展望台より西大津方向を撮影した写真には高層マンションなど存在せず、甍屋根の住宅と遠くには田畑が見える風景は琵琶湖も一望でき長閑な西大津が写っている写真を見た、友人がパワーを感じる写真だね、と言った。高層マンションも写っていない写真から、町の生活には商店街や小さな小売店があり、それなりに賑わいもあったからだと往時を思い出した。西大津は大津京と呼び名が変わった。大型店が増えマンションが増えただけで、別に魅力ある町にはならなかった。でも昨日の百円商店街では多くの人が訪れ賑わう集客力はあるのだからと日常の閑散とした商店街に何が足りないのかと人気のない商店街をデジカメで撮った。
青空の怖さ
2022/06/04
今日も琵琶湖の上空には雲もなく青空が広がっている、湖岸に佇んで空を見上げても不安を感じることがない青空だと思った。以前読んだ、藤原新也の全東洋街道(下)の中、空の住居で藤原氏が空の青は深海のように青黒く、それを見ていると、高い所に立った時のように身体がゾクッとして、真青な空の方に落ちて行くような気がする。と語っている、そんな怖さを感じる青空を見たことはないが1980年代に赤道直下のセイシェルへ取材で訪れた時に見た青空の印象が強く、帰ってから琵琶湖を空から撮影しようとするも青空が冴えないので何日も撮影を延ばしていたがインド洋の真ん中と日本では違うと諦めて八尾空港へ向かった事を思い出した。そして春の山スキーで御岳山頂から見た青空も美しかったが怖さは感じなかった。僕の操縦した飛行機は3000メートルが限度だ、今日も青空を見ていると、高性能の飛行機なら一万メートルの高さで怖いほど真青な空を飛行して大空の深海へとダイブして見たいと、空を見上げると心なしか体が少し軽くなった、気がした。
ベースロード電源
2022/06/03
ロシアがウクライナに侵攻して早、三ヶ月が過ぎた。ウクライナでは多くの市民が犠牲となり、町が破壊尽くされ、今なお戦闘は続いていて停戦の兆しも見えない、一刻も早く停戦条約が結ばれる事を願うしかないと今日もニュースを見た。そして天然ガスの供給はロシアに対する経済制裁で使用も制限される中、また原発がベースロード電源として見直され始めた。今日も琵琶湖は北西風が吹いていた。若狭の原発群には老朽原発があり、再稼働が準備されているが、もし老朽原発が事故を起こせば琵琶湖が放射能に汚染されれば近畿1400万人の命の水が失われる事は誰もが知っている事だ。打出浜では小学生が課外授業?で湖岸を訪れていた。先生は子どもたちに琵琶湖の彼方に原発が多くある事を教えているのだろうかと黄色の帽子の学童を見送った。
青空の思考
2022/06/02
デジカメのファインダーの中は青色世界だ。少年時代から青色が好きで何時も空を見上げていた。近くに在った練兵場から離陸した、赤トンボと言われる少年航空兵が練習する中間練習機が青空で宙返りをしていた。其の青空から77年の時が流れた。今日の青空は空中戦の練習する飛行機など見当たらない真っ青な青空をスマホで撮ってFBにアップした。その青空フォトを見て、友人のHさんが素晴らしいコメントを送ってくれた。其のコメントは「もはや物は存在しない!?」であった。改めてパソコンにアップした青空を見て、僕の青空の思考はと考えた。毎日、毎日、湖岸に佇み琵琶湖と空を見上げ何回デジカメのシャッターを切って写真を撮ったことかと振り返るも何も答えは帰ってこない、今日も青空が広がるだけで何も変わりはしないと、また自転車を出して湖岸へ向かった。湖岸に佇んで青空を見ているとアーサーCクラークのSF小説「地球幼年期の終わり」を思い出した。そしてHさんのコメント もはや物は存在しない を思い浮かべ青空を見た。