中島省三の湖畔通信

ゴダールの映画ポスター

2022/09/15

ジャン=リュック・ゴダールが亡くなった事をテレビニュースが伝えていた。僕にとっては国葬の話題に登場する人よりも遥かに大切な人だ。1980年代、僕が自主制作映画に没頭していた時に出会った素晴らしい映画を作る監督だ、たしか京都の祇園会館で、ゴダールの「右側に気をつけろ」とタルコフスキーの「ノスタルジア」と二本立てだったと記憶している?そして僕はゴダールの映画を見る為に入った祇園会館で初めてタルコフスキーの映画「ノスタルジア」の映像美に感動してしまいゴダールの映画の記憶は飛んでしまった事を思い出した。もちろんゴダールの斬新で誰も真似することの出来ない映画も好きだ。特に好きなのはSF好きな事もあり「アルファビル」が好きだ。2018年に見た「イメージの本」は年齢を感じさせない瑞々しい映像感覚で表現した映像は今も僕の脳裏に焼き付いている、「気狂いピエロ」も楽しい映画だった。僕の制作した16ミリ自主制作映画「橋姫水神伝説」もゴダールの映画を真似たシーンもあるが、映画は失敗作で見るのも恥ずかしい映画だ。今日は、ゴダールのポスターが何時も見られる近くのカフェ「サライ」へ出かけた。映画「勝手にしやがれ」のポスターは隅っこに置かれていた。でも経年変化で僕の想像していたよりも傷みが酷く主演のジャン・ポールベルモントの顔が消えているが、ポスターは、まだ存在感を残しゴダールの代表作「勝手にしやがれ」の残像を浮かび上がらせていた。

セスジスズメガの幼虫

2022/09/14

何時もの散歩で三井寺へ向かう途中、三尾神社の傍らの路上で黒い芋虫?を見つけ立ち止って恒例のスマホのグウグルレンズを使用すると即、結果が出た。セスジスズメガの幼虫と分かった。写真を撮るのを忘れるぐらいデザインの素晴らしい幼虫を暫く眺めた。尖った方が頭だが、お尻の方も幼虫の顔の様にも見え、敵を欺くためのデザインではと感心しながらスマホで撮った。成虫は湖畔通信にもアップしているが、デザインの美しさは幼虫の方が素晴らしいとおもった。そしてデジカメを持っていなかった事を悔やんだ。珍しいモノはやはりデジカメで撮り、記録しておきたいからだ。でも最近のスマホのカメラは良く撮れ、コンパクトデジカメの市場は無くなる筈だと思った。湖岸ポタリングは自転車なので重さを気にせずにデジイチ持参だが被写体も少ない此の時期は苦労すると湖上を見渡した。観光船ミシガン号もデッキで景色を楽しむ姿も少なく、インバウンドで賑わっていた頃が思い出され、少し寂しく感じた。外来魚駆除が効を果たしたのかブラックバスも最近は数も少なく、それに比例して釣り人の姿も少なくなった。今日は珍しく少人数のグループが湖岸で見られた。

浜大津港のガチョウ

2022/09/13

浜大津港にはガチョウが放し飼いされている、時には遊覧船の係留されている横を隊列を組んでスイスイと湖上を行く姿を撮ったこともあった。意外と鳴き声はうるさく、たった五羽でも騒がしく遠くからでも其の声が聞こえる存在感のある鳥だ。アヒルは鴨から、そしてガチョウは雁から、変化した家禽の鳥で歴史も古くガチョウはエジプト時代から飼育されていたそうだ。アヒルは嘴が可愛く見えるが、ガチョウの写真を詳しく見ると正しく巨竜のイメージだ。浜大津港のガチョウはシナガチョウで嘴のコブが特徴で誰が見てもアヒルと見間違うことはないと思いながら写真に撮った。浜大津港周辺で見られる鳥はシラサギ、アオサギ、そしてガチョウ、カワウが大型の鳥だ。カルガモも数羽見かけるだけの寂しい鳥たちの世界だが、間もなく渡り鳥のシーズンになるとオオバンらの水鳥の大群がやってきて湖上は賑やかになると秋本番だ。

月曜日に乾杯?

2022/09/12

月曜日と言っても暇老人には曜日は関係ないと湖岸に佇んでいると、古い映画をおもいだした。古いと言っても2003年製作のフランス映画「月曜日に乾杯」だ。僕の好きな監督の一人、グルジア?今はジョージア出身のオタール・イオセリアーニ監督の映画でワンシーン・ワンショットで構成された流れるように滑らかに切り替わるシーンに感心しながら見た事も思い出した。主人公ヴァンサンは毎日、一時間半もかけて通勤している、ある日の月曜日、会社には出勤せずに気の赴くまま旅にでてしまう物語だ。軽快なカメラワークとテンポ良く進むロードムービーは二時間の長さを感じさせなかった。重い空気が漂う此の国の現状を抜け出すには時には仕事を休んで旅に出るのも良いのではと琵琶湖を眺めた。我が家の長男は月曜日の今日、旅に出た、映画のように長期間、旅することは出来ないが・・・

希望の国・・・

2022/09/11

友人が記した「本の暇つぶし」の中で気になる本が見つかり中井書店で取り寄せた。其の本「希望の国のエクソダス」(村上龍)を読み始めた。今から22年も前に文藝春秋社から刊行されたのに、時代の流れを感じないのは小説の内容が今の時代ではと思えたからだ。本の刊行された時代からすれば近未来が現代ではと数ページ読んで物語に引き込まれた。物語は中学生が、あることを切っ掛けに行動を起こして、北海道に日本から独立して国をつくる話だと簡単な説明をパソコンで見た。二十数年前に書かれた本は何冊か読んだ。其の頃でも悪かった政治や経済の状況よりも悪くなった現実の中に暮らしていると、これから先、もっと悪くなってくる社会をどう生き延びるのかと・・・でも82歳の年金爺が之から先の社会のことなど考えても無駄だと分かっていても、余りにも悪すぎる政治や社会の歪が気になるが、何も出来ない自分は諦めるだけでは虚しさが残るだけだ。夕食後、パソコンの前で湖畔通信をかいていると、花火の音が聞こえた。浜大津港お祭り広場でのイベントのフィナーレーで打ち上げられている、本来なら写真でもと思うのだが、とても明るい気分にはなれないと花火を見るのを止めた。

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