中島省三の湖畔通信

防寒具

2022/02/17

寒波襲来と聞いて喜んで、山スキーに向かう準備をした、懐かしい時代を思い出した。僕の山スキーに通った?のは比良山が多く、皮製の登山靴、板は秀岳荘の単板で金具はフィトフェルト、そしてシールは、もちろんアザラシ皮だった。滑る技術もないのに無謀な単独行で雪の蓬莱山へスキー登山した、60年近く昔を思い出しながら、湖岸から雪雲に覆われた比良さんを眺めた。寒さの中、打出浜に佇んで琵琶湖の冬を楽しめるのも登山用の防寒具(ダウンウエア)のお陰だ。買ってから30年以上も長持ちしているのは僕の登山する比良山の様な低い山では山用のダウンウエアを着用する機会がなかったからだ。友人のNさんの案内で御岳や乗鞍そして白山へ向かうのは3月4月で厳冬期ではないからダウンウエアは必要がなかった。そして最近は暖冬で真冬でも本格的な山用のダウンウエアは着ることがなく年に一度使用するくらいだ、三十年も前の赤いダウンジャケットは手を抜かずに造られた製品だから今も充分に使用できるライフサイクルの長さに感心した。最近に買ったモンベルのダウンは町用には最適で常時使用しているから長持ちはしないのではとおもった。

今日の新聞から・・

2022/02/16

今日の朝日新聞から・・・耕論 国民的議論できるもの?では橋本大二郎さん(元高知県知事)は政治家として放射能の核のゴミの処分場問題で国が押し付ける事で地方での住民が分断される内情を語っていた。伊藤浩志さん(科学ライター)は2011年に起きた福島原発事故を取り上げ安心と安全の議論に付いて語っていた。僕が一番興味を持て読んだのは、最上の妥協点 探る国なら、としてニールセン北村朋子さん(文化翻訳者)が今暮しているデンマークでの議論の様子を語っていた。デンマークは日本よりも遥かに大人の国だと感じた。最初は気候変動での再生エネルギーの問題での議論では、基幹産業の一つで二酸化炭素の排出量の多い養豚業を減らそうという議論では農業関係者から消費者そして利害関係者を交えての議論などを例に挙げ、議論の出来る国の良い面を語り・・最後に・・大事なことを話し合わないと次世代に責任を持てない。子や孫の未来を奪ってしまう。ここでは「話し合う時間や余裕がない」などと言ったら、「なぜ議論しないのか、時間をかけないのか、ほかに大事なことがあるのか」と不思議がられるでしょう。と結んでいた。うむ・・先進国は違うと感心した。そして、僕が参加していた反原発の集会も反対する人ばかりの集まりでは原発廃止に向けての議論は進まないのではとおもった。そして気候変動のことも気になった、僕に出来るのは大好きな牛肉を控えるぐらいかと呑気に笑っている時ではない、真剣に議論を始めなければ温暖化は進むばかりだとおもった。

PCR検査

2022/02/15

コロナ感染者の数も増して身近なところでも・・僕も濃厚接触者となったが、保健所からの連絡もオミクロン株になって無くなったのか、PCR検査もスマホやパソコンでの申し込みに、僕も今日、手続きをしたが、2日か3日後に検査キットが送られてきて、それに唾液を添えて送り返すと2日後に陽性なら保健所から連絡があると説明してあった。随分と悠長な検査に少し戸惑った。此方は高齢者、もし発病すればどう対応するのかと思った。三回目のワクチン接種も終わっている事もあり大丈夫だと思った。早くPCR検査を済ませて大手を振って出かけたいものだ。陰性なら連絡はないそうだ。もうコロナは第五類として風邪並みにする方が良いのではと思うこの頃だ。

三年目に入った・・・

2022/02/14

三年目に入った新型コロナ時代?人生のファイナルの貴重な時をコロナの所為で窮屈な暮しを強いられるとは想像すら出来なかった。友人との飲み会も自由にできず、最近はコロナが恨めしくなってきた。でも悪いことばかりではないと思うのは、落ち着いて本が読める時間が出来たお陰で、長編小説も読むことが出来たと少しコロナ禍の時代に感謝?しなければと思った。ただ写真に関しては最近、同じ場所ばかりでマンネリ化したと今日の湖岸ポタリングで撮影した写真を見て思った。今日も100枚ほど撮ったがイマイチなものばかりと少し物足りなさを感じた。近場でも探せば新しい発見もあるのだが、冬場は少し体調(お腹の調子)も悪く内面的にはトーンダウンしているが、見かけは元気なので、人様から見れば元気な爺に見えるから、此方も少し虚勢で対応しているのが現状だ。早くコロナが終息して友人仲間と楽しく出会える日が待ち遠しく感じるこの頃だ。

今日の青空に春を感じて、少し気分が明るくなった。

死せるキリスト・・・

2022/02/13

今読んでいるドストエフスキーの「白痴」二部の中にムイシキン公爵がロゴ−ジンの家を訪ね帰り際に目にする絵がハンス・ホルバインの「死せるキリスト」のコピーを見る、シーンで僕は本を読むのを留めた。絵が気になり読み進むことが出来ず、直ぐにパソコンで検索すると、16世紀のドイツの画家、ハンス・ホルバインの「死せるキリスト」の画像を見てあまりのリアルさに驚いた。磔から降ろされ、傷ついたキリストの姿は墓の中で横たわっている絵に少し衝撃を受けた。そして僕は本(白痴)を読み進んだ。やはり無宗教?に近い僕はキリスト教が背景にある小説を100%理解することは出来ないが、新訳のお陰で少しは理解でき、其の上、パソコンという文明の利器を利用すると絵画(名画)までも見られ読書の厚みがプラスされ小説の背景を少し想像することも出来たと、便利な時代に感謝した。そして仏教が盛んな此の国では宗教絵画と言えば寺院や美術館で鑑賞できるが宗教心よりも芸術?優先で見てしまい描かれた作品の時代背景までを想像できる、知識の無い僕は眺めるだけだ。幼い頃、祖母に連れられて、お彼岸には近くのお寺で展示される、地獄絵図や涅槃図を見ながら信心深い祖母が、お釈迦様の話や地獄極楽の話をしてくれたことを懐かしく思い出してきた。そし日本の仏教のことも学ばねばと少し反省した。

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