湖上の積雲
2022/01/19
今日も琵琶湖上空では積雲が豊かに活動して雲好きの僕には嬉しい日となった。積雲は低い高度で遊んでいるから僕が乗っていたセスナやスーパーカブ等の小型飛行機でも雲と戯れる事が出来たから、今でも好きな雲は?と聞かれたら、積雲に決まりだ。打出浜湖岸から湖上を見ると、比叡山と比良山の間を抜ける偏西風の影響を受けてか?時々、三段重ねの積雲や時には、レンズ雲も、今日は三段重ねの積雲だ。高度も三千フィートから五千フィート位だと想像した。辺りを見ると、におの浜のパビリオンではリモートワーク実証実験が始まったのか中で仕事をしている人を見かけた。コロナ禍の中で有名となったリモートワークだが出来る仕事はパソコンだが、美しい琵琶湖を眺めていては仕事に集中出来ないのではとパビリオンを見て思った。湖上の積雲は躍動しながら在るものは雪雲と合体?して雪雲のカーテンが風に揺れているようにも見えた。素晴らしい積雲のショーを湖岸から暫し楽しみ帰路についた。
大津アレックスシネマ
2022/01/18
今日は一段と冬型が強まり湖岸は風も強く時々雪が舞う条件では湖岸ポタリングを楽しむどころではないと早めに切り上げた。午後は3月で閉館が決まった、大津アレックスシネマで「マークスマン」(監督ロバート・ロレンツ)108分アメリカ映画を見ようと出かけた。館内に入ると何時もどおり静な佇まいでチケット売り場は売店併用で誰も並んでいなかった。客席に向かうと今日は5人ほどが既に座っていた。今日はアクション映画だから、何時もより多いとおもった。此の映画館はマネジャーの好みで上映する映画を選んでくれたから京都でも上映されない映画も暫し見ることが出来た事に感謝しながら上映を待った。マークスマンはアクション映画だが静に始まった。少年と元狙撃兵との物語に犬までが絡んでくる画面を見ていると西部劇のシェーンを思い出した。久しぶりのアメリカ映画は何も考えずに楽しく見られた。ど派手なアクションもなく爺には丁度の娯楽作品だった。映画を見終え琵琶湖が見えるガラス張りのロービーに向かうと琵琶湖の夕景が見られた。大津アレックスシネマの楽しみは映画の余韻を保ちながら美しい琵琶湖の風景が見られる唯一の映画館だったから閉館になってしまうのは残念だと琵琶湖夕景を写真に収めた。
リモートワーク
2022/01/17
湖岸のパビリオンは知人Iさんが伝えてくれた通り、リモートワークの実験施設だった。湖岸ポタリングで、カフェタイムに寄った。そして常連のYさん達との会話で湖岸のパビリオンが話題になった。リモートワークの実証実験の期間は今月末と短く正確なデーターが取れるのかなと・・そして年度末の予算消費ではと僕は思った。帰り際ににおの浜湖岸のパビリオンを写真に撮っていると、既に中でリモートワークをされている人がいるのに気がついた。近未来の働く姿はと想像すると、アナログ時代に生きた爺にはSF映画のワンシーンに見えた。映画はゴダールが1965年にグランプリを獲った映画「アルファヴィル」ではコンピューターが国を統率している社会が描かれたSF映画だった。リモートワークがそんなに進んでいるとは僕は思っていないから、そんな施設より湖畔のカフェの方が良いのではと考えるも、僕はもともと湖岸の空間にモノを建てるのは好ましくないと思っているから何もない広い空間のままが良いと、におの浜湖岸から遮るものがない極上の琵琶湖の風景を楽しんだ。
湖岸のパビリオン?
2022/01/16
休日の湖岸はオミクロン株による新型コロナ感染者が急増している事もあり休日としては人出が少なく感じた。湖岸ポタリングで膳所公園へ向かう途中、におの浜ではパビリオンが建設中だと言っても巨大なものではないが近未来を感じるデザインの簡易なパビリオンが湖岸に出現した。プレハブ風だが、お洒落なデザインで思わず写真に撮った。そしてFBにアップするとマスコミ関係の知人Iさんから、コメントがあった。人に会わずネットで仕事ができる、リモートワーク実証実験の部屋だと思うと記してあった。僕はお洒落なカフェかレストランかと思っていたから少し残念だ。でもスケルトンで中は丸見えだから人に会わないが、湖岸を歩く人からは丸見えでは会わない代わりに見られるのではと思った。不思議な時代になったものだ、会うのは嫌だが見られるのは良いのかと、少し矛盾を感じた。
カラマーゾフの兄弟を・・・
2022/01/15
「カラマーゾフの兄弟」をやっと今日、読み終えたと言っても理解できたかは別問題だ。楽しく最後まで読めたのは偏に亀山郁夫氏の訳が良かった、お陰だとおもった。四部の最初の少年たちでは兄弟から話が外れているのではと思ったがコーリヤ・クラソートキンとイリューシャの二人の少年とカラマーゾフの三男アリョーシャの話はすごく興味を持って読めた。少年時代の子供たちの心の有り様まで感じられ僕の少年時代と比べたりもしながらページを捲った。ロシアの19世紀の裁判が意外と現在の裁判と似ているとおもった、長男ミーチャを、事件当時から父親殺しと決めつけて裁判で論告する検事イッポリートの姿は我が国の検察制度と同じではと考えてしまった。弁護士フェチュコーヴィチの素晴らしい弁護は裁判のシーンでは流石一流だと・・こんな素晴らしい弁護士は日本にいるのだろかと・・そして優秀な弁護士はきっと存在しているとおもいながら四部を読み終えた。カラマーゾフの兄弟の中では際立って長男ミーチャに魅力を感じるのは・・破天荒な生き方か・・恋愛上手?・・野性的魅力・・と小説や映画のヒーロは常識人より少し小悪党、小悪魔、堕天使的な方が人々を魅了するからではと本を閉じた。本の中ではドストエフスキーの名言が多く、物語の中で、多くの人物によって語られ、思わず自分の人生を反省したりとコロナ禍の時代、にカラマーゾフの兄弟を読めたのは良かったのではおもった。
追 カラマーゾフの兄弟5のエピローグでは、アリョーシャとコーリャ達の少年たちと、友情を語り合うシーンで物語は終わることに・・少し戸惑いも感じた・・・そして続きの、ドストエフスキーの生涯を少し読み、少年時代、新訳聖書と旧約聖書を愛読したとあり・・僕は一度も聖書を読んだこともないし、仏教徒と言っても南無阿弥陀仏ぐらいでは宗教心は無いに等しいとおもっているから、外国の小説はキリスト教が深く関わっていると言われているから、ドストエフスキーの深い考えと、小説の深部まではとても考える事は出来無いが、生きる事の難しさや悲しさ、儚さぐらいは感じ取れたのではないかと別巻エピローグを読み終え、続いてドストエフスキーの生涯(亀山郁夫)を読もうとおもった。

















