剪定
2022/06/08
我が家の横庭には僕の中学生の頃、父が氏神早尾神社の御旅所に場所を貸してから庭の真ん中には小さな社が鎮座ましていて、60年以上が過ぎた。庭にはツツジが4本あり、ここ数年前から我が家の庭木を剪定してくれる植木屋さんに一年一回の12月の剪定ではツツジの花芽を刈り取ってしまうので花が咲き終わった頃、剪定したほうが良いと言われ、それから僕が剪定をするようになった。両手で使う剪定バサミでは疲れるので友人から電動バサミを借りて数年剪定していたが、余りにも木を刈り込み過ぎたり、木を雑に扱っている様に感じ、ここ三年前から両手で使う剪定ばさみでやり始めた。其れからは花が多く咲くようになり、丁寧にやれば木も答えてくれているのだと思うようになった。剪定は一日に一本程度が82歳の爺にはちょうどの作業で、昨日と今日で三本剪定できたのは上出来だ。植木職人の様に形が整えるまでに至っていないがまあまあの出来と自画自賛しながらツツジを見ると少し刈り込み過ぎたのか風通しの良くなったツツジが風邪を曳きそうだと自分の技の未熟さを反省した。未熟さは剪定だけではなくハサミの刃を欠かせ近くの研ぎ屋のお世話にもなった。残すは後、一本となった。腕が痛むので明日はおやすみだ。
昨日は二輪だったフリージアラクサが今日は三輪に、何だか嬉しくなった。
五大絶滅?
2022/06/07
久しぶりに読みかけの本「地球外生命」(小林憲正著)を読んだ。宇宙物は好きでSF小説から宇宙の歴史らに関する本と言っても専門書でないから少し軽い気持ちで壮大な気分になれるから少年時代から好きだった。今日は第三章知的生命への進化、を読んだ。46億年の歴史のある地球に生命が誕生したのは、今から6億年前と言われているから地球の歴史から見れば、つい最近の事だ、五大絶滅の歴史は、現代から4・4億年前古世代オルドビス紀、3・6億年前デボン紀、古世代と中世代の間2・5億年前、中世代のジュラ紀の2億年前そして6500万年前恐竜が滅びたと言われているメキシコのユカタン半島に隕石が落ちたのが第五回目の大絶滅だと記されていた。地球上の生物は大絶滅をくぐり抜けながら発展してきた過程では強いものが勝ち残ったのではなく弱いものが生物の命を繋いで来たことを知ると、いま地球上で霊長類の長、また生物の頂点にあるホモ・サピエンスの絶対的な消費資本主義経済で地球の気候までが変化している現在、そして今回のウクライナではロシアの一方的な侵攻によって戦争の火蓋が切られた結果、今世界は世界大戦への拡大が心配されている、そして大国が保有する核兵器の数は地球を何回も絶滅させるだけの分量があると言われている、もしホモ・サピエンスが核兵器を使用すれば地球は第六回目の全地球絶滅へと向かう事は分かっているから、一刻も早くウクライナとロシアの戦争を終結させなければと思うも個人の力ではどうしようもないと空しい毎日が続く・・・そして歴史が語る様に一番強いホモ・サピエンスが核戦争がが起きれば一番に滅びることが決まっている、そして哀しいのは地球の歴史で全絶滅をホモ・サピエンスが自らの手で起こすとなれば宇宙の歴史が始まって以来の愚かな出来事と・・・どうかホモ・サピエンスが自らの手で全絶滅だけは絶対避けなければならないとおもった。
楽しく読める本・・・
2022/06/06
読書時間と言っても一日の中で1時間から2時間では本が好きだとは言えないと思った。昨日、「第一藝文社をさがして」(早田リツ子著)を読み終えた。何時もなら併読しながら少しづつ読むのだが、今回は集中したのは地元大津から始まる物語だからと思うが・・そうではない人物伝?なのに推理小説のように次の展開が気になり、中塚道祐氏の動きを知りたくなりページを繰った。それは、書き手の早田さんの取材力と表現力で人物に魅力を感じたからとおもった。中塚道祐は少年時代から映画好きで多趣味だ、いけばなの世界へと、そして出版業では北川冬彦氏「純粋映画記」、伊丹万作氏「影画雑記」、滋野辰彦氏「映画探求」を発刊そして季刊「シナリオ研究」と映画専門書多く出版されたことなどを知り、僕の生まれる前の大津の桝屋町には素晴らしい出版社があった事に驚き、自称映画好きの僕は知らないことの多さを恥じながら本を読み進んだ。戦後は真野での事業の失敗もありながら本の事業からは離れずに生きる中塚道祐氏に集中できた。本は中塚氏だけでなく交遊関係のあった詩人らまでも話は広がり時代背景も良く分かり友人との繋がりを大切にした中塚道祐の人柄までが浮かんできた。本の中には知っている人の名前も出てきた、詩人の大野新さんとは何度かお会いした時に天野忠さんの事も話して頂いたことを思い出したりと楽しい方向に広がった本だった。最後に中塚道祐氏の詩、「中道」なんて かっこいいこといっている お前たち 本当は保守なんだろう を読んだ時に今の野党のことだとおもった。
一夜開ければ・・・
2022/06/05
一夜開ければ・・・昨日、イベントの百円商店街で賑わった大津の商店街は寂れた日常の姿に戻っていた。ドーナツ化現象で全国的に旧市街の商店街は衰退の一途を辿っているのが現実だ。今日も三井寺観音堂の展望台から見る西大津方向は湖岸にはマンション群が衝立の様に並ぶ風景は発展する大津市街に見えるが、先日、三井寺観音堂書院での「めぐる水」展で僕が1975年に展望台より西大津方向を撮影した写真には高層マンションなど存在せず、甍屋根の住宅と遠くには田畑が見える風景は琵琶湖も一望でき長閑な西大津が写っている写真を見た、友人がパワーを感じる写真だね、と言った。高層マンションも写っていない写真から、町の生活には商店街や小さな小売店があり、それなりに賑わいもあったからだと往時を思い出した。西大津は大津京と呼び名が変わった。大型店が増えマンションが増えただけで、別に魅力ある町にはならなかった。でも昨日の百円商店街では多くの人が訪れ賑わう集客力はあるのだからと日常の閑散とした商店街に何が足りないのかと人気のない商店街をデジカメで撮った。
青空の怖さ
2022/06/04
今日も琵琶湖の上空には雲もなく青空が広がっている、湖岸に佇んで空を見上げても不安を感じることがない青空だと思った。以前読んだ、藤原新也の全東洋街道(下)の中、空の住居で藤原氏が空の青は深海のように青黒く、それを見ていると、高い所に立った時のように身体がゾクッとして、真青な空の方に落ちて行くような気がする。と語っている、そんな怖さを感じる青空を見たことはないが1980年代に赤道直下のセイシェルへ取材で訪れた時に見た青空の印象が強く、帰ってから琵琶湖を空から撮影しようとするも青空が冴えないので何日も撮影を延ばしていたがインド洋の真ん中と日本では違うと諦めて八尾空港へ向かった事を思い出した。そして春の山スキーで御岳山頂から見た青空も美しかったが怖さは感じなかった。僕の操縦した飛行機は3000メートルが限度だ、今日も青空を見ていると、高性能の飛行機なら一万メートルの高さで怖いほど真青な空を飛行して大空の深海へとダイブして見たいと、空を見上げると心なしか体が少し軽くなった、気がした。

















