ウクライナの戦火を見て・・・
2022/03/23
連日、テレビが映し出すウクライナの戦火の中、逃げ惑う市民の姿や瓦礫と化した街の姿を見ているが、テレビの画面の中で感じる戦争は遠く離れた場所であり実感することは出来ない、ただ無事を祈るだけだ。そして戦争体験と言っても77年前の太平洋戦争時、僕は五歳だった。記憶にあるのは空襲を知らせるサイレンの警報音と母に連れられて三井寺に在った防空壕に避難した時の土臭い湿気った防空壕、と昼間、高度一万メートル以上を飛行するB29の編隊が銀色の機体を輝かせ悠々と青空を行くさまを見たぐらいで、空襲で逃げ惑う事もなく終戦を向かえ、空襲の修羅場の経験もなく戦争は終わった。だから本当の空襲の怖さは分かっていない、テレビから流れてくる戦争はイラク戦争の時にリアルタイムで放送されたのが始まりで、戦争ゲームを見ているような錯覚を受けた。その後もテレビが伝える戦争は此処ではなく彼処で起こっている戦争として唯テレビを見ている毎日だ。いくらテレビに向かって戦争反対と言っても空しいだけだ。そして一番注意しなければと思うのは我が国が世界情勢の混乱に乗じて核武装をすることなど在ってはならないと考えた。
三枚目写真はフイルム写真で4日前に撮ったものです。
全身小説家・・・
2022/03/22
雨の日の読書は進む・・昨日から読み始めた「苦役列車」(西村賢太)は短い小説で読み終え、同じ文庫本に記されている「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」を三井寺の茶房ながら亭で読んだ。私小説はと・・少し敬遠したが西村賢太氏の「どうで死ぬ身の一踊り」と「苦役列車」を読み終えた時に正直、好んで読む小説でもないとおもったが、読んでいるうちに小説家の置かれている困難な状況が浮き上がり作家の暮らす生活環境の臭いまでが文章の中から湧いて出てくる錯覚を覚えた。見たくもない作家の赤裸々な姿を見せられると引いてしまうほど、リアリティーに描かれる小説は凄いなと思った。そして数十年前に見た映画「全身小説家」原一男監督のドキュメンタリーで描かれた小説家井上光晴の映画を思い出した。見た内容は記憶の外へ消えたが、小説家の五年間の記録映画は今見れば違う形で深く見られたのではと思った。そして「落ちぶれた袖に涙のふりかかる」を読み終えた時、小説家が苦悶しながら生きる姿を垣間見せられ、小説の生まれる環境は、生優しさのない非情な世界の中で、小説を書ける作家は凄いと思った。そして僕が経験した事のない世界を描いた、小説家西村賢太氏の小説を読んで良かったと思った。
映画ともしび
2022/03/21
映画館で映画は見るものと言い続けていた、僕が最近では家のテレビ画面でAmazonnプライムビデオを見ている、昨夜は友人MOROさんが知らせてくれた、映画「ともしび」(監督アンドレア・パラオロ)イタリア・フランス・ベルギー制作93分を見た。映画用35ミリフイルムで撮影された映画と直に分かった。老夫婦が刑務所へ向かう車のガラスに風景が映り込むシーンの美しさに驚いた。そしてセリフも音楽も少なく、そしてカット数も少なく構成、少し長めのショットらの映像の美しさに感心しながら最後まで楽しめた。主演女優シャーロット・ランプリングの演技の素晴らしさが加わって久しぶりに好みの映画が見られた。やはり説明が少ない映画は想像しながら見るから画面から目を離すことがなかった。アンナ役のシャーロット・ランプラーが出演している映画、「スイミングプール」と「メランコリア」を見たのに記憶にないのは映像を主に見るのと監督の名前は記憶するが俳優さんを記憶する回路は僕には無いからだ。浜大津にあるアレックスシネマ大津も後、残すところ僅かとなった、何か見納めに見る映画はないか探してみようと思った。
今日の写真はフイルムカメラで撮った桜の写真を三枚載せることに、一枚目二枚目は本日撮影したものです。三枚目は昨日です。デジタルにはない柔らかさが時間を過去へ?
戦場カメラマン
2022/03/20
毎日、テレビや新聞が報道する戦場と化したウクライナから送られてくる映像や写真を見て戦火の中で逃げ惑う一般市民の事を思うと悲しさで胸が苦しくなる、一刻も早く戦争が終わることと市民の安全を祈るだけだ。そしてテレビから流れる戦火の状況が映し出される画面を見ていると戦場で命を賭して悲惨な戦場の様子を伝える戦場カメラマンが撮った第二次大戦の写真を思い出してきた。有名なキャパや日本の岡村昭彦(ベトナム戦争)らが撮った戦場の写真は何故、迫力とリアリティーが伝わって来たのかと考えた。今は撮影機材が発達した事もあり、近くで撮るよりも離れた場所からの撮影されたモノがほとんどでテレビ画面を見ていても映画を見ている様で戦場の緊迫感が伝わってこないのは、至近距離で被写体に肉薄して撮影するスタイルの戦場カメラマンの写真が少なくなったからだ。そして近代戦になりミサイルや新型の武器が多くなり以前の取材方法では命が幾つ在っても持たないからだ。キャパの写真は至近距離から戦火の様子を撮るから写真を見るものに撮った人の息遣いと硝煙の臭いまで感じ、戦場のリアリティーが写真を通じて、戦場の怖さや残忍さが伝わってくるからだと、現代の戦争報道写真(映像)の違いを感じた。僕は岡村昭彦氏が何時も言っていた、シャッター以前の言葉を思い出した。シャッターを切る前に思考を巡らせて撮る写真の重さは人の記憶にも深く残るのではと思った。
今日は福島のHさん提供の十年前?のデジカメ、ニコンD300を持ち出し湖岸を撮った。シャッター音が心地良く久しぶりに写真を撮っているなと感じた。一枚目二枚目がD300
小説家
2022/03/19
先日,亡くなった小説家、西村賢太氏は時々テレビで姿を見た事もあった、そして作品にも興味を持っていたが読む機会が無かった。敬遠していたのは重くて暗そうな小説と思っていたからだ。亡くなられた事を伝えるニュースを見てから、急に西村賢太の小説「苦役列車」を読みたくなり、近くの中井書店で注文するも品切れで手に入れる事が出来なかった。その後中井書店で文庫本コーナーを探していると「どうで死ぬ身の一踊り」が目に留まり買った。文庫本を開くと、藤沢清造の略歴が書かれたページを見て、これ小説と、戸惑った。略歴を読んだら、物語が始まった。西村賢太氏が敬愛する小説家藤沢清造への思いと拘り?西村氏と藤沢氏の類似点らが重なり合いながら進む私小説は赤裸々な小説家の日常が感じられる物語は、まだ読書中だ。僕は藤沢清造の小説を読むつもりはないが、小説家が自分の赤裸々な生き方を表現することが出来るのは小説家だからと思った。そして知人の小説家が数十年前に話していた事を思い出した。その小説家Sさん(女性)は以前、小説家は丸裸で通りを歩けなければ本物の小説家になれないと師匠に言われたと話していた事を思い出した。もちろん丸裸は自分の内面を全て曝け出すことができるかと言うことだ。特に私小説は赤裸々に自分を表現してこそ小説にリアリティーを感じると・・そして西村賢太氏の作品の凄さは赤裸々に自分の事を語っているから・・作品に重みのある生き様を感じるのではと思った。
疎水傍らのオカメザクラも咲き始めた。写真三枚目

















