毎日撮っている写真は・・・
2021/09/08
毎日撮っている写真は朝の散歩そして湖岸ポタリングでの叙景だ。今流行りのインスタ映えとは離れた写真で面白みには欠けていると思いながら今日もデジカメのシャッターを押した。昨日から読み始めた「インスタグラム」は創設者シストロムがインスタグラムを開設の準備段階からドキュメントした話で、写真から出発している事を知った。最初は玩具カメラ、ホルガ(フイルムカメラ)で写真を始めたことが切っ掛けでインスタグラムは今も6x6の正方形の画面なのかと・・そしてインスタ映えなる言葉もここから世界発信したと今頃、知ったと自分に笑った。以前に読んだ、藤原新也が本の中で自分はインスタ映えする写真は撮らないが、君らは君らの写真を・・・そして自分は自分の写真を撮ると言っていた事を思い出した。僕もインスタ映えに流されずに何時もの様に日常叙景を写真に撮って行こうと思った。
インスタグラム
2021/09/07
中井書店に注文していた本をが届いたので取りに行った。町の本屋を利用するのはインターネットを利用したくないからだ。でも矛盾している自分に腹立たしさを感じながら読む本はインスタグラムでは笑うしかないとページを開いた。「インスタグラム」サラ・フライヤー訳井口耕二、の帯にはビジネスの「美意識」は両立するか?に興味をもった。読み始めたばかりで内容は予測できないが、フェイスブックもインスタグラムの事も理解していない僕が敵(インスタグラムやフェイスブックそしてソーシャルメディア)?を理解する為にも読まねばと買った次第だ。もうすっかり敵に占拠された自分が今更でもないと諦めながら便利な時代の仕組みを考えたいとおもったからだ。最初のイントロダクションを読んで驚いた、フォロワーが五万人いれば、ブランドの依頼に応じた投稿で暮らせる程度の収入が得られるというのだが・・・そして、そのレベルなら2億人以上のユーザーがクリアしているとあり、格差社会は進むばかりだとおもった。こんな本を読んでも虚しくなるばかりではと、併読している「ホーキング宇宙を語る」の膨大な宇宙に感じる空しさの方が僕は好きだと確信した。
便利な時代の落とし穴?
2021/09/06
インターネットで繋がった社会は本当に便利なのか?SNSとソーシャルメディアは違うと言うことを今日知った。同じものと思っていたら間違っていた。パソコンだけで暮していた時代は長閑な時間が流れていた様に思うスマホを持ったのは山中で事故を起こしてからで6年が経った。最初は電話機能だけで充分だったが友人らに教えられてFBやラインを始めると急にスマホを利用するようになった。今ではスマホで撮った写真を毎日、FBにアップ、そしてラインも回数は少ないが使わない日は無いのが日常だ。先日アマゾンでレンズアダプターを購入した折に、何時の間にかプレミアム会員になっていた。手続きをしていないのに何故と、注意深く画面を見ていなかったのが原因なのか?いや注意していても巧みに誘導されて行く仕組みが問題ではと考えても後の祭りだ、ネットで解約の方法を見ても煩雑で難しそうだ、解約を諦めて会員を続行する人も多いのではとおもった。ソーシャルメディアは便利な社会を牽引して此れから先も繁栄してゆくとおもうが、今回のアマゾンを利用して思った事は便利な時代の落とし穴には気をつけねばソーシャルメディアのシステムに取り込まれるばかりでは先行きが大変だ。そして諦めずに会員の解約にチャレンジして少しでも便利な時代から離脱したいとおもった。
写真は今日の琵琶湖の夕方は雲一つ無い風景が広がった。二枚目三枚目写真はフイルム写真です。
写真三昧
2021/09/05
今日は久しぶりに朝の三井寺への散歩にデジカメを持って出かけた。最近は散歩ではスマホのカメラで撮ることも多くなった。そしてフイルム時代なら考えられないと今日も随分、写真を撮った。平均一日に50枚いやスマホと合わせると70枚はシャッターを押している事になると写真三昧の日常を振り返った。今日はデジカメに古いレンズを付けて撮ってみた。レンズはライカズミルックス35ミリ、カメラはソニーα7にアダプターを利用して撮影した。久しぶりに露出や距離は手動でフイルムカメラ時代を思い出し、結構楽しめた。二種類の古いレンズはそれなりに味を感じさせてくれた。以前なら町中で人物スナップ写真も撮れたのだが最近は肖像権や個人情報でうっかりカメラも構えられないのが現状だ。自由にカメラを振り回せた時代を懐かしく思い出しながらスナップ写真を撮った。やはり写真を撮る楽しみはカメラ任せではなく、フイルムカメラの様にマニュアルで写真を撮るのが楽しいとおもった。たまにはカメラにフイルムを入れて町中写真を撮ろうとデジカメを見つめた。
写真はデジカメにライカレンズを付けて撮影したものです、機材は福島の友人H氏が贈ってくれたものを使用した。
リベラル?
2021/09/04
最近、読み終えた「超空気支配社会」(辻田真佐憲著)の中でも保守とリベラルに付いて語っていた。最近の朝日新聞の交論でも保守?リベラル?について政治学者の遠藤晶久氏と作家の橘玲さんが語っているのを読んだ。前者は憲法や安全保障ではなく、こうした社会的な価値観が新しい政治対立のリベラルの意味にもなりえる。今は過渡期なのかもしれません。後者は壮大な社会実験の結果、能力資本主義に適応できるかどうかで、社会が分断されるようになった。いまやリベラルと保守という二分化の考えそのものが、効力を失っています。と結んでいた。超空気支配社会の著者も、最後は、リベラルか保守かも、大した違いではない。メディア的縦深の有無こそ、つまりSNS社会と適度に距離を取れるかどうかこそ、今日もっとも重要な視点なのだから。と超空気的社会の中で中間的な立場でモノを考える重要性を語っていた。間もなく衆議院選挙も行われるが、保守?リベラル?らに囚われずに将来を見据えた政治に期待できる候補を選びたいとおもうが、果たして納得できる候補が見つかるか、それが問題だと思った。

















