中島省三の湖畔通信

雪降りの日

2025/01/10

暖冬で雪が見られないのではと思っていたら久しぶりに雪降りの日の散歩となった。やはり雪が降るとじっとはしていられない本能が騒ぎ心躍るからだ。少年時代から雪が積もると楽しくてしょうがなかった。ソリ遊びをしたり雪合戦らと楽しい雪の日の思い出だ。大人になってからも雪遊びほど楽しいものは他になかった。大好きな飛行機操縦を始めてからもスキーは止められなかった。大津際川飛行所が在った頃はパイパースーパーカブに乗って蓬莱山の山頂目指して飛行したのはびわ湖バレイスキー場のゲレンデの混み具合を上空から見るためだ。スキー場が空いていると着陸後、直ぐに帰宅してスキーを車に積んでびわ湖バレイへと走った事もあった。スキーはゲレンデスキーと山スキーがあるが何方も楽しいが山を目指してスキーにシールを付けて山頂を目指す山スキーは滑っているより遥かに歩く時間の方が長く滑る時間は一時間で歩く時間は4時間ぐらいだ。でも楽しさは山スキーの方が大きかった。もう山スキーを楽しむことも無くなり時々、スキー仲間の顔を思い出し楽しかった雪遊びの醍醐味は山スキーだったと雪降る三井寺の境内を歩いた。

雪雲が琵琶湖大橋を

2025/01/09

寒いと言っても以前ほどの寒さではないと思った。何時もの散歩で訪れる三井寺の境内を歩いても参道が凍てている感触が足に伝わってこない以前なら土の凍てた硬さが靴底から伝わってきた。息を吐いても白く見える事も無くなり蒸気機関車が吐き出す白い蒸気の様な息を人の口から吐き出さなくなったのは暖冬になったからだと思った。湖岸に佇んで琵琶湖大橋を見ると橋は雪雲に隠れていた。雪雲は雪を降らせながらかなり早いスピードで西から東へと大橋を渡っているのが見えた。雪雲が湖上を渡って行く姿は琵琶湖の冬の風物詩だ、北湖なら竹生島辺りを雪雲が渡る風景は自然の描く映像美だと懐かしい映画撮影の思い出が蘇ってきた。短時間に移り変わる光景を見られるのも冬の間だけだ。

寒い日

2025/01/08

今日は散歩で会った人たちが寒いですねと挨拶された。でも本当に寒いのかと過去の寒さを振り返った。1月と2月は寒い日が多く水道管が破裂したり家庭では蛇口が凍って水が出なくなったりお湯を蛇口を温めたりした思い出した。今朝の散歩でも三井寺の手水舎の水は凍ってはいなかった。以前は手水舍の水が凍り大きな氷柱が出来て東からの日差しを受けて輝いていた。冬の水の美しい変化が見られ無くなったのは地球温暖化の影響ではと思った。数年前に三井寺の山中でクロカンスキーで大怪我をしたのは大雪で境内には20センチの雪が積もっていた。山中では30センチも積もっていたから林道を登って下りを滑ろうと思ったことが怪我につながった苦い経験を思い出した。でも暖冬で雪が積もらないのでスキーを持ち出すことも無くなったのは良いことなのだろうかと青空を見上げた。

坂本の町

2025/01/07

今日は二月に一度の検診を受けるために坂本のクリニックへ出かけた。坂本の町と言えば60年前なら自動車が土煙を上げて走る未舗装の場所もあった。現代は未舗装の道路など探すのが難しい時代だ。京阪石坂線の車窓風景も僕には魅力が無くなったからシートに座って文庫本を読む様になった。坂本比叡山口駅で降りると日本最古の茶園と言われる場所の移転のための神事が行われようとしていた。日吉大社の参道として道幅なら丁度だが車社会に迎合する社会を神様?はどう見てらしゃるかと拡幅工事で広がった道を写真に撮った。医院の帰路、鶴喜に寄った、友人の代から次の代へと変わった。蕎麦を食しながら友人を思い出した。京阪石坂線も人でを省き駅には駅員の姿もなく緊急時の対応は誰がするのかと・・そして券売機に500円玉を入れても新しい効果には反応しなかった。何が便利なのか不便なのかと可笑しな時代を可笑しく笑うしかない時代と嘆いても詮無いことだと諦めた。

写真三枚目は今日から琵琶湖疏水の水が止まった。清掃の為に・・

迎春風景

2025/01/06

今日は生憎の雨で自転車にも乗れず湖岸へ向かうのは諦めた。三井寺も人影も少なく寂しい日となった。大津の商店街の迎春風景を撮ろうと雨の中を向かった。ながら商店街ではアーケードの下に迎春と書かれた看板が飾られて商店には迎春のディスプレイが見られるウインドウの店もあった。新しく出来たお店が数軒営業をしていた。そしてシャッターを下ろしたままの店もあった。僕の少年時代と言えばお年玉を持った子どもたちがおもちゃ屋(玩具屋)へ向かうのが恒例だった頃の賑わいが思い浮かぶ、其の頃はおもちゃ屋は菱屋町と丸屋町には三軒在った、そして本屋もお正月は営業していた時代から見れば隔世の感だ。一番栄えていた菱屋町のアーケードには迎春の看板一つ見られないのは不思議な感じだ。商店街を見通すと遠近法の基本の風景が見えた。もはや大津市の商店街は消滅したのではとユウチューブらで紹介されている草津や守山の方が都会的だと言わる状況に納得しながら写真を撮った。僕は寂れゆく商店街の風景は其れなりに時代を映しながらやがて消えて行くのも悪くないと思った。また何時か新しい楽しい町に生まれ変われるチャンスもあるのではとアーケードの下を歩いた。
写真三枚目は冬の雨の美しさにカメラを向けた。

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