早すぎる開花
2021/03/23
今年の桜の開花は早く、三井寺のソメイヨシノ、打出浜のオオシマザクラも満開に向けてフルスロットルで、間もなく満開になる様子だ。去年はコロナ自粛で疎水、三井寺のライトアップは中止されたこともあり、今年のライトアップを楽しみしている人も多くいるはずだ。でもライトアップが始まるのは今週の土曜日からでは期間の後半は葉桜になるのではと境内の三部咲きの桜を見た。緊急事態宣言解除されお花見に出かける人も多くなるからコロナの感染も心配だ。ご近所の桜の名所も日増しに多くの人が訪れているが京都の様にオーバーツーリズムにならないから安心して。お花見を楽しんでほしいとおもった。
長等公園の桜
2021/03/22
長等公園と言えば過つては大津の桜の名所として君臨していた時代も在った。今日は桜の様子を見ようと久しぶりに長等公園に出かけた。此の公園の思い出は祖母に連れられて行った幼少の頃、戦時中で食用に狸が飼われていた。その狸は仲間と喧嘩したのか顔に傷があり赤くただれていた事を今でも思い出す。公園は何時も湿った空気が漂い明るい場所ではなかったが、小学生の課外授業では良く出かけた。同級生が崖から落ちてケガをした事もあったから暗いイメージのままだ。公園の広場には大きな檻がありニホンザルが飼われていたこともあった。その後は鳥が飼われていた、記憶もある、大きな檻の傍らには回転する遊具も有ったとも記憶しているが余り好きになれる場所ではなかった。でも、お花見のシーズンが始まると商店街から公園までの間にはボンボリが飾られ、夜にはボンボリが灯り、公園まで人の流れを誘い、夜桜見物は賑わった。ゴザやムシロを敷いて車座になり多くの人が宴会をしながらお花見を楽しんだ、余韻が今も公園の彼方此方に残っているのではとデジカメで公園の桜を撮った。長等山の山桜は昔から有名で、和歌にも詠まれている、平忠渡の歌と言われる、平家物語の中の、さざなみや しがのみやこは あれにしお むかしながらの やまざくらかな は長等山の山桜を詠った歌だと言われていて、山頂付近の見晴台には句碑があるが今日は行かなかった。公園には山桜は少なく殆どがソメイヨシノで樹齢も高く最盛期が過ぎたのか、咲き始めのためか少し元気なく見えるが、今も桜の名所であると、改めて公園の素晴らしさを知った。
長等公園の高台近くには近松寺がある、その前から琵琶湖を見ると湖岸にはハコが衝立の様に琵琶湖の眺めを邪魔していた。
春雨じゃ・・・
2021/03/21
春雨じゃ濡れて行こう・・のセリフは月形半平太が芸者が差し出す番傘を止めて語る、映画のシーンを思い出した。そして大友龍太郎の顔が懐かしく浮かんだ、もちろん東映の全盛時代の映画だ。そんなセリフや時代劇の俳優の名前は、今では知る人も少いのではとビニール傘をさして散歩に出かけた。雨脚が強く濡れて行くどころでない状況だ。疎水に架かる鹿関橋から見る桜も雨にめげずに花を咲かせていた。一晩でこんなに咲くのかと少し驚きながら、温暖化の進んだ事を実感すると少し怖さを憶えた。何時もなら入学式の頃に満開になり、入学児童に花を添える光景が、今年は見られないと桜花を見た。三井寺の観音堂展望台の桜は満開になるのも近いとビニール傘越しに写真を撮った。モニターで確認すると肉眼で見るより春雨の優しさが感じられた。ライトアップが始まる27日には満開になってしまうのでは、楽しむ期間が短くなるのではとおもった。自然界は温度や湿度らの条件で動き、人間の取り決めた季節感や時間など関係ないと時は流れて行く、そんな中で取り残されてしまうのはホモ・サピエンスの社会だけとおもうと寂しくなってきた。また雨が強くなった。水滴の付いたビニール傘越しに見る光景は写真家ソール。ライターの写真を思い起こさせてくれた。
ご近所の桜
2021/03/20
ご近所の桜の名所と言えば我が家から三分と掛からずに行ける疎水鹿関橋から見る堰堤の桜も咲き始めた。三井寺の展望台の桜も開花宣言した。こんなに桜が早く咲くのは地球温暖化の所為ではと考えると無頓着に花が咲いたと喜んでいる場合ではないと、早く咲いた桜花を見た。ソメイヨシノの花が人間にメッセージを送っているのではと、花に顔を近づけるも自然界から断絶している人間には聞こえなかった。ロシアでは凍土の平原に大きな穴が出現した事を伝えているニュースを見たことを思い出した。地球が発している悲痛なメッセージを真摯に受け止め、真剣に地球温暖化を考えて対処しなければ気候変動はますます過激に変化して人間の生活環境にも大きな影響を与え兼ねない、そして人類の存亡にも関わることで一刻も早くアクションを起こさないと取り返しのつかない状況になってからでは遅すぎるとおもった。
浜大津港では賑わいが戻りつつあるが、コロナ禍では何時また状況が悪化するとも限らない、変異ウイルスが心配で、お花見もゆっくりと楽しめる状況ではなさそうだ。明日は雨だと雲が知らせてくれた。
長老?
2021/03/19
毎日、読む?見る?新聞も以前ほど目に留まる紙面も無く、もう新聞は止めてもと思う時もある・・・今日は久しぶりに朝日新聞(朝刊)の耕論のキャプションに目が行った。長老の役割って、として三名の人が長老について語っていた。僕も40歳を過ぎた頃、熱気球愛好家の集まりで、長老と呼ばれた事を思い出した。学生や若い社会人で構成された熱気球関西例会では僕だけが40歳で、一番年上だった。最年長を良いことに言いたい放題で楽しく参加させてもらったことが懐かしく思い出されてきた。長老とは会議を邪魔したり、何時までも権威を振り回さないことだと僕はおもっている、決してリーダーシップを取って強引に会議を進めたり、物事を决めないのが長老の資格だとおもっていた。若い人達と一緒に活動できる楽しさは今も忘れていないと熱気球で空を飛んだ思い出が蘇った。振り返ると年長者として、若い人達が遠慮していたのかも分からないが少し強引なところもあったのではと反省しているが、何せ40歳で長老だったから、森喜朗元首相の様な後期高齢者の長老が何時までも権力を持つことには理解は出来ないと思いながら、長寿化社会では60歳で長老を卒業した方が良いと思いながら記事を読んだ。そして60歳を過ぎれば長老から若老になり新たな夢を求めて自由な世界へ飛び出す気持ちが必要ではと考えた。僕も81歳になった、今は空を飛ぶ事はないが心は何時も飛行少年で夢を追いたいとおもった。
膳所由美浜の河津桜は有終の美を飾っていた。三井寺ではソメイヨシノが開花した。疎水の通船も準備が完了したようだ。いよいよ春本番だ。

















