湖畔の休日
2021/03/14
春うらら・・とまでの陽気を感じないが好天に恵まれた、今日の湖岸は家族連れが目立った。そして犬を連れた人が多いのは最近の傾向かと犬の種類の多さにも感心した。服を着せられている犬も多く見かけた。マナーは良い方ではと最近、犬の糞を湖岸では余り見かけないからだ。子供の頃に見かけた犬は、秋田犬、柴犬、スピッツで雑種犬が殆どだった、そして飼犬と野犬も自由に歩き回っていた時代だ。犬の糞の始末する人も見かけなかった、犬の放し飼いが多く自由に好きな処で用便をしていたから、目にすることもなかったのではと長閑な戦後の時代を思い出してきた。浜大津港には定期航路の船が多く停泊していた、貸しボートやヨットが湖面で多く見られた。黄昏れのショーボートとしてハリ丸が周航していた頃の賑わいを知っている僕には、休日でも人出の少い浜大津港に寂しさを感じた。
百年と一日
2021/03/13
今日は雨、三井寺への散歩は、お天気は関係なしに続けているからビニール傘をさして出かけた。展望台の桜の蕾は紅く膨らんで開花が近いと感じさせてくれた。透明のビニール傘の水滴越しに見る風景はソウル・ライターの写真の様に見えた。三井寺の桜を見続けて何年になるのかと・・・昨日読み終えた本「百年と一日」(柴崎友香著)は不思議な感覚で読んだ。誰にでもある思い出と、何気ない日常の時間で起こった、過去の何でもない話が妙に身近に感じた。読み終えると、遠い記憶の中へ忘れた幼馴染や亡くなった友人、そして祖父、祖母、父、母、らの家族の思い出などがアトランダムに僕の脳裏に浮かんでは消えた。百年とまでは行かないが81年の時間を生きて随分、遠い処へきたものと記憶の映像を楽しんだ。そして映画「永遠と一日」(テオ・アンゲロプロス監督作品)を思い出すも物語概要は記憶から消えた。明日はツタヤでビデオを借りようとおもった。
今日は存分に雨上がりの琵琶湖叙景を楽しんだ。昨日、疎水の樋門ではゲートが外され間もなく通水と通船が始まると春本番だ。
美味しく見える花
2021/03/12
ご近所の早咲き桜のピークも過ぎた。三井寺のソメイヨシノが開花するまでは少し間があると境内を歩いていると椿の花が目に入った。椿は見慣れているから写真に撮ることもないと一瞬おもったが花が大きく見え立ち止まった。良く見ると八重椿で美味しそうに見えた。近づいて見ると和菓子の様にも見え、花にしては質量を感じた。春の陽射しが花をより美しく見せてくれた。花の形をした生菓子は上等なモノは茶会等で使われるが折り詰め弁当やお祝いの折り詰めには必ず生菓子が入っていた、懐かしい時代を思い出すと花の香りに混じって折り箱の木(厚経木)の匂いまでもが記憶の底から出てきた。折り箱は日本固有の容器としてプラスティクが出てくるまでは全盛時代で、プラゴミの問題など起こり得なかった。便利さを求め続ける消費経済の有り様を少し見直さなければならない時期ではと八重椿の花を見ながら考えた。今の技術なら自然素材を使った容器など簡単に作れるのではと間伐された杉の丸太を見ると婚礼などに出された三重の折り箱の豪華さを思い浮かべるとお花見がしたくなった。お花見には仕出し屋が作った折り重とゴザを持ってぼんぼりに導かれて長等公園の夜桜を楽しんだのは何時の日だったのかと長閑で豊かだった少年時代を思い出してきた。
写真三枚目は賑わう浜大津港の今日です。
東日本大震災10年
2021/03/11
東日本大震災が起きてから10年の時間が流れたが、未だにフクイチの原発事故の終息の姿は見えてこない中で不安が募る地元の人達の気持ちは計り知ることが出来ないが、地震災害の復興は順調に進んでいるのだろうかと心配しながらニュースを見るだけの自分は安全な場所からは震災で災害に遭遇された方々の気持ちを本当には分かっていないのではと、震災で命を落とされた人達のご冥福と復興が進む事を願うしかないと青空に祈った。疎水傍らのオカメザクラは満開を向かえ、コロナ禍で大変な人間社会と違い自然界は正常な時間を刻んでいるのだと感じた、そして自然界の時間から外れたホモ・サピエンスの未来はどうなるのかと心細くなる気分で花達を愛でていると少し心が鎮まってきた。災害の少ない場所で暮らせる幸せに感謝しながら春爛漫の季節を楽しんだ。
波強し
2021/03/10
昨日は琵琶湖を見ること出来なかった。やはり一日一回は琵琶湖を見ないと心が落ち着かないと湖岸ポタリングに出かけた。午後4時でも明るく太陽は西方で春の陽射し届けて来れ、浜大津港の突堤が白く輝いていた。湖岸に佇んで琵琶湖の北方を眺めると心が騒ぎ、彼方の原発群が心配になる、どうか老朽原発の再稼働だけでも止めてほしいと波立つ琵琶湖を眺めながら事故の起きないことを願った。

















