中島省三の湖畔通信

僕の新しい暮らし方

2020/06/08

メディアが最近,新しいライフスタイルの在りかたを伝えているが別に興味を感じる程のことはないと聞き流した。今回のコロナ騒動で本を読む機会が増えたことに感謝した。本を整理してブックオフにと、積んでおいた背表紙が目に入り読んだ本も数冊、そして、買っておいて何故読まなかったのかと反省しながら読んだ。そして昨日から読み始めた、ソフィーの世界(1995年NHK出版)は発売当初ベストセラーだったから、多分、読みもしないのに買ったのでは・・・物語はソフィーなる少女と哲学者の不思議な手紙で哲学の歴史を旅する物語と百ページほど読んで感じた。何よりも哲学という文字に難しさを感じている僕を読ませる気にさせたのは、20ページのシルクハットで書かれている言葉、いい哲学者になるためにたった一つ必要なのは、驚くという才能だ、を読んで驚いたり感心したりするのは単細胞の自分にはピッタリとおもった。そして哲学者?別に本気でなるつもりは無いがお金がかからず年金爺にはよいと楽しく読み進んでいる最中だ。ゆっくりと残された時間をアホな政治やテレビから離れて自分はこれから先、何処へ向かうのか考えるのも良いのではと思った。夕食後、琵琶湖へ向かった。心地よい風が湖面を渡って行くのが見えた。そして僕は琵琶湖は哲学者ではと、波が伝える表情がそう思わせた。

情報は詳しく正確に・・・

2020/06/07

今日の朝刊(朝日)の誌面は珍しくコロナ関係の記事は少なく、コロナが終息していないのに何故とおもった。新聞もテレビも同じ情報を流すのではなく視聴者が知りたいと思っている事を伝えてほしいものだ。給付金委託問題、の流れも詳しく報道機関が取材して欲しいと、そしてコロナウイルスの感染状況を伝える事も大切だが、今回のコロナウイルス新型肺炎が短期間に世界中に広まった原因やウイルスの特性を詳しく説明し我が国の行った感染防止処置は正しかったのかを検証してほしいとおもった。今まで聞いたり見たりしてきたニュース番組もバラエーティー番組の様に感じ、あまり緊張感を感じなかったことを思い返した。コロナウイルスの映像が画面に流れるだけでは視聴者にコロナウイルスの特長や怖さが見えてこない、アルコール消毒をモノに触れるたびに何回もしなけれならないのか、そして本当にアルコール消毒でウイルスが死滅するのか、実態を捉えた映像でも見せてもらったら納得するのにと思った。透明ビニールが張られウイルス防御体制を採った店、そして以前と同じ様に販売活動する店らとの感染率など詳しく比較検証できないのではと思いながら日常生活をしているのが実情だ。今後、市民生活は新しい暮らし方でフェースシールドやマスクを着け続けることでウイルスから身を守れるのかと、そして湿度の高い夏を乗り切るのは難しいのではとおもった。

湖岸ポタリングでは湖岸の紫陽花が青空の下で夏、本番と言っている様に感じた。そして浜大津近くでは植物が家を覆っている様に迫力を感じた。

コロナ時代は・・

2020/06/06

僕を取り巻く日常はコロナが影響を及ぼす前と余り変わっていないのではと思った。朝の散歩で訪れる三井寺も六月の状況は去年も同じではと静かな境内を歩いた。ただ料金所には透明のビニールがコロナ対策で張られアルコール消毒液が置かれているのが以前と違うぐらいだ。湖岸ポタリングでもコロナ休日が終わってからは以前の様に閑散とした湖岸風景だ。でも浜大津港の佇まいだけはコロナの影響で遊覧船が繋がれたままで料金所も閉められたままだ。そして非常事態宣言が解除されて県営の湖岸駐車場はオープンされ日常に戻った。におの浜から見る琵琶湖は夏特有のもやった光景で海の様に広く感じた。湖岸のキンシバイの黄色の花を見ていると気だるい暑さを感じた。

事件の流れは続いているのか・・・

2020/06/05

新聞やテレビで報道されたボーガンによる家族の殺人事件のニュースを聞いた時、以前に読んだ「東京漂流」で著者藤原新也が記していた、神奈川金属バット両親殺人殺害の事件をおもいだした。1980年代に起きた家族殺人事件から40年経ったいま、兵庫県で大学生が家族をボーガンで殺害した事件は、時間で繋がっているのではと思った。病んだ社会は癒えることはないのかと思いながら暗いニュースを読んだ。東京漂流の中で語られる高度成長後の日本の社会の変容が与えた歪が今も影響し続けているのかと思った。大津の街も今から50年前は甍が鈍色の光を放つ静かな田舎町だったと、今日も三井寺の展望台から大津市街を眺めた。湖岸には衝立の様に集合住宅群,所謂マンションが立ち並び、区画整理された町には同じデザインに見えるプチハウスが整然と並ぶ通りになった。駄菓子屋、饅頭屋、蝋燭屋、靴屋、旅籠、花屋、自転車屋と数え上げればきりが無いほど店屋が消え、プチハウスが豊かで快適な町を演出している様に見えた。一見、美しく整備された町も綻びを見せ始める時期は早く来るのではと眼下に広がる市街を眺めた。


写真は1968年頃の大津市街の航空写真、長閑な甍の鈍色が印象的だ。
花はフリージア・ラクサ・・・写真展でお祝いにもらったものを友人のAさんに植え替えてもっらたものが咲き始め時間を置いて花が二種も咲き驚いた。

新聞記事を見て・・・

2020/06/04

朝刊(朝日)を広げると社会面に写真と大きな見出し、マヤ文明最大の建造物が目に留まり記事をよんだ。古代マヤ文明の遺跡の調査を進める日本、米国、メキシコの研究チームがメキシコ南部で古代遺跡を発見した事の経緯が書いていた。読んでいる時に先日、読み終えた「幻世」藤原新也著の中の短いエッセイが浮かんだ。エッセイは、西洋人の「発見」が与える不快、として著者の考えが記してあった。為るほどと・・思えば学校で習う世界史などでアメリカ大陸発見は西洋人の・・・でも発見される前から其処にはホモサピエンスである原住民が文明と文化を築き生きていたのだから、発見ではあるまいと勉強した世界史の欠点?が浮かび上がった。我が国は明治時代から西洋崇拝主義だからしょうがないかとやや自嘲気味に振り返った。別に今回の共同発見に異論はないが、遺跡などは地元に暮らす人たちは、存在を知っていて別に其処に暮らしているのだから英英と続いた歴史の時間など現生活には関係ない日常だとおもっているのではと・・勝ったモノや強いものが描いてきた歴史にどれだけ真実があるのか僕には分からないから深く考えないことにして新聞から離れた。そして僕にもある西洋崇拝主義を思い出した。それはカメラだった。今でも40年以上故障したことのないアリフレックス16ミリ撮影機、そしてライカもドイツ製だ、それから八ッセルブラッドこれはスエーデン製これも今もフイルムを入れれば使用できるが・・・でも現代はデジタル時代で消費資本主義で誇り高き西洋もアメリカに倣えの製品つくりで世界中何処の国でも同じ様になった。そして誇り高き我がカメラ大国も崩れ去ったと僕の愛用するデジカメのペンタックスK3は中国製だ。でも壊れずに6年間も動いているが壊れれば修理は出来ないそうだ。儚いデジカメなどに頼らず頭に確り記録せよという事かと考えた。

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