台風一過
2020/09/07
今日のお天気は台風一過で青空を期待したが午前中は曇り空だった。琵琶湖は台風の影響も殆ど無く湖岸に少し水草が打ち上げられる程度だった。アオコは風と波で消えていた。最近、残念に思うのは新聞、特に滋賀版では琵琶湖の環境問題を扱った記事は皆無だ。朝日の滋賀版は最近無くても良いと思うぐらいだ。ケイタイやパソコンで見るニュースの方が遥かに早く知ることが出来るが、僕らの世代は新聞育ちで、やはり紙に印字された新聞の方に頼るが、最近の新聞には失望することが多くなった。深く掘り下げた記事も少なく時折、寄稿文に感心するぐらいだ。テレビや新聞が無くても生活できる時代になったと新聞を閉じテレビを消して本を読むことが多くなったこの頃だ。
今日の湖岸ポタリングでは、におの浜湖岸で湖面を見ると集合した水草の上を見るとプラスチックやペットポトルが多く見られた。琵琶湖に堆積したプラスチックの量を想像すると、大変な事態に既になっているのではと考えた。
変わり種のカラス君が刈り取りが済んだ草の上で虫を探していた。良く見ると頭は禿げているが可愛さもあると思いながら写真に撮った。
本をプレゼントされる・・・
2020/09/06
台風10号の影響か、少し小雨が、用心のため傘を持ち三井寺へ向った。展望台から琵琶湖を見るとヨットが見られ台風も近畿には影響はないのではと思った。境内を歩いていると茶房のKさんが開店準備で旗を出していた。挨拶をすると渡したいものがあると言われたので茶房へ、そしてKさんから本をプレゼントされた。以前に僕が藤原新也のメメント・モリを茶房で読んでいたのがきっかけで本の話になった。僕は藤原新也さんの作品は好きだと言ったことがプレゼントに繋がったと、新刊本の日々の一滴、を喜んで頂いた。今日は良き日となった。昼食後、本、日々の一滴、を開いた。藤原新也さんのエッセイで構成され読みやすく感じた。何編かのエッセイを読む中、カルロス・ゴーンの制限住居の中で現代の取材模様が書かれている内容に納得した。現在の取材記者さんたちの行動が記されていた。うむ、なるほど、今の取材体制では琵琶湖に発生するアオコを取り上げて記事にする能力は皆無とおもった。取材も記者クラブでの情報を個人で判断するのではなく団体行動で取材するのが習わしでは各社が、同じニュースを取り上げていては金太郎飴の様な内容になるのは当たり前だと思った。僕も5年前からテレビニュースの地方版は殆ど見なくなった。新聞も殆どが記者クラブの仲良し取材では面白みや内容を期待できないと最近は地方記事を読まなくなった理由は、今読んでいる、日々の一滴、のエッセイが全て語っていると思った。
三枚目の写真は三尾神社のヘアーピンカーブです。
琵琶湖の富栄養化
2020/09/05
琵琶湖に1977年に淡水赤潮が発生して滋賀県は危機感を感じ富栄養化の防止に向けて富栄養化防止条例を制定したと記憶している、県民が主体となって石鹸運動が起こったことも歴史の時の中に消えて行くのかと懐かしく思い出した。今では無リンの中性洗剤が勢力を占めて石鹸を使用する人も少なくなったのではとおもった。先日、研究者のOさんから今も淡水赤潮の原因となるウログレナ(プランクトン)は琵琶湖に存在しているが赤潮になるまでには至っていないが魚の腐った様な生臭い臭いが湖面に漂うそうだ。そしてアオコは赤潮よりも富栄養化の象徴だ。今日もアオコが浜大津湖岸から打出浜の湖岸で観察できた、緑色のペンキを流したような湖面を見ていると琵琶湖の富栄養化が進んでいるのではと心配になるが、新聞もテレビも行政も何ら反応も見せずニュースにすらならない現状に問題を感じた。僕が琵琶湖の環境問題の記録映画を撮っている時にアドバイスをいただいた、鈴木紀夫(滋賀大教授)は亡くなられていますが、先生はアオコの危険性を何時も語っておられました。琵琶湖の様な閉鎖水域では何時アオコが異常発生して琵琶湖全体に及べば取り返しのつかないことになると言われていた事を思い出した。今日の新聞もテレビもアオコの発生を伝える事はなかった。これは良いことなのだろうか・・悪いことなのだろうかと・・・おもうと空しさが僕の心を覆った。
打出浜に来てみれば・・・
2020/09/04
打出浜に来てみれば・・・良い事でもあるような書き出しではなく、琵琶湖にとっては悲しい事態だ。打出浜と言えば今、大河ドラマで有名な明智光秀の話に出てくる、明智左馬之助湖水渡碑の在る県立文化館の湖岸はアオコが発生して緑色のペンキを流した様な湖面が広がっていた。数十年前ならメディア(テレビ・新聞)は琵琶湖の富栄養化の環境問題として取材そして大きく紙面を割いてアオコの報道をしていた時代を懐かしく思い出した。県の環境課も感心がないのか積極的に発表はしないから紙面にも載らなくなった。滋賀大学の鈴木紀夫先生が存命していたら琵琶湖の危機として心配されたことと思いながらアオコを写真に撮った。僕が今から四十九年前(1971年)に琵琶湖の富栄養化が問題になり始めた頃に大津青年会議所のメンバーで記録映画を製作するために長野県の諏訪湖へアオコの映像を撮るために向かった。僕はカメラ担当で初めて16ミリフイルムカメラのボレックスを構える先には緑色のペンキを流した様に見える諏訪湖の湖面に驚きながらカメラを回した記憶は今も僕の脳裏に残っている映像と今日見た琵琶湖の映像がオーバーラップしてきた。最近は琵琶湖の富栄養化の問題は話題にもならないが琵琶湖は着実に悪くなっているのではと心配になってきた。アベ政治のもたらした忖度行政が蔓延って本当の事を伝えなくなった社会はますます泥沼に向ってゆくのではとおもった。
僕の機材を心配して福島の友人Hさんがデジカメを送ってきてくれた、80歳のカメラ爺は其のカメラを持ってアオコを撮った。
本が読まなれない時代の・・・
2020/09/03
昨日の新聞(朝日)の寄稿で作家の田中慎弥さんが、本が読まれない時代の政治家と題して語っている記事を読んだ。最後の方で、私には訊いてみたいことがある。日本人が本を読まなくなりそれが特に嘆かれもしなくなった現代の政治家である安倍氏、さらには与党の現職の議員たちは、果たしてこれまでどんな本を読んできたのか・・・真摯な気持ちで語っていた。そして僕は今日、ユゴーの名作レ・ミゼラブルの一部ファンチーヌから五部ジャンバルジャンまでを読み終えた。大叙事詩と言われる長編を読み終え、不思議な感動を憶えた。ジャンバルジャンとコゼット、マリユスらを中心に進む物語の面白さは格別だが、何よりも一九世紀の社会の描写そしてユゴーのヒューマニズムが随所に表現され社会の弱い立場の人や悪人と言われる人までも人間として生きる様を描き、おまけにパリの地下水道(下水)の話では現代にも通ずる環境問題を訴えているように思った。僕は政治を志す人なら一度はレ・ミゼラブル全巻を読んで欲しいとおもった。これほど多義に渡って考えさせられる小説の凄さを感じたのは初めてだ。そして一八六二年に出版されたレ・ミゼラブルの初めに書かれている言葉をもう一度読んだ。・・・地上に無知と悲惨がある以上、本書のような性質の本も無益ではあるまい。と結んでいるが、まだ此の本が必要とされる時代は何時まで続くのかと思うと気が遠くなった。

















