季節風が・・・
2019/11/20
晩秋から冬への変わり目ではと寒さを感じた。鹿関橋から見る疏水の流れの先に通船が三艘見えた。桜の紅葉も身頃は過ぎ葉も落ち少し寂しい眺めになった。春のお花見シーズンと比べると静かで行く秋を静かに楽しめるのではと三井寺へ向かうと総門前の現代のモノリスのスクリーンには黄不動尊の画像と三井声明が厳かに迎えてくれた。境内のモミジも色づき始めた。空を見上げると雲が多く時雨が来るのではと少し足を速めた。湖岸ポタリングでは虹を期待して出かけたが大きな虹は見られなかった。季節風が冬の到来を告げていた。膳所へは追い風のアシストを受けて足に負担もかけずに自転車は走れた。帰路は強い風を避けて市内へと向かった。
斜陽の町で・・・
2019/11/19
何時も通りに湖岸をポタリングそして買い物を済ませて歯科院へ向かった。僕が北川歯科院に通って二十年以上が、その間、一度もストレスを感じる事が無かった。今日もコンプリートな診療を受けた。帰路は町中を自転車で走った。大津の町は昭和の名残を残している、そして香と言うより臭いを漂わせながら時には昔の賑わいを見せながら時を刻んでいる、やっと最近、自分の住む町の臭いを意識する様になってきた。写真で言えば僕の好きな大山大道氏の写真に映る町の要素が見えるからだ。午後三時を過ぎると冬の斜陽が町を照らすと鄙びた町が少し華やかだった頃の臭いを出しながら浮かんでくる、そんな瞬間を何時かフイルムカメラで撮りたいとデジカメのシャッターを押した。そして急いでフイルムカメラを取りに帰り出直すと斜陽の町は消えていた。
今日の朝刊で不快なニュースが目に入った。昨日から千葉県で始まった防衛装備の見本市開催だ。政府は平和目的を謳っているが武器の展示会が平和であるはずが無い、人を殺戮する武器の見本市ではないか、日本政府は憲法を蔑ろにしてまで武器商人への道を進むのかと唖然として開いた口が塞がらない、何故メディアは追及しないのかと此の国の民主主義に不安を感じた。
未開人?シャーマン?語り部?
2019/11/18
今、読み始めた本「密林の語り部」バルガス=リョサ作、は南米ペルーのアマゾンの森林の話だ。ページを開くとアマゾンの森へと入って行くようで少し怖かった?まだ少ししか読んでいないが、未開人、アマゾンの森に暮らす原住民が決して人類として劣っていないと思った。アメリカネイティブはインディアンではないし、アボリジニーそしてアイヌの人たちも素晴らしい文化と文明を築き平和に暮らしていた。其処へ違う文明を持ったこちら側の人種が略奪目的で制圧して向こう側の文化を破壊しした結果が現代社会の地球上の仕組みではと思った。今もパソコンの前に座り現代文明の利器を使っているが一人で何も出来ない自分は未開人の能力から比べたら僕ら側はどうかと・・・脆弱な近代IT文明社会の未来を想像した。未開人が今も多く生存している事を願いながら今の暮らしを考えた。シャーマンや語り部が存在する社会のシンプルさに少し憧れるのはITやAIが進む社会では人間個人の存在の蔭が薄くなっているからだ。密林で暮らす部族の人たちの知識の深さに感心させられる、密林に生える木々の効能の全てを熟知したシャーマンの凄さは現代のスーパードクターを超えているのではと想像しながら本を読み進めている、そして語り部は人間の歴史を伝える役割を持っていたことは歴史で習った、今はデジタル機器らで記録して永遠にと思っているが太陽で超巨大磁気嵐が起これば全て消えるのではといわれている、語り部なら人類が続く限り・・・でも時の権力者の記録だけがと・・・歴史は未開側の歴史の長さと開発発展側の短い歴史?を地球上に残せるのかと考えてもデジタルの歴史は数十年だ、アナログの歴史は地球の歴史だと今日も長閑な琵琶湖を眺めた。
サイクリングからポタリングへ
2019/11/17
湖岸サイクリングからポタリングに名前を変更するだけで今日は何時もより湖岸を自転車で走るスピードも遅く、そしてのんびりと走っている様におもえた。琵琶湖も僕の横をゆっくりと走っている様に思え不思議な感覚になった。自転車は久ぶりのロードバイクだ、でも今日はスピードも出さない所為か膳所公園まで二十分以上と随分時間を要した分、琵琶湖の景色を楽しめた、そして爺にはポタリングが最適と思った。膳所公園でデジカメで構図を変えながら何枚も撮っていると、気忙しく感じた。フイルムカメラの様にシャッターを押す前の作業が幾つもある事を思い出し時にはポタリングに合わせた写真の撮り方をしなければとデジタルカメラの便利さに翻弄された自分が少し恥ずかしくなってきた。フイルムカメラで撮っていた時代は,光景をフイルムと自分の頭に焼き付ける事も出来ていたから今でもフイルムで撮った写真の場所と年代ぐらいは思い出せるが、デジカメで撮った写真は頭へは記憶されずにいるのではと考えた。そして毎日、スマホやデジカメで日常や琵琶湖を撮ることに意味はあるのかと・・・日常茶飯事に使っている自分が文明批評できるのかと反省しながらもポケットのスマホに触れる手は何者だと・・
書評を読んでから・・・
2019/11/16
買い物を兼ねて湖岸をポタリングしながら膳所方面に向かった。本格的な寒さはまだ先のことと打出浜から琵琶湖を見ると水上スキーを楽しむ?姿も見られた。買い物を終えて何時ものカフェタイムに寄った。何時も土曜日は朝日新聞の書評欄を読むのが楽しみだ。以前の書評欄で見つけた本、献灯使(多和田葉子著)と密林の語り部(岩波文庫)を買って読書中だ。今日も書評を読んで心が動いた本があった。書評を読んでいるだけで心が重く反応した本は「ポバティーサファリ」ダレン・マクガーヴェイ著/訳山田文(集英社)だ。イギリス最下層の怒りとキャプションがついている、最下層に暮らす人たちの本当の姿はこちら側(普通に暮らせている私たち)には絶対に伝わってこないのでは、現実に伝えられる我が国の政治家達は世界で一番高いと言われる報酬を受けていて最下層に暮らす人たちの気持ちなど絶対に理解できる筈がないと思うのは、今、ニュースを賑わしている安倍首相主催の桜を見る会などの現状を見ていると空しさと哀しさを感じるが、はたして自分はどうかと自問しても答えられる筈が無い、現在、我が国の貧困状況も詳しく知らないし、また貧困を経験もした事が無いと自分を恥じる事しかできないとおもった。豊かさで恵まれた社会の負の部分をもっと知らなければ皆が楽しく暮らせる社会はこないと思った。そして知らない事を知る為にも本は読まねばと、次回の買う本は此の本、ポバティサファリに決めた。
ポタリングは自転車でのんびりと散歩することとグウグルにあった。

















