JR大津駅から・・・
2019/11/25
午後は所要で近江八幡へ出かけるためにJR大津駅へ向かった。プラットホームで一枚の落ち葉が晩秋を演出してくれた。俳句は読めないが写真ならとデジカメのシャッターを切った。車窓風景を少し楽しみながらポケットから読みかけの「密林の語り部」を少し読んだ。SF小説の様で楽しいと思っていた矢先、頭をガッンとやられた。アマゾンの未開地に暮らす部族の人たちが受けた負の部分を語り部伝えている、開拓者による資源の収奪行為の残酷さも自分達の禍として語っていた。ゴムの収穫では奴隷の様に使用され人命を落とした歴史に悲しみと怒りを感じた。そして知らないことの多さを恥ながら読み進んだ。ゴムの採取では語り部が樹液を木の血と表現していた、ゴムは木の血液かと改めて納得した。ぼんやりと車窓を眺めているとカントリーエレベーターが見え、近江八幡が近いと降りる支度をした。
進化の日?
2019/11/24
今日は何の日?カフェタイムで読んだ朝日新聞の天声人語で「進化の日」と知った。1859年11月14日にダーウィンの「種の起源」の初版が刊行されたことが由来だと、そして強いものが必ず生き残れるとは限らないと、ネアンデルタール人はホモサピエンスよりも大きく強かったが滅びた事等もコラムが伝えていた。そして去年の今頃、新聞の片隅でインド領センチネル島で現人類社会と未接触のセンチネル人に宣教師が殺害されたニュースを思い出した。センチネル人は情報によると石器時代の生活で火も使っていないと伝えていた。そして今読んでいる「密林の語り部」では未開地の部族の生活は自然の中で調和がモットーの社会でこちら側(現代文明人)から見ると不便で大変な暮らしと思うが本を読み進む中で密林で暮らす未開地の部族の人たちは自然の摂理にしたがって暮らしているだけではと思った。そして語り部が話す物語はSF小説の様に面白く感じた、そして彼らの見る夢の奇想天外さはこちら側(現代文明)の人が夢見たり考えたりすることと大差ないように感じるこの頃だ。インド、センチネル島で起こった事件後のニュースは入ってこないがセンチネル人は元気で今も暮らしているのかと少し気になった。センチネル人がゆっくりと進化しながら地球上で生き続けて欲しいと願った。
午後は歴史博物館へ大津絵と仏像展を再度見に行った。大津絵は自分が描くときの参考に鬼の顔をデジカメに収めた。そして今回の企画では一つの仏像が写真が許可されていたので聖観音立像を写した。平安時代の仏様の表情は優しいと思った。大津絵は画家が描いたものを・・・美女と野獣?ではと楽しく見た。
身近な場所で
2019/11/23
遠出する機会も少なくなったと何時もの散歩、三井寺へ向かった。祭日とあって境内は何時もより人の姿が見られた。広い境内に標識が少なくパンフレットの地図を見ながら立止まる人を時々見かけて少し案内をする事もある今日も迷っている人を見かけてアドバイスして差し上げた。デジタルモノリス?には道しるべの役割が無くモニターの画面が空しく輝いているだけだ。紅葉は一段と美しさを増してきた。遠くへ行かずとも身近な場所で行く秋を楽しめると境内を歩いた。湖岸ポタリングも春の麗らかさを感じのんびりとペダルを漕いだ。
セルフスタンディング?
2019/11/22
雨の降る前の琵琶湖の景色は格別と今日も湖岸をポタリングした。何時もの喫茶店タイムで朝日新聞を読んだ。コラム記事で岡田武史元監督が自立できないスポーツ関係の実態と未来への希望を語っていた。納得する面も多く興味を感じながら読んだ。自立してプレーできる選手が少ない現実の状況と日本のスポーツ界の指導のあり方を詳しく語っていた。一番の原因は国が自立していないのではとおもった。そして日本国憲法より強い日米地位協定の存在を見ても此の国、日本がセルフスタンディングできていないと思っている人は多いのではとおもった。自分さえ良かったらの考えが此の国を支配していて、政治家も其れを心得ていてお金を重視した政策が行われているのが現実だ。首相の語る言葉には心や魂もなく人の耳に入ることも無く空気に拡散され曖昧さだけが漂っているだけだ。もちろんメディアも自立できずに記者クラブで政府からの発表を記事にするだけだ。このまま行けば永遠に自立する事なく進んで行く国に未来などある筈が無いとおもった。
科学万能?
2019/11/21
今、読んでいる本「密林の語り部」パルガス=リョサ作の中で語られるペルーアマゾンの原住民部族の語り部の話には今の文明社会がアマゾンの未開地にくらしている原住民が現代文明から取り残されているとは思えなくなってきた。それは此の本の作者バルガス=リョサ氏が2010年にノーベル文学賞を受賞、そして高齢で在った事を訳者あとがきで知った、そして1950年代のアマゾン流域ペルーでの物語りは時代の古さを感じないからだ。僕が暮らす消費文明社会が凄くて便利とは思えなくなったからだ。少年時代は科学に憧れ来るべき未来社会は便利で何もしなくても用が足せる時代が来ると期待しながら未来を夢見た。そして商業高校では算盤などは時代遅れだと決めつけた結果、学校の決め事の算盤三級の資格も取らずに卒業した事を思い出すと恥ずかしくなった。日常生活でも便利になった時代と昔の生活と、どれほどの違いがと振り返った。風呂も五右衛門風呂で今よりも暖まった、そしてカマドで焚くご飯の美味しさは炊飯器で炊くものとは違った。祖母はアマゾンの原住民ほどではないが、怪我をすれば十薬(ドクダミ)で治療してくれた。祖母の話は迷信と軽く跳ね除けてバカにした事を思い出し悔やんだ。考えればそれで良かった時代だったと反省している、学校の社会科ではアメリカでは一家に一台自動車があり電化製品が完備と習った時代から、今ではアメリカの文化水準を超え?る暮らしをする人も・・・でも現実は交通事故で死ぬ人の多さ、格差社会と現実をつぶさに見ていると科学の発達した文明社会が未開文明より全て優れているとは考えられないのではと思う様になった。社会は一方的な方向から見るのはやめようと思いながら本を読み進めた。
ユリカモメがポーズを決めて写真に収まってくれた。

















