スマホは・・・
2019/04/21
スマホを持つようになったのは山中で怪我をしたのが切っ掛けだ。最近では一日に何回もスマホの画面を確認している自分に驚いている、あれほどスマホを持つ事を拒否していたのにとスマホを見ながら少し考えた。一年ほど前からFBフェースブックを始めてから写真を友人限定でアップする日も多くあり、FBの友人の写真に、反応して、いいね、をクリックしたり、自分の写真にも、いいね、をされる事も多くなったと言っても友人限定で数は少ないが満足している現状に少し疑問を感じた。今までならデジカメでパソコンのホームページの湖畔通信用の写真を撮るのが日課だったがFBの投稿用にスマホでも撮るようになり、最近、気忙しく写真を撮っているのではと感じた。ライカで撮るフイルム写真の出来上がりを見て、デジカメで撮る写真の軽さに少し嫌気がさしてきたこの頃・・・今日はスマホで写真を撮る事を止め、デジカメの写真も湖岸で少し撮って止めた。僕がデジカメで撮っている写真はフイルムカメラの時代ならチョロスナップといわれる物事の上辺だけを撮る軽い写真ばかりだと気がついたからだ。写真は別に気負って撮るものでもないが、一応、記録としての意味合いぐらいは写して、おきたいのがカメラマンの心情ではとおもった。此れから先はライカで時々、記録重視で一月一回フイルムで記録写真を撮ろうと決めた。そして自分的にはスマホは何時でもオサラバできるとポケットからスマホを出した。
商店街風景はライカで撮影した写真
未来の年表
2019/04/20
統一地方選挙で我が町も市議会議員選挙の運動期間で賑わっている、候補者の一人が人口減を訴えていた。僕の住む町内を見回しても高齢者の比率が高い事は、自分が後期高齢者になり改めて若者が少ないと実感した。二年前に読んだ「未来の年表」河合雅司著を思い出した。人口減少で起きる我が国のデメリットな問題を挙げていた。2024年には三人に一人が65歳以上とあったが、昨日のニュースでは既に三人に一人が高齢者だと伝えていた。少子化や高齢者問題は以前から分かっていた問題だ、政治も社会も差し迫る問題から逃げていた付けが思っているよりも早くやってきそうだ。本には2040年には自冶体の半数が消滅、三戸に一戸が空き家にと・・・僕の住む町内も空き家が目立ち始めた現実を見ていると未来の年表よりも早く人口減少による危機的状況が来るのではと思いながら何時もの散歩に出かけた。そして展望台から湖岸に立ち並ぶ高層マンションを眺めていると僕の脳裏に近未来の光景が浮かんで来た。SF映画で見るような廃墟となった高層マンション群の風景を見て、もし柿本人麻呂がタイムスリップして廃墟となったマンションの光景を見たらどの様な歌を詠むのかと展望台から琵琶湖岸に立ち並ぶ高層マンション群を眺めた。少しネガティブになった気分は新緑のトンネルを潜ると気持ちと足取りが軽くなった。
デンマーク映画「ギルティ」
2019/04/19
鹿関橋から見る疏水の眺めは今が一番美しいのではと感じデジカメのシャッターを押した。そしてデジカメのモニターに映る光景を見ていると昨日、大津セブンシネマで見たデンマーク映画「ギルディ」(監督脚本グスタフ・モーラー)を思い出した。デンマークの美しい風景は一度もスクリーンに映し出されることが無かった。そして映画は限られた空間(緊急通報司令室)のみの映像が88分間を占めた。普通の映画ならスカンジナビアの美しい光景が映し出されるのだが、映画は最初から緊迫した緊急通報司令室から始まった。部屋には緊急通報を受けるオペレーター数人が対応、其の中の一人、アスガー・ホルム(ヤコブ・セーダーグレン)が通報に応対している中で、誘拐された女性イーベンが助け要請してくる、その電話をアスガーが担当して救出のために奔走するのが映画のストーリーだ、でも画面に現れるのはアスガーの顔のアップとミディアムショットと司令室と部屋で働く数人が画面に映るだけで助けを求める女性も電話の声だけで緊迫した様子は観客が想像するしかないが、アスガーとイーベンの会話の中で聞こえてくる車や町の騒音らで想像しながら映画は最後まで楽しめた。改めて、映画は映像だけで無く音声の大切さと言うより人が発する言葉の力の強さを感じた。物語は僕が想像する方向に進まず後半のどんでん返しには思い込みで判断する、アスガー(主人公)と同じ過ちをしていた自分にも反省しながら見終えた。主役を演じたヤコブ・セーダーグレンの演技の素晴らしさに脱帽した。クローズアップに耐えられる数少ない俳優ではと感心しながら場外へでた。久しぶりの秀作映画に感謝そしてデンマーク映画に乾杯と呟いた。
町の光景はライカでの撮影
空の英雄メルモーズ
2019/04/18
自称飛行機野朗として少し恥ずかしくなった。飛行機の航路開拓時代に活躍した有名な操縦士でサン=テグジュペリの小説に登場するので名前は知っていたが水上機による南太平洋横断飛行を成し遂げた事など小説の中で語られているのにと改めてサン=テグジュペリの小説、人間の大地、を読み直し確認した。そして以前に「空の英雄メルモーズ(ジョゼフ・ケッセル著)」を買っていた事を思い出し本棚を探すが見当たらないと記憶のスクリーンを見ると確かに本はあった。そして体を屈め超低空姿勢で探すと何十年も見ていない本箱の中で此処だと言わんばかりに空の英雄メルモーズの背表紙が見えた。メルモーズは戦闘機乗りではなく郵便や旅客を運ぶ民間航空機のパイロットでテグジュペリとも交流があり、旅客航空機の幕開けの時代に活躍をともにした事でも有名だ。そしてジョセフ・ケッセルも操縦士と聞けば読まずにはいられないと買ってから三十年の安眠をしていた本に積もった埃を払い、扉を開き読み始めたばかりだ。本の扉には複葉機やクラッシックな旅客機の写真とハンサムなメルモーズやテグジュペリの姿を映した写真を見て其の時代へタイムスリップしたくなった。そして読み終えたときには読後感を載せたいと思った。
写真・電車と桜はライカで撮影したもの
行く春をライカで撮る
2019/04/17
花散りて また閑かなり 園城寺、は上島鬼貫が江戸時代に詠んだ句ですが今も此処三井寺(園城寺)は江戸時代の様に花が散ると静かな佇まいだ。その様な境内を散歩した。爺も文学的才能があれば俳句の一つでも載せることがと悔やんだ。今日は写真で勝負とライカVfを持ち御近所の行く春を撮りに出かけた。フイルムは花のシーズン前から撮っているから残りは十枚ほどだ。自転車で湖岸を目指す他無いとペダルを漕いだ。以前は何でもない情景を良く撮った事を思い出しながら湖岸の彼方此方で被写体を探した。日常の叙景は物語になると改めて感じた。何時も使うデジカメでは簡単に撮ってしまい観察眼に欠けていることは重々承知しているが、ライカを使うと何故、考えに変化が起きるのか自分での不思議になった。デジカメと違いシャッターを押して直ぐに撮った写真を見ることは出来ないから出来上がりを想像して脳に記憶した。何箇所か撮ってフイルムは終わった。早く結果を知りたいと西大津のキタムラへ向かい現像にだした。今でも一時間も待たずに現像とデーターが出来上がるから便利だ。そして出来上がった写真を見ると納得できる写真が多くありホッとした。パソコンで写真を見ると36枚中、4枚も手振れした写真があり腕が落ちたと感じた、低速シャッターなら八分の一まで切れる自信は打ち砕かれた、三十分の一秒でブレていてはと少し落ち込んだ。でもデジタルカメラでは出せない空気感があると出来上がった写真を見た。
今日の写真は其のうちの三枚です。

















