中島省三の湖畔通信

[正しさ」について・・・・

2019/07/18

正しさについて僕は論じる事はできない・・・今日、「あの日」からぼくが考えている「正しさ」について(高橋源一郎)を読み終えた。本は2011年3月11日に起きた東日本大震災後から始まる著者のツイッターやエッセイを収録した本だ。僕は地震後、著者の様に真剣に我が国を襲った未曾有祐の災害の事を考えていただろうかと反省しながら読んだ。原発事故に対しては直ぐに反応して仲間達と研究者の小出裕章さんを招き2011年4月13日に堅田教会で原発と憲法九条の講演を開催した事ぐらいだ。そして脱市民ウォークにも参加はしているが・・・日本社会の現状は災害直後は世論や市民の活動も盛り上がったが、最近では原発の事も憲法九条の事もあまりメディアの話題にもされなくなった様に感じ少し先行きに不安を感じる毎日だ。本の内容は震災後の緊迫した様子が伝ってきて、久しぶりに3・11の状況を思い出させてくれた。著者が書き下ろすエッセイの中には色んな本の名前が出てきて興味を持った本もあり読みたくなった。正しさは自分の感じる正しさよりも他者の正しさを考え理解できるゆとりがないと本来の正しさには辿り着けないとおもった。今、起きている日韓の問題も正しさばかりを強調していては議論にならないのではと考えながらテレビのニュースを見た。そして昨日、タブレットでYouTubeを見ているとウルグアイ前大統領ホセ・ムヒカさんが2012年にブラジル・リオ・デ・ジャネイロで開かれた国際会議でのスピーチを改めて聞き、素晴らしさに感心した。グローバル経済のもたらした格差社会を見直すには政冶の力が必要と最後に語っていた。今、世界の政冶の状況は危機的な様相が続いている、これでは環境問題も経済問題も解決の糸口が見えてこないと思うと不安が募るばかりだ。でも落ち込んでいても解決はしない、今回は選挙に行こうと決めた。

便利なことは良い事か・・・

2019/07/17

車(自動車)を止めて15年に、免許は持っているが最近は運転した事がなく次回の更新はしない事にした。車を所持していた頃から自転車を利用することが多かった所為か車を手放しても不便とは思わなかった。唯、琵琶湖を一周して写真を撮れなくなったのが寂しいと思うくらいだ。日常の行動半径は5キロと限られた中での生活も其れなりに充実していて不満は感じない中で改めて身近な便利さを考えた。僕の住む家は築90年は超えている古い家で、僕の子供の頃は水道、ガスもちろん電気は利用できる、でも風呂は五右衛門風呂、台所はカマドとガス併用で便利を意識するものが出始めたのは中学生(1952頃)から洗濯機、テレビ、トースター、冷蔵庫らの電化製品が家庭で使われるようになって初めて便利さを実感したのではと振り返った。もちろん電話は各家庭に無かった時代で僕の家の電話を借りに来る人もあった長閑な時代を懐かしく思い出した。現代社会を見回して便利と感じるモノは何かと考えて直ぐに僕は返答できないとおもった、自動化されたドアーやトイレ設備らは障害のある人達には便利と思うが、健康的な普通の人に必要があるのか疑問だ、エネルギーの無駄使いは、必要のない自動化も加担しているのではと、人間社会に溢れる便利なモノを一度、チェックして不必要なモノを引き算できないかとおもった。そして自分の周りから引き算できるものはと・・・テレビ、ケイタイ、パソコン、デジカメ、らを無くしても良いと言えるようになりたいと、でもウォシュレットのトイレは必要と・・・軟弱な自分に反省しながら人間が生物として本体が進化しなかったのは何故・・・脳だけが進化した結果がと・・・そして便利さを風刺した映画、チャップリンのモダンタイムスを何故か思い出した。

写真は今日の琵琶湖

蘇る古材?

2019/07/16

今日は坂本のKクリニックへ検診に出かけ、薬局で友人のKさんに久ぶりに出会った。その後、昼食までご馳走になりKさんの家に寄った。Kさんは古材を使って机や椅子らを作るのが仕事だ。古材は舟板(木造船)や民家を解体する折に出る言わば廃材だ。その中から使えるモノを選び出し形へと、彼が命を吹き込んだ作品は見事なものばかりだ。今日は彼が数年前から古い銅製の雨樋らをもらい受けて加工?と言うより経年変化で起きた緑青の美しさを見極めた銅版を切ったり打ち出したりして独自の作品に仕上げているから凄い、中でも銅板を利用した網代?のタペストリー?は緑青が自然に描いた造形が素晴らしく映える作品に見入った。Kさんとの出会いは古いスキー繋がりだが彼はスポーツ万能だ、そして器用さも兼ね備えた万能選手だと思いながら作品を見ていると、今問題になっているプラスチックのゴミ問題を思い出してきた。プラスチックが古材になる事はない、消費経済社会が生んだゴミとして問題になるだけだ。便利だからと言ってプラ製品を使い続けて40年の時が流れやっと問題に気付いた。未来に生きる人や生きものに対しての責任を感じるも直ぐには対処に動かない資本主義消費社会はどうなるのかと心配が募るばかりだ。原発から出る核のゴミは大量の放射能を含んでいる、そして廃炉後の後始末の時間は現在生きる人達では解決できない事は分かっている、プラスチックゴミ問題は身近で一番早く手が付けられる問題だ、今すぐに取り組む世界的な課題でと思うが・・・辺りを見渡すとプラスチック製品ばかりだ、どうすれば良いのか僕には解らない・・・身近な出きることは数年前から始めているが社会システムが変化しない限り原発もプラ問題も危機的状況は続くと・・・そして人類滅亡の日まで続くと想像はしたくないとおもった。

今日は何の日?

2019/07/15

七月の日照時間が今年は短いと、社会の事象をテレビニュースが伝えていた。今日は海の日だ、梅雨明けはまだかと湖岸から琵琶湖を眺めると少し青空が見えた。雲の上は何時も晴天だと雲上の夏の太陽を想像すると少し暑く感じた。何時も走る湖岸は生活道路から離れている所為か一度も選挙カーに出会う機会もないから本当に参院選挙戦最中なのかと少し選挙の事を考えた。今回ほど選挙に行かねばと思った事は今まで無かった。ニーメラー牧師の言葉の様に自分には関係ないと思っている自分の無責任さを自覚、そして最近見た、話題の映画、新聞記者では此の国の政権の酷さは映画のフィクションの話ではなく現実ではと、そして此の国のジャーナリズムは機能しているのかと現実社会を見ると新聞もテレビも権力に忖度しながらニュースを書いたり流したりしている現状に不安が募るばかりだ。自民党の公約の中で非常事態対処法なるもはナチのヒトラーが使った手法だと誰でもが知っている、そんな公約を掲げる政党の存在に恐怖を感じた。野党も経済問題ばかりでは芸がなさすぎと、思う中、令和新撰組(名前は好きでないが)山本太郎の演説は久ぶりに誰にでも分かる言葉で語られていて好感が持てた。選挙結果は分からないが、戦争をしない国を目指す政党、そして底辺の人達を考える政治家に投票したいと思った。

静かな佇まい

2019/07/14

今年の梅雨は例年と違い蒸し暑さもなく過ごし易く感じるが、これも人それぞれだからと三井寺の境内を散歩した。まだ蝉の声はまだ、聞こえず静かな佇まいだ。僕の暮らす環境は静かで、町中も湖岸も都会の喧騒からは程遠いと思いながら湖岸サイクリングへ出かけた。今日は休日でカヌー教室らの小さなイベントが開かれているが浜大津港周辺は平日と然程変わらず自転車も快適に走れた。湖上にはバス釣りのボートが見られるくらいで琵琶湖も静かだ。におの浜湖岸から琵琶湖を眺めると心は鎮まるばかりだ。家に居る時はテレビを見たり本を読んだり雑事をしている方が煩悩が働き考える事も多くなる、歎異抄つながりで最近、読み始めた、倉田百三の「出家と其の弟子」は親鸞と弟子の唯円が主の小説(戯曲)を読みながら現代も人の悩みは昔と同じではとおもった。そして昔よりも今の方が便利なモノや欲しいものが多く煩悩も多く歎異抄を簡単に理解することが寄り困難な時代ではとおもうが、でも煩悩を量では判断できないのではと、親鸞と唯円の物語を最後まで読もうと静かな湖面を見た。帰路、湖岸で蝉の声を聞いた。地球温暖化の影響は少しづつ人間社会に影響を与え始めたのではと心配になってきた。今回の選挙では環境問題や原発の事等があまり話題になっていないのは何故と考えた。今も大事だが未来へ向けてのメッセージも必要だとおもった。

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