中島省三の湖畔通信

六月の湖岸叙景

2019/06/04

三井寺への散歩では少し蒸し暑さも感じたが湖岸サイクリングでは琵琶湖を渡ってくる風を受け爽やかにも感じた。最近ニュースが伝えるプラスチックのゴミ問題は環境問題として早く解決策を見出さないと大変な事になると心配しながら湖岸から琵琶湖を眺めるとペットボトルらが浮いているのが見えた。浜大津港から石山まで続く湖岸公園に在ったゴミ箱が撤去されて久しいが自販機は存在しているから買って飲み終えても棄てる回収ボックスは設置されていないから自販機の近くには缶やペットボトル、そしてビニール袋に入れられたゴミまでが置かれている光景は日常茶飯事だ。ゴミ箱を撤去するなら自販機も撤去すれば良かったのではと思った。におの浜湖岸ではオオバナミズキンバイの除去作業では漁師さんが活躍していた。漁業組合が県からの依頼で行っているのではと近くに留まっている漁船を見て思った。ならば湖上に浮遊するプラゴミも滋賀県が補助事業で予算をつければと思った。由美浜湖岸の白い紫陽花(アナベル)を見ると暑さを感じる暖色の黄色で早く爽やかな白色に輝く花を見たいと思った。

自動運転システム

2019/06/03

先日、横浜市の新交通システム「金沢シーサイドライン」で自動運転の車両が逆走して事故が起きた、ニュースを見て人間の造ったシステムの不完全さに失望しながら、先日、FBで見た、プランクトンの動画では一ミリ四方の中で動く廻るプランクトンは衝突など起さずにスムーズに働く自然界の素晴らしいシステムを思い出した。人間が運転したり操縦するモノのリカバリーを思い出して見た。僕が昔、操縦していた飛行機はストールやキリモミ状態に陥ってもリカバリーが出きる時間の余裕があった事を思い出してきた。AIらの発達で自動運転の車や飛行機、そして新交通システムの交通機関が発達して現代では、一応安全を訴えているが、もし運転不能な状態に陥った時のリカバリーのシステムが整っているのかと少し心配になってきた。先日、航空自衛隊の高性能戦闘機F35が事故を起し行方不明のままだ、ジェット機の自動操縦も進んでいると聞くが、情報ではパイロットが空間識失調に陥ったのではと?聞いたが僕の操縦していた飛行機は速度も遅く、もし空間識失調になれば操縦桿から手を離し、スロットルレバーをニュートラルにすれば飛行機は自然と水平飛行になると教えられていたが何もかもがAI化で自動化され人間の力でリカバリーできる分野では無いのかと思った。人間が考え作るモノは、まだ未完成なものばかりではと思いながら自動化に進む社会に不安を感じているのは僕だけでは無いと思った。


自然の営みを見ていても飽きる事は無いと雲の美術館を楽しんだ。

見えないモノを立ち上げる・・・

2019/06/02

先日、村上春樹の長編小説「騎士団長殺し」全巻を読み終えた。この作家の長編を読むのは初めてだ。文庫本で四巻をジャスコの本売り場で見た時は買う気は無かった。町中の中井書店では「騎士団長殺し」の表紙が読めと言わんばかり僕の目に焼きついた。上巻の1だけを買った。面白くなければ続きを買わなければと良いと考えたからだ。読み始めは少し話の中へは入れなかったが、主人公が騎士団長殺しの絵を発見すると急に話が面白くなって物語の時間の中へ取り込まれてしまった。騎士団長がある時から主人公の前にイデアとして現れてくるあたりから、小説の世界の表現力は映像の世界よりも強いのではと、小説に登場する身長60センチの騎士団長を想像すると脳内スクリーンに姿が立ち上がってくるから驚いた僕の撮影するドキュメントでは見えないモノ(イデア)を立ち上げ表現することなど出来ないと、少し小説の世界が羨ましくなった。僕が好きな映像作家タルコフスキーの映画で見る美しい心象風景の中に見えないモノ(イデア)を想像する事が少しは出来たと思っているが小説の世界ではいとも簡単に言葉の表現力で見えないモノを立ち上げ物語の中心にまでも引き出せる力を感じ、改めて言葉の不思議な力に感心した。騎士団長殺しを読み終えた後には爽やかな風が体の中を通り抜けると同時に現実の空気の重さを再び感じてきた。そして村上春樹のファンになった。


町中の商店街は今日もイベントで賑わっていた。其処には見えないモノの存在を感じなかった。

セピア色の街

2019/06/01

セピア色と言えば古い写真の代名詞だ。今日から六月、梅雨入りも近いと空を見上げると五月の爽やかさを感じた。鹿関橋から疎水を見ると通船が二艘、観光客を待っていた。観光の目玉?とメディアが伝えていたが通船が二艘で運べる人数は乗員を合わせて28人では、大津の町の何処が賑わうのかと思いながら流れの先の通船を見ていると、僕が以前博物館で見たセピア色の写真を思い出すと明治時代の通船が何艘も疎水に繋がれ、物資や客の姿までもが僕の脳内のスクリーンに浮かんで来た。時は遡ることなど不可能と昔の面影など写真で充分と思いながら三井寺へ散歩に向かった。湖岸サイクリングで訪れた浜大津港でデジカメの機能をレトロ写真に切り替えて今の光景を撮った。そしてデジカメのモニターで見るとセピア色の写真が撮れていた。50年後の人が紙焼きされたセピア色の写真など見ることは無いが、もし写真を見たら懐かしい風景と感じるのだろうかとモニターに映る写真を見た。帰り道、商店街に入ると恒例の百円商店街で賑わっていた。僕が昔、日常的に見ていた商店街の賑わいとは別物と思いながらデジカメのシャッターを押した。そしてデジカメのスクリーンで確認するとセピア色に染まった商店街が映し出された。もう日常としての商店街の賑わいは戻らないとセピア色の静かな町で僕は良いと思いながらデジカメを肩に架けた。

琵琶湖を見ないと

2019/05/31

毎日、琵琶湖を見ないと落ちつかないと帰宅後、琵琶湖へ自転車で向かった。浜大津港を過ぎると何故か今日は長い突堤と言うより湖上の遊歩道の様な桟橋を歩きたくなった。と言うのはFBに何時も琵琶湖で活躍するプランクトンの美しい動画をアップされている研究者の石上さんが時々、この突堤からプランクトンを採取されると記されてあった事を思い出したからだ。何時もなら釣り人が糸を垂れているが今日は誰一人見かける事が無かった。突堤に佇んでいると観光船ミシガンが帰港して来た。この角度から見るのは初めてとデジカメのシャッターを押した。何気なく湖面を見ていると、石上さんのプランクトンの活動の様子を捉えた素晴らしい映像が浮かんで来た。肉眼では見えないが琵琶湖を底辺で支える小さな生命の躍動で琵琶湖が活性化されているのだと改めてミクロの世界の神秘さに思いを馳せた。湖岸に架かる吾妻川の橋の手摺にはアオサギが通る人も恐れずに悠然と琵琶湖での捕食者としての頂点にいるのは俺だと言わんばかりの存在感を示していた。自転車でアオサギの傍を通過してコーヒーブレイクに向かった。何時も寄る喫茶店タイムでコーヒーを飲みながら窓を見上げると子ツバメが三羽、巣から可愛い顔を出しているのが見えた。自然の中で暮らす彼らの無垢な美しさに心が癒されるとコーヒーの味がまろやかに感じた。

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