中島省三の湖畔通信

ノロウイルスに

2019/01/07

今日は市民病院の整形外科に手のひらの診察を受けに行くために少し早起きをした。境内を歩くと普段では感じられない冬の光線を受けた建物が際立って美しく見えた。そして長く伸びた自分の影の長さに驚きながら散歩を楽しんだ。市民病院での診察は事のほか時間が掛かったと言うのはレントゲンで一時間以上待たされた事は予想外で、診察は五分と短く済んだ。医師は経過観察すると言って終わった。帰宅後、昼食を済ますと変な予感がした、以前に感染したノロウイルスの初期症状を感じ胃の上部に不快感を覚えたが、友人に誘われてコメダへコーヒーを飲みに出かけた。そして帰宅するとノロの症状が爆発した、激しい下痢に続いて死ぬのかと思うほどの嘔吐で完全ダウンした。でも感染力が強いウイルスの処理は徹底的にしなければと自分で処理をした。家族の感染も無く昨日、同じ蒸し寿司の出前を食したのに自分だけがと、感染元は空気感染かコーヒーショップかと思うが見当も付かずに寒気を感じながら休んだ、午後は最悪の日となった。やっと症状が少し治まり湖畔通信を書けた。

出初式

2019/01/06

今日は大津市の出初式が浜大津港であった。生憎のお天気で出初め式のメーンイベントの放水では虹が見られず残念と思いながらデジカメのシャッターを押した。数年前までは滋賀県の防災ヘリも参加して航空ファンには魅力ある出初式だった事を思いだしながら見物した。今日は写真も出初式オンリーとなった。

PIROSMANIの文字に誘われて

2019/01/05

正月でワインを飲んでしまい、家のワインは無くなり午後,浜大津の小川酒店へ出かけた。店に入りワインのコーナーを見回すと陶器のボトルが手招きして私は此処よと言っている様に感じると自然に其のワインの前に立っていた。陶製のボトルにはワインを持っている酔っ払い?の様にも見えるレリーフ的な絵の上部にPIROSMANIの文字が見え、直ぐにグルジアの画家ピロスマニだと分かった。グルジアは今はジョウジアになったがワインらはグルジアワインで通用している、ワインの名前がピロスマニときたら百万本のバラ、を思い出した。画家ニコ・ピロスマニと女優マルガリータとの恋を詩にしたのが詩人のアンドレイ・ヴォズネセンスキーだとパソコンで知った、そして僕はチエルノブイリ原発事故を題材にした映画、故郷よ(1986・ミハル・ボガニム監督)の中で消防士の結婚式で百万本のバラが歌われた場面を思い出した、主人公の夫の消防士は其の日に事故現場へ向かい帰らぬ人となってしまう悲しく辛い映画だが秀作で見ごたえがあった。グルジアと言えば僕の好きな映画監督、イオセリアーニの映画、月曜日に乾杯を思い出してきた。この映画は楽しく人生は気ままに行こうぜと主人公が会社へ行くのを止めて旅をする映画だったと記憶している、グルジア出身者ではスターリンが一番有名だが僕はイオセリアーニの方が好きだ。今夜はグルジアワインで乾杯と決め夜を待つだけとなった。

三井寺の蓮池でアオサギ君に会うも近くの木に逃げられた。

60年前の宿題?

2019/01/04

60年前の宿題をした訳ではない、去年の11月に著者からいただいて読んだ「ドイツ革命・池田浩士著・現代書館」は1918年の革命の本質が分かりやすく書かれた内容は躍動感にあふれる時代を感心しながら読み進む中で度々ロシア革命のことが本の中に出てくるときに、ロシア革命を描いた本「世界をゆるがした十日間(ジョン・リード著)」を思い出すと高校生の夏休の宿題として世界史の奥村先生が出された読書本がこの本だった、ことを思い出した。そして「ドイツ革命」読み終えてから古い本箱を探すと古本の中から岩波文庫が数冊見つかった、その中に「世界をゆるがした十日間」が草臥れた姿で僕を待っていた。多分、僕は宿題などしていないと確信をもって文庫本を手に取った。そして裏表紙を開き値段を見ると上巻は120円そして下巻80円の定価だった。昭和32年発売とあり高校2年生だと分かった。数日後に忘れていた宿題をする気分で読み始めると、意外と面白く感じながら1917年のロシア革命の真っ只中へ入って行く感覚にとらわれて時間があるたびに手に取り読んだ。そして下巻はつい最近の正月の二日に読み終えた。ドイツ革命、ロシア革命も民衆(労働者、農民、兵士)が蜂起して理想をかかげ進むが終結に向かうころには大きく変わってしまう結果は社会の変革の難しさを感じると同時に空しさも感じた。今の世界の各地の政治状況や社会は革命を経過してきたのに貧しく弱い人たちが暮らす社会は今も続いている、何時になったら平和で平等な社会が訪れるのかと考えて60年前の宿題は終わった気分になった。

めでたさも ちゅうくらいなり・・・

2019/01/03

めでたさも ちゅうくらいなり おらが春 は小林一茶が59歳文政二年(1819年)の正月に詠んだ俳句だ。僕は正月になると決まってこの句を思い出す、子供のころから正月を楽しいと思った記憶が無い、やれ羊だの申,午、竜、干支の事などなど言われても皆目分からずに興味も湧かなかった。大人が酒を飲み、騒ぐ姿を見て何が目出度いのかと不思議に感じていた少年時代をおもいだしながら、めでたさも・・・と口ずさむと心が穏やかになった。この句をパソコンで調べ、少し理解できた。ちゅうくらい、は信濃地方の方言で、あやふや、いいかげん、どっちにつかず、として使う言葉とあり、又、江戸時代では、上でないこと、余りよくない、面白くないとあった。正月に僕がこの句を思い出すには丁度あっていると少し嬉しくなった。今日の湖岸サイクリングで見る浜大津の公園広場では遠くにホームレスの人の手押し車がベンチの傍らに見えた、この寒空の下で暮らす人はと心配するだけで何も手助けは
出来ないちゅくらいの自分がいるだけと湖岸から琵琶湖を見た。

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