遥か上空は秋が・・・
2018/08/25
夏台風の通過後はすっきりとした、お天気には恵まれず、今日も雲が覆って晴れ間も少し見られる中、湖岸サイクリングに出かけた。浜大津港ではミシガン号が乗船客を待っていた。艦橋?を見上げると日の丸と星条旗が目に入った。何故か星条旗の方が誇らしげに風に揺れている光景を眺めるていると、日米地位協定の事が急に僕の頭に浮かんで来た。日本国憲法より上位にあるのではと考えさせられることが多く、在留米軍の起す事件や事故には日本政府が未だ介入できない状態はアメリカの占領国のままだ、と思うと空しさと哀しさを同時に感じ、デジカメのシャッターを押した。浜大津港近辺ではイベントの準備が進み来客を待っていた。何事も自国ファーストそして自分ファーストの時代では環境問題や紛争は解決の糸口を見つけるのも難しい時代になると新聞記事に在った事を思い出した。におの浜から琵琶湖を眺めると小さな青空が見え遥か上空は秋の気配が見えた。由美浜湖岸では美味しそうなキノコが・・多分、毒キノコと判断して写真だけを撮り帰路に着いた。
大津絵
2018/08/24
大津絵と言えば大津を代表する名物だ。名物と言っても食べ物ではないが江戸時代から東海道大津宿の名物として大津絵が売られていた事は誰でもが知っていると思うが、大津絵は今も大津市内で売られている、其の絵師、四代目高橋松山さんが21日に亡くなられた。僕が28歳の時大津JCで知り合ってからのお付き合いで50年の時が流れた。大津絵友の会が発足した折にも大津絵を暫らく習った、先生でもある、大津絵は手本どおりに描くのが基本で、同じことをするのが苦手な僕は上達する事無く止めたが、今でも大津絵の鬼の寒念仏は自己流で描く時もあるが、自分の絵を眺めるのは嫌だ。高橋松山さんは四代目で大津絵を専門に描く絵師だ。お酒も一緒に飲み楽しんだ時期も、そして大津びわこライオンズクラブから写真集を発刊してもらったのも高橋松山さんにお世話になったからと思い浮べている、今年も近所でお会いして話した折も人間簡単には死ねへんぞ、と言われたのが印象に残っている、僕の知っているだけでも大病の多さには驚くが、その人から病気ぐらいでは死ねないと聞くと真実味があった。ご冥福を祈りながら四代目高橋松山さんの描いた大津絵の藤娘の額を玄関に飾った。
大津絵は多くの画家も描いている事は有名だ。我が家の屏風にも柴田晩葉の描いた短冊の鬼の寒念仏も面白いと思った。
台風の影響
2018/08/23
台風20号の影響で浜大津港では観光船は運行休止で人影も無く寂しい風景だ。打出浜へ向かおうと自転車に乗ると急に雨脚が強くなった。ゴアの雨具を羽織るも経年変化の所為か防水力の低下を感じ急いで帰路に着いた。
夕食後。風は強いが雨は小休止、急いで自転車を出し湖岸へ向かった。嵐の前の湖岸風景を撮るために、打出浜から見る琵琶湖の上空は青空も見られるが風は10メートル以上は吹いている、でも自転車で走るには問題は無かった。湖面の波を見ながら台風の無時の通過を祈った。
台風近付く
2018/08/22
台風20号が明日、上陸とテレビの天気予報が伝えていた。湖岸サイクリングも昨日に続き風は東方から吹き膳所方面に向かう時は向かい風でペダルを漕ぐ足に力が入った。におの浜湖岸から琵琶湖を見ると積雲の高度は千メートルと低く湿度が高いことが分かる、比良山系びわバレイは雲に隠れていて最近観光地として有名なスカイテラスの売りの眺望も残念ながら雲の中ではと思いながら写真に撮った。新聞の報道によるとびわ湖バレイのある打見山、蓬莱山にはスカイテラスなる展望台が大人気で何十万人もの観光客が訪れていると伝えていた。僕が初めて蓬莱山に登ったのは今から57年も前、もちろん歩いて登るより手段は無かった。熊笹に覆われた蓬莱山頂から眺めた琵琶湖は今も記憶にある、歩いて自分の力で登って山頂から眺める景色はケーブルやロープウエーで山頂へ運ばれて見る眺めとは違うのではと・・・でも冬のスキーではびわ湖バレイにも多く行ったことを思い出しながら観光化され行く蓬莱,打見山の未来の姿を想像すると山の自然環境の悪化を心配しながら東からの追い風を受け軽くなった自転車のペダルを漕いだ。
旧東海道札の辻
2018/08/21
近年大津に移り住んだ人には札の辻、東海道そして大津八丁通り、と言っても場所すら分からない人が多いのではと思った。今日、湖岸サイクリングからの帰路、久ぶりに大津の町中へ入った。県庁前から京町通りへ、この町並みは旧東海道だ。甍の町家が1940年代までは軒を連ねて其れなりの町並みが往時の賑わいを感じさせてくれた。今では新しい建物が増え大津宿をイメージするのも難しいと僕は思った。寺町通りから札の辻へ向かう旧東海道は最近石畳風に舗装され町家ホテルも開業しているが人通りも少なく閑散としていた。歴史もあり昔栄えた宿場町としての雰囲気もあると言われているが僕は納得はしていない、昭和40年代は古いお店や喫茶店や元遊郭の柴屋町も賑わっていた。現代では昭和を感じる料亭も少なくなり町を歩いても寂しい限りだ。これから先、町の発展は望めないが、住み易く暮らしやすい町を目指すのが良いのではと静かな町を自転車で走ると旧東海道の西方を見ると三井寺観音堂が見えると何故かホッとした。

















