中島省三の湖畔通信

木が一本あるだけで・・・

2018/04/19

湖岸サイクリングで何時も通る浜大津港の公園の中で一際、美しく見える一本木が新緑を纏い輝いていた。通称一本木コロッセアムと呼ばれ親しまれている、形もよく絵になる木と写真にする事も多く湖岸公園では僕の好きな処だ。稚アユが釣れだしたのか湖岸の彼方此方で多くの釣り人を目にした。今日の琵琶湖は波も無く久しぶりの好天の中、湖岸を走り終えた。

午後は湖畔通信用の被写体を探し近場を自転車で廻った。市役所前の皇子山公園に噴水がある事を思い出し、その場所へ行くと、既に噴水の役目を終えたのか水は無く正面の聖火ランナー三人の彫像が寂しく立っていた。噴水の近くに寄ると、びわこ国体を記念して建立されたとあった。お金をかけた施設も時が経てばこの様になる事は想像できるのではと思いながら浜大津港の一本コロッセアムの美しい木を思い出した。無用な人工のモニュメントを作るくらいなら木を多く植え自然豊かな森をモニュメントにした方が良いのではと思った。

アオサギとカメ爺?

2018/04/18

何時もの散歩、三井寺の境内でアオサギ君に出会った、アオサギ君と親しみを込めて呼ぶのには理由が・・・以前、金堂の蓮池で見かけたアオサギは僕を認識しているのかと思うくらい近くへ寄っても逃げなかった。今日のアオサギは最初は釈迦堂の屋根に留まっていた。デジカメで屋根のアオサギを撮っていると舞い降りて釈迦堂前の弁財天の池へ入り餌を探し始めた。写真を撮ろうと距離を狭めても逃げる気配もなく餌探しに興じていた。アオサギは此方を見て、何時ものカメ爺かと呟いているようにも見えた。僕は件のアオサギ君かとおもったが個体を認識できる自信はないが,何時ものアオサギ君であってほしい思いながらシャッターを押した。

湖岸サイクリングでも吾妻川河口でアユ釣りの人がブルーギルを釣り上げるのを待っていた。よく見るとアオサギ君ではないかと考えるが断定する自信はないと諦めて自転車に乗り、におの浜へと向かった。

今日もデジカメのアートモードで雨後の琵琶湖を撮った。

セイヨウタンポポ

2018/04/17

湖岸や公園で見かけるタンポポの花は外来種が多いと聞いていたので写真に撮るほどでもないと立ち止まる事もなかった。でも今日は違った、西大津コメダからの帰り道、今日の写真に花でもと皇子山陸上競技場横の植え込みを見ると黄色の花が目に付き自転車を止めた。タンポポの様な黄色の花が群生?でも日本のタンポポは群れて咲かないと思いながら近付いて写真を撮った。少年時代、見てきた、タンポポとは少し違うと感じ、帰宅後、パソコンで見るとセイヨウタンポポ、そして環境省指定要注意外来植物、侵略的外来種ワースト100に入っていると記してあった。黄色の花で湖岸で見かけるオオバナミズキンバイやキショウブも同じく要注意外来植物だ、身近な処で見られる黄色の花の殆どが要注意外来植物と分かり身近な環境も随分と変わったと実感した。航空網が地球上を覆っている現代では植物の種子は何処へでも行け、自分に合った環境で育ち勢力を伸ばしている、駆除をするにも大変な労力とお金が必要だ。去年も湖岸で学生さんのグループがオオバナミズキンバイを絶滅すべく奮闘していたが、新聞によると去年の台風の影響で種子が撹乱され琵琶湖の彼方此方でオオバナミズキンバイが復活するのではと記事にあった。人間と植物では地球上での生命の歴史が違う、方や何億年の地球体験歴と人間は多く見積もっても500万年の歴史では到底、植物に勝てるとは思えないと考えた。

由美浜湖岸ではシラサギ君が我ら鳥類は地球上何処へでも行け住むことも出来る自由な権利を持っているが・・・植物にも権利はあるのではと言っている様な気がした。

電話ボックス

2018/04/16

午後、西大津イオンへ向かう途中、皇子山グランド脇の電話ボックスが目に留まり自転車を降りデジカメで撮った。SF小説の主人公ジャンの様に地球の消滅を見ることは出来ないが電話ボックスが消えるのは見られるのではと思った。でも帰宅してからパソコンで調べて、公衆電話の必要性が高い事を知った。災害時に通信手段として活躍した事は新聞等の記事で認識していたが、自分もケイタイを持ってから電話ボックスを利用した事が無く公衆電話の重要性を忘れていた事を恥じた。電話と言えば最近見た映画ペンタゴン・ペーパーズではダイヤル式の電話や公衆電話を記者が利用する画面が数多く出てきた。電話の想いでは子供の頃、我が家で目にした、今なら、さしずめロボットの顔の様な姿をした四角い木箱が柱に取り付けてあった。もちろんダイヤルも無く、電話機の左サイドの受話器を取上げ左耳に当て、右サイドに付けられたクランクハンドルをグルグル回してロボットの口に向かってモシモシと交換手を呼び出して相手方の番号を言ってから、受話器を一度,元の場所に戻し、暫し待つとロボットの目の様な二個のベルがジリリンと鳴ると、受話器を取上げて相手方と話ができる仕組みだった。近所では電話も少なく隣の家の人も借りに来た。其の時は通話が終わると交換手に何通話でしたと尋ね電話料金を精算してもらった事が懐かしく思い出された。今では我が家の固定電話の使用も減り、架かって来る電話も殆どがケイタイになった。便利になったが失ったものも多いのではと考えながら昭和時代の懐かしい風景が頭の中のスクリーンに映し出された。

SF小説

2018/04/15

雨が上がった午後、湖岸サイクリングに出かけた。雨後の琵琶湖は上空低く雲が立ち込める情景は絵になるとデジカメの撮影モードをアートポジションに変え撮った。カメラのモニターで見るとSF映画を想像させる写真になった。その写真を見ていると最近、読み終えたSF小説、地球幼年期の終わり(アーサー・C・クラーク)を思い出してきた。この本を知ったのは京都での呑み会の席でIさんが、感銘した小説がありますよと紹介された本だ。近くの本屋で取り寄せ手元に来たのが月曜日、一週間で読むつもりが余りの内容の面白さに三日で読んでしまった。小説の始まりは人類が宇宙へ進出しようとロケットの準備を済ませた時に総督カレレン率いる船団が宇宙から地球にやって来た所から物語りは始まる、人類の創造を超えた知的外来生物は地球に到着した、その日から地球全土に平和をもたらし人類は苦労する事無く暮らす、一世紀とジャンなる青年が彼らの星へ向かう光速船で密航して地球に帰ってくると迎えてくれたのはカレレン総督だけで人類は既に地球上に存在せず、静かな地球がジャンを迎えた。と言う小説だ。でも中身の凄さは読み進むなかで感じる人類の宇宙に置かれている立場やカレレン総督の宇宙観が次々と僕の脳をSF小説の世界へと誘った。読み終えると何とも言えぬ安堵感とある種の清清しさが心に漂った。人類は滅びるのではなく地球と一緒に消えると想像すると、僕もジャンの様に地球が消滅する瞬間に立ち会いたいと思った。

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