中島省三の湖畔通信

銀杏の名木

2017/11/26

今日は久ぶりにロードバイクで湖岸サイクリングに出かけた。やはりロードバイクは軽く爺の足で漕ぐペダルにも反応してくれ何時もより早く走れた。今日は休日とあって湖上にはバスボートが多く見られ、湖岸の釣り人も殆どがバス釣り客だが大物を釣り上げた人には出くわさなかった。この頃は写真の被写体に困っていて、少しスランプだと思いながら由美浜まで来た。辺りを見渡すと湖上ではなく膳所の家並みの上に首を出して存在感を示している銀杏の木が目に留まった。この場所、由美浜は以前、和田の浜と言われ、和田神社の大イチョウは昔から湖上を航行する船の目印として役立っていた事は書物で知っていて何度も写真に撮った事を思い出し、自転車で神社に向かった。膳所藩の旧城下町の道は狭く曲がりくねって自転車でもスピードは出せないが、湖岸から数分で行けた。銀杏の大木は高さが24メートルもあり境内から見上げると圧倒され自分の存在が失われそうに感じながら写真に撮った。以前より上部が随分と綺麗に剪定されたのか整った美しい樹形になったと思った。樹の傍の立て札を読むと樹齢六百年とあり、人間では考えられない時間を、そして歴史を見てきた事と、もし銀杏が喋れたら訪ねたい事が山ほどあるのにと・・・そして大津の中央大通りにある,銀杏の名木も見たくなり、曲がりくねった城下町の道を走りぬけて大津中央大通りに着いた。此方の銀杏も名木で有名だが、以前は華階寺の境内で環境も良く育った銀杏の大木は雄、雌、の二本が、今では駅前から延びる大通りの中央分離帯で往時の勇姿を微かに感じさせるが、排気ガスの影響で近年は元気のない姿で鎮座ましていて気の毒に感じた。この樹も湖上交通で紺屋ヶ関を目指す丸子舟らの目印になっていたと大津歴史博物館の資料で見た事を思い出しながら名木の今の姿を写真に撮った。

市民ウォーク

2017/11/25

今日は月に一回、行われる反原発市民ウォークに友人と参加した。市民が参加しやすいようにデモとは言わずにウォークと言葉を変えるが福島原発の事故後は多くの市民が参加して、其れなりに盛り上がっていたが最近は多くて30人ぐらいと少なく、関電滋賀本社経由して湖岸までのコースを今日も歩いた。先日あった、反原発の集会も、正直なところ僕は飽きてきた、主催者側が普通の市民感情を全く理解していないのではないかと、今日も好んで参加したわけではない、出発までの間に,色んな人達が話をするが、僕はイラつくばかりだったが、一人だけ内容があり聴いた。其の話は友人がドイツと日本の間には福島原発の捉え方に温度差がある事を話した、そしてドイツでは東北地方らは放射能汚染地区と認識していて、友人がドイツに住む家族に米菓を送る時には産地は必ず西日本で生産された米でなければ送り返されてくる現実を知らされおどろいた。日本のメディアはその様な事情は伝えないのは何故と感じながら湖岸まで行くと琵琶湖が迎えてくれた、今日は、それだけで充分とおもった。

三井寺の鍋塚

2017/11/24

三井寺で鍋と言えば霊鐘堂に置かれている弁慶の釣鐘と汁鍋が有名だが、その他に江戸末期から明治初期にかけて活躍した探検家、松浦 武四郎の鍋塚が三井寺にある事を知る人は少ないが、松浦 武四郎は今の三重県松坂の出身で北海道の名付け親としても有名で、パソコンでグウグルと北海道が、蝦夷地と呼ばれていた、時代に個人で赴きアイヌ民族と親交を深めアイヌ文化や暮らす土地を詳しく探査して表した書籍が評価を受けて明治新政府の役人を務めるもアイヌ民族への明治政府の強硬な政策には意見が合わずに辞した。その後は自由に日本中を旅して廻ったとあった。武四郎の旅は野宿が基本で、持ち物で一番大切な鍋で武四郎は三つ四つ持っていた、その一つを大峰山の行を終えた記念に行者の本山である三井寺(園城寺)に埋めて鍋塚を建立したとネットで見た。其の塚は今も木立の中に静かに立っている。松浦 武四郎の事はネットで検索すれば詳しく載っていて、興味のある人は見てほしいと、そして以前テレビ番組で見た事を思い出した、アイヌへの尊敬の念を持ちながら蝦夷地を自らの足で探査した業績、そして浮世絵師だった事は以前に見た河鍋暁斎の展覧会の中に展示されている不思議な絵を思い出した、其の絵は涅槃図でお釈迦様でなく松浦武四郎が描かれていたが武四郎の浮世絵は残念ながら展示されていなかった。今日の散歩で寄った鍋塚の辺りは雑草が刈られて綺麗になっていた。写真を撮りながら辺りを見渡したが旅好きの武四郎の気配は無かった。本来ならもっと評価されるべき人物とおもった。

大津観光事情

2017/11/23

今日が勤労感謝の日と気づいたのはカレンダーを見ての事、最近は祝日が多くなり、いちいち覚えるのも煩わしいと、思うのは毎日が休日の年金爺には憶える必要がないからだ。少し冬型も緩み今日は自転車も素手で大丈夫と浜大津へ向かった。丁度、港では観光船ミシガンが出航するところに出くわした。船上デッキには休日で多くの客が乗務員の先導で、行ってきます、の大合唱?が,見送る人は4人と少なく、しかも関係者が、行ってらっしゃいコールを投げかけている風景は少し寂しくも見え、観光地としてはもう一工夫が必要とおもった。打出浜から由美浜にかけての湖岸も晩秋の寒さのせいか人影も少なく、やはり琵琶湖の観光シーズンは春から秋までと思った。帰路、町中へ向かい、旧東海道の京町通りが整備されたと聞いた事もあり寄って見た。電柱を地中に埋める工事は済んでいないが路面は一見すると石畳の様に綺麗になっていた。これは国の事業も関係しているのではと考えながら家並みを見ると僅かに残っている民家が往時の東海道を少し感じさせてくれるが観光で態々、人を呼ぶほどの魅力があるのかと疑問に感じながら写真に撮った。そして疎水に架かる鹿関橋から水門を見ると新造された通船が留まっていた。今朝の京都新聞には来春から本格運行と記していたが、二隻の通船で一度に運べる乗客は24人と少なく、いくら9往復すると言ってもミシガン号の乗客一回分に満たない数では、僕はそんなに大津の観光として期待はできないのではと長等山を見ると三井寺の観音堂が見えた。観音信仰として賑わった三井寺は今は静かな佇まいの境内は、京都観光の混雑とは又、違った魅力があり、何時の日か、また往時の賑わいが帰ってくるのではとおもった。

クローン人間

2017/11/22

先日、読み終えた小説、わたしを離さないで(カズオ・イシグロ)ではクローン人間が主役の物語で予備知識無く読み始めた。最初の頃は主人公らの暮らす施設がクローン人間の子供を教育する学校と理解するまで時間を要したが、後半はクローン人間が葛藤しながら生きる社会の状況を描いたカズオ・イシグロの小説はこの作品に限らず何時も感動させられ、そして僕の脳裏で生命の社会問題にまで考えが進んで行き、心に残る小説と思った。小説の中のクローン人間は内臓を人間に提供する為だけに生かされ、提供が終わると死が待っているだけと、なんと悲惨で惨いことと、足下を見ると自分達が暮らしている消費社会では牛、豚らが人間に食される為に飼育されいる動物の世界も同じではないかと思った。人間以外では時々、クローン技術で牛が作られたとニュースで見た事があるが、この小説の様に現実社会に人間のクローンが登場する時代には絶対にしてはいけないと考えた。

今日の湖岸サイクリングで見る湖岸の並木も葉が落ちて冬に模様替えしてしまった。今年は本当に秋が短かったと感じた。でも、湖岸から町へ足を運ぶと人工河岸の楓の並木は紅葉が見ごろとなっていた。

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