あらしやま嵐子を知っているか
2017/11/21
今日は三井寺の観月舞台で、あらしやま嵐子のコンサートがと・・・言っても、あらしやま嵐子を知る人はいなくて当然、今日、本日デビューしたのだから、と言うのは僕の友人の作曲家(シンセサイザー)のMOROさんから夏頃、三井寺でコンサートを出来ないかと相談され、早速、三井寺の執事長Fさんに、その一件を御願いしたところ快諾いただき開催できる事になった次第だ。あらしやま嵐子(SAKI)さんの名前も今月に入ってから打ち合わせの時にMOROさんが言ってから決まったのではと僕はおもった。今日は、あらしやま嵐子の記念すべきデビューコンサートの日だといっても歌手はマイナーで宣伝も、チラシ、看板も無く人集めの努力はゼロで本日の開演となった。三井寺は秋の観光シーズン、でも京都ほどの観光客も無く観月舞台の前で聴く人も疎らだが、嵐子さんの作詞そして曲はMOROさん担当した歌を嵐子さんが歌った。語りかけるような歌い方は静かに響きながら聴く人の心に届くと僕は思った。ケイタイで急に呼び出して参加してもらった友人も良い歌だと言っていた。テレビやラジオから流れて来るメジャーな音楽も良いが時にはマイナーな音楽を聴くのも楽しいと思った。午後2時から夕方を過ぎ6時まで寒さの中、熱唱した嵐子さんのパワーにエールを送ってMOROさん一行と別れた。
蓬莱山初冠雪
2017/11/20
蓬莱山と言うより琵琶湖バレイと言った方が通じるのではと打出浜から比良の山波を見ると蓬莱山の山頂が雪化粧されていた。以前なら雪を見れば胸が躍りスキーの準備を始めたものと・・・今年、一月に骨折してからスキーとは無縁になったが、でもゲレンデならスキーで滑る自信はあるがAドクターからは禁止されているので諦めてはいるが少し未練はあると湖上の彼方の蓬莱山を見た。僕が蓬莱山へスキー登山に向かったのは1963年の冬と記憶していて、江若鉄道に乗り蓬莱駅で下車、最初は徒歩で雪が多くなるとスキーの裏にシール(アザラシの皮)を取り付けてのスキー登坂で小女郎峠を目指した事が懐かしく思い出された。今は琵琶湖バレイと名の付いたスキー場となった現在ではカーレーターからアルプスゴンドラを経て三代目の大型ロープウェーは一度に百人もの客を乗せて山頂まで10分少しで着く時代に誰も麓からスキー登山などする人は皆無と半世紀の時間を感じると懐かしさが込上げてきた。近年は雪が少なく比良山系で山スキーを楽しめることは無いのではと・・・其の当時は蓬莱山付近では3mは越す積雪があり遠くへ出かける事無く身近な場所で冬山を楽しめた時代には地球温暖化など環境問題など話題にならなかった無責任な時代だったのではと思いながら湖岸を自転車で走った。
虹と蜃気楼
2017/11/19
強い冬型で寒さが強くなるとテレビの天気予報が伝えていた。今日は二回も湖岸を自転車で走った。午前は何時もの湖岸サイクリングで湖畔通信の写真を撮る目的だ。打出浜から湖上を見ると琵琶湖大橋は今日も下方蜃気楼で守山側の橋の部分が湖面に消えて見えた。ヨットは風を受け遠くから見てもスピードが早いことが分かった。虹を期待したが薄い虹が少し見えた。充分、写真が撮れ納得した。午後は又、湖岸を走り、におの浜近くの会館で大飯原発反対集会の講演を聴きに行った。講演内容は毎日新聞記者の高浜原発がある地区の現況と国家の原子力利用の矛盾点を記者の視点で語ったもので僕にはインパクトは無かった。そして参加者も少なく反原発運動の実情はこんなものと思った。もっと広い視野で捉えなければとおもった。我が国の少子化も大きな問題と考えると近い未来、此の国に其れほどエネルギーを使う産業が起きることも無いとおもうと、今から原発の停止した後処理の方が大きな問題として考えると、未来を生きる人達に負の遺産として残す方が無責任なことではないか、今直ぐ原発は全廃、そして直ちに廃炉作業にかからねば少子化が進んでからではどうする事も出来ずに原発は放棄されて放射能を垂れ流す状況を想像すると恐ろしさで気分は暗くなるばかりだ。
観光地
2017/11/18
何時も散歩する三井寺も秋の観光シーズンで賑わっていると言っても京都の寺社仏閣の様な混雑する程ではなく静かに秋を楽しむには最適とおもった、そして三井寺が観光シーズンに大混雑した記憶は僕にはないと思いながら境内を歩いた。春の桜と違い秋の紅葉は雨の日も趣があり晴れた日よりも浮かび上がって見える紅葉は漆の朱色を彷彿させ、また雨が音を吸収するためか何時もより静寂な雰囲気が漂う三井寺の佇まいは京都の観光寺院では決して味わえるものではないと思った。京都では訪れる観光客が一寺院で年間に五百万人以上訪れると聞いた事があるが幸い滋賀県の観光地は大した混雑もなく自然の多く残る寺院を見学できるメリットは大切にしたいと思った。そして琵琶湖を眺めるのも雨の日が良いのではと水墨画の様な風景は心を鎮めるには最高と、打出浜から雨情を楽しんだ。
ファビング
2017/11/17
コーヒーブレイクに寄ったコメダで朝日新聞を読んだ。最後に読んだ天声人語にファビングなる新語の事に触れた文に目が留まった。そして今テレビや新聞を賑わしている角界の暴力事件の発端もファビングが原因とテレビニュースでも伝えていた。余りにもスマホに夢中になり相手を無視してしまう事をファビングと言うらしいが、以前からのケイタイでも人との会話中にケイタイが鳴ると会話を中断して架かってきたケイタイに出る友人に不快感を持ったことを思い出した。スマホとなれば耳だけでは無く目までもがディスプレイ画面に向き会話している相手はさぞ不愉快になる事は想像できる、僕も骨折してからスマホを持っているが相手に不快感を与える事が分かっているので会話中や食事中にベルが鳴っても出ない事にしている、そして最近はスマホのカメラモードは殆ど使わなくなった。パソコンにしても湖畔通信をアップする時と写真をデーター化する時は重宝しているのは事実だが、今、パソコンとスマホが無くなっても年金爺は無ければ無いでやって行く自信はあると思った。
今日の湖岸は高気圧に覆われ穏やかな天気となり湖岸サイクリングを楽しめた。打出浜湖岸から見る琵琶湖も波も静かで水鳥が遊ぶ長閑な風景が広がっていた。におの浜のホテルのプールサイドでは高い櫓が組まれている最中だ、温泉水を掘り当てる為の掘削と僕は想像した。

















