中島省三の湖畔通信

有料の双眼鏡

2016/01/27

寒波も去り今日は暖かな日になった。何時もの三井寺への散歩では又アオジに出会った、此の小鳥(アオジ)は僕を認識しているのか近づいても逃げない、友達になった様で嬉しい気分になった。写真を数枚写し終えるとアオジは茂みに消えた。石段を登り観音堂から展望台へと、今日の眺めは霞がかかり春の様相でぼんやりとした光景の中、琵琶湖を見ていると三井寺に有料の双眼鏡が設置されていたのを思い出してきた。もう随分と時間が経ち場所は観音堂の前方の展望台に在ったと記憶していて、10円硬貨を入れると三分間ほど琵琶湖の風景を手に取るように楽しめた事が僕の記憶の中から出てきた。何故、双眼鏡は消えたのかと・・・多分、高層マンションが湖岸や町に出来て見晴らしが悪くなったからだと考えた。でも展望台にあれば琵琶湖の眺望の楽しみ方が増えるのではと思いながら又琵琶湖の風景を見た。

湖岸サイクリングも風も無く快適に自転車は走れ、湖岸から見える湖上にはハジロやオオバンの大群が羽を休めている風景を見ていると又、有料の双眼鏡の事を思い出した、湖岸に設置してあれば湖上の渡り鳥や琵琶湖大橋の蜃気楼が見られて、観光としての広がりも出来て良いのではと・・・今はデジタル時代でアナログ的な双眼鏡では利用する人も少なく営業にはならないのかと思った。湖岸から鳥たちをデジカメで撮っていると又デジカメ、キャノンG12がフリーズした、軽くて重宝していたが明日からは重いデジカメかと呟いてカメラをポケットに入れ自転車に乗った。

凍る日

2016/01/26

今朝は昨日より冷え込みは緩く感じた。三井寺の観音堂の手水舎のツララも一本を残して後は消えていた。境内の林は雑木が整理され明るくなり小鳥の飛び交う様が見やすくなり今日もシジュウガラを見かけ写真を撮ろうとしたがコンパクトデジカメでは撮影するのは難しく諦めた。

午後は境内の茶房ながら亭でコーヒーを飲みながら庭の池を見ると氷が張っているのを見ていると僕の小学生時代の冬の思い出が浮かんできた、家の前の市道も未舗装の凸凹の土道で水溜りが寒さで凍っていて足で踏むとバリッと音を発ってて薄氷が割れるのが快感で通学時や遊びでも割りながら歩いた事を懐かしく思い出した。現在は全ての道路が舗装されて、その様な道路の窪みの氷を割る真冬の風物詩を見ることは出来ないと少し寂しい気分になった。子供は風の子、と火鉢の傍で暖をとっていると母や祖母に言われて寒風が吹く屋外でチャンバラや凧揚げをした頃の寒さを感じた今日でした。

手水舎のつらら

2016/01/25

今冬、一番の冷え込みで我が家の室温は2度と低く寒さに強い僕も直ぐにファンヒーターのスイッチを入れた。築80年の家屋の寒さは特別と何時も思って70年以上過ぎた。子供の頃は火鉢が在るくらいで今では考えられない程、寒かった事を思い出した朝だった。

三井寺の観音堂の手水舎では見事なつらら、が出来ていた。そのつらら、を見て鍾乳石を思い出すほど迫力を感じて写真を何枚も撮った。鍾乳石は何千年から何万年とかけて見事なツララ石柱になる事は知っているが、水(氷)のツララは一晩で見事なツララが完成する、その過程を見たいと思ったが僕には此の寒さの中で観察する勇気はないと思いながら撮影を終えると手先に痛みが、でも懐かしい感触が蘇ってきた、小学校の教室の火鉢で冷たさで痛くなった手を温めた時代には帰れないがモノが無く貧しい時代だったが、子供達は元気にのびのびと暮せた昭和二十年代の長閑な風景が僕の脳裏に浮かんできた。

寒波襲来

2016/01/24

連日、テレビや新聞のニュースで猛烈な寒波で大雪が予想されると伝えている、本当に寒波は来るのかと、思いながら湖岸サイクリングに出かけた。今日は何時もと違うと感じた、足先までが寒さでしびれ久しぶりに寒さを実感した。浜大津を過ぎ打出浜の湖岸で自転車を止めて、琵琶湖の冬景色をと、デジカメを出した。視程も良く三上山の後方の鈴鹿の山並みの雪も確認でき何時も見る風景より新鮮味を感じ暫し寒さを忘れて琵琶湖の眺望を楽しんだ。鶴翼山の右には伊吹山、そして霊山が見え、彦根の従兄弟と登山した事が懐かしく浮かんできて、また登山したいと思ったが従兄弟は今は亡き人にと、湖上の風景を見ていると一抹の寂しさが寒さと重なって余計に寒くなった。視程が良い日は琵琶湖のスケールの大きさを感じ、改めて母なる琵琶湖を大切にと、そして再稼動される福井高浜の原発の事が心配になってきた。去年の12月の福井地裁の判決は許しがたいとまた怒りが込上げて来た。原発事故が起これば近畿1300万人の命の水が危険に曝されるばかりか日本の国の存続が危ぶまれる事は普通の人なら判っているのだが、此の国の政治家は此の簡単で重要な事を理解していないのが残念だが叫び続けて行く事が大切だと思った。

空の名前

2016/01/23

空の名前とは上手く言ったものと感心した。僕が良く見る本、空の名前(高橋健司)には美しい雲の写真と判り易い文で気象全般のことが書かれていて愛用している、今日も湖岸サイクリングで由美が浜で折り返し、大津の方へと向かい、空を見上げると美しい雲が広がっていた。上空は風が強いのか雲は意外と早く移動していて、比良の山並みを入れて写真に撮ろうと考え自転車を止めた。雲は速く直ぐに写真に撮れる比良山の上空まで達していた、急いでデジカメを出し撮った。高度五千メートルから七千メートルにある高積雲だと思ったが雲の名前が判らない、雲に尋ねても無理と、写真を撮り終え家に向かった。

帰ると直ぐに、本、空の名前を開き見ると、波状雲?か鯖雲?と少し迷ったがスケールが大きければ波状雲、でも少し迫力に欠けるので僕は鯖雲と勝手に認定して本を閉じた。


先日、アレックスシネマの帰りに通った、浜大津一本木コロッセオの石柱公園が暮れなずんで行く中の美しい佇まいに魅せられて自転車を降りて写真に撮った。何気ない光景も時間によって魔法がかけられて美しく変化して人を惑わすのかと考えた。そして映画、ひかりのまち(イギリス映画)、での美しいシーンを思い出してきた、夜景は映像になると現実から離れてワンダーランドに変化する、最近のデジカメは感度が高く三脚を使わなくっても素晴らしい夜景を誰でも写せるようになりワンダーランドな写真の世界へ入って行けると思った。

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