中島省三の湖畔通信

柳が崎水泳場

2024/08/24

今は柳が崎水泳場などは無い、柳が崎湖畔公園と名称が変わり湖畔でには泳ぐ人など見渡らないが今日は中学生と思しき少年たちが遊んでいた。少年に話しかけた。此処が水泳場だった事を知っているかと尋ねると知らないと返事がかえってきた。僕が柳が崎へ来た理由はアオコが出ているかを確かめるためだ。予想に反して透明感のある水が漣をたてていた。数日前はアオコの現象があったとSNSでの投稿を思い出した。浜大津湖岸もアオコの発生もなく水草が見えるが嵐の前の静かな琵琶湖の表情が見られた。

アオコが消えた?

2024/08/23

今日は地蔵盆、我が家の庭の小さな祠には二体の石仏(地蔵)の地蔵盆をした。三井寺から二人の尼僧さまにおまいり頂いた。祖母に地蔵様の由来を聞いたこともあり、少し記憶を辿った。僕の曾祖父さんが河川改修工事の折に出てきた石仏を持ち帰り祀ったと聞いた。詳しく尋ねる術もなく毎年、地蔵盆をするのが祖母への供養だと思った。お昼前に湖岸ポタリングで浜大津港へ向かった。心配していたアオコ状態が解消され水位低下ながら美しい琵琶湖が見られた。

アオコが大発生

2024/08/22

今日も赤道直下を想わせるような暑さだと?寧ろそれ以上の暑さではとおもった。湖岸ポタリングに向かうと浜大津港の突堤の湖岸はアオコが特に酷かった。今日のアオコは浜大津港から打出浜へと繋がって発生していた。年々酷くなるアオコに何も対策をしなくても大丈夫なのかと心配になってきた。1977年の5月に淡水赤潮が発生したときは琵琶湖の危機と直ぐに動いたのは武村県政の時代だ。其の頃はアオコはまだ発生していなかった。僕がアオコに危機感を感じるのは1969年に大津JCで琵琶湖の環境問題をテーマにした映画「青の輝き」の撮影を担当して16ミリカメラで諏訪湖のアオコの撮影に出かけ緑色のペンキを流したような湖面を船が行くのを撮影したのがアオコとの出会いだった。琵琶湖にアオコが発生したのは1980年に入ってからだった。ここ数年アオコの発生が続いているがメディアもあまり琵琶湖の環境問題に興味がないのか取り上げなくなった。そして滋賀県の環境部?もアオコの発表?はあまり聞かなくなったのは僕の耳が悪くなったのかと考えた。今日のアオコ大発生は凄い状況ではと思うのは僕だけなのかとアオコの写真をパソコンにアップした。

LAGO大津?

2024/08/21

今朝の朝刊(京都新聞)に膳所湖岸市民プラザに来年3月にオープンする和菓子店を中核とする集客施設「LAGO大津」の上棟式が載っていた。僕は個人的には市民プラザの広々とした空間が好きだった。災害が起きた時には大型ヘリの発着場にもなり救援物資らの集積場にもなる多目的広場が無くなった。既に来年の完成を目指して建物の姿が見えてきた。そして周辺には自然環境を学べる「琵琶湖の森」が出来るそうだ。自然と言葉を付けるだけで本当の自然になるのだろうか?とおもった。この場所も琵琶湖総合開発の継続事業で埋められて完成した湖畔公園だ。琵琶湖の生態系と自然を大切にを目標に上げる行政の実態は人を多く呼び込みより多くの利益を上げ賑わいを創出するのが目的では琵琶湖の環境が良い方向に向かうとは思えないと水位低下で喘ぐ琵琶湖の実情を写真に撮った。

湖岸叙景

2024/08/20

待望の雨は一応降ったが琵琶湖の水位を上げる程は降らなかった。湖面が波立たないのは藻が異常繁殖しているからだと静かな琵琶湖を眺めた。

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