中島省三の湖畔通信

今日がお彼岸の中日

2023/09/23

昨日の湖畔通信に彼岸の中日と載せてしまったが、今朝の三井寺の散歩で観音堂の柱に彼岸の中日の法要が在ることを告げていた、それを見て今日が中日だと気がついた、でも昨日も観音堂の柱には彼岸中日法要と書かれていたから、お寺が間違えることはないと・・・看板には中日とあったから信じてしまった僕が悪いのか看板を出した観音堂の関係者も間違えていたのかも?と考えた。今日は僕の祖母もよく口にしていた、暑さ寒さも彼岸まで、を思い出した。昨日とは打って変わって急に涼しくなった。先人の諺は地球温暖化になっても通用すると感心しながら空を見上げた。琵琶湖岸では祭日で釣りびとが多く見られた。気温が下がり昨日見かけたヒメアカタテハ蝶の姿は無かった。琵琶湖上空を白線が青空を横切っていた。飛行機雲はお天気が下り坂のサインとして有名だ。明日のお天気は?・・・・

ヒメアカタテハ

2023/09/22

今日はお彼岸のお中日、三井寺の観音堂には幕が張られていた。やはりお彼岸は季節の変わり目、昨日までの暑さも和らぎ観音堂への石段上りも汗もかかずにすんだ。大門通りを下る頃に雨が降り出した。降水確率10%の予報だったので傘を持たなかった。でも家の近くで濡れずに済んだ。午後は雨が上がり、僕はお彼岸のお墓参りに出かけた。お墓は長等山の麓で自転車で5分ほどの距離だ。花を手向け線香、ろうそくを付けてご先祖様に感謝した。帰路、空を見上げると秋を想わせる青空が広がり雲の美術館が開館した。帰宅後、カメラを持って湖岸へ急いだ。浜大津湖岸から琵琶湖を眺め季節は秋へと変わったと感じた。足元を見ると蝶が舞っていた。ツマグロヒョウモン蝶ではとカメラを向けるも飛び去られた。昆虫写真の極意は相手が来るのを花の傍で待つのが肝心だと聞いた。待つこと暫し蝶が戻ってきた。気配を消した訳でも無いのに蝶は花蜜を吸うのに集中しているのかカメラを20センチくらい近づいても逃げなかった。彼方此方と移動するが手の届く範囲で簡単に撮影できたのは初めてだ。カメラを蝶に近づけ過ぎて逃げ去るも、暫く待てば蝶は同じ花に帰ってくることも分かり俄昆虫カメラマンになった気分だ。スマホで撮った写真をぐうぐるレンズで探ると蝶はヒメアカタテハ蝶と分かった。そして此の蝶は世界中何処でも見られるとあった。でも個体数が少ないので簡単には見られないとあり、写真に撮れたことが少し嬉しくなった。花の名前もシロバナサクラタデと分かった。湖畔の何でも無い花にもゆかしき名前があるのだと感心した。図書館や図鑑を見なくても、スマホで調べる事が出来る便利な時代は本当に良いことなのだろうかと考えた。

蝶の写真は明日も載せる予定だ。

多重絶滅

2023/09/21

地球の絶滅は五回あったと言われている、温暖化らによる絶滅があるとすれば6回目の絶滅だ。僕は絶滅と言う言葉に心が惹かれ、本の宣伝文句に絶滅が入っていれば買うことが多い、理解できているかは別にして地球という惑星が心配になるからだ。別に僕が心配したからどうなることでもないのだが・・・最近、絶滅の文字は無かったが「ヒトだけ見れば済む時代の終驚」の小さな字に誘われて「人新生」の惑星政治学、を中井書店で取り寄せた。読み始めたばかりだが、大変な時代に暮らしていることだけは理解しているつもりだ。最初、多重絶滅の言葉には少し驚いたホモサピエンスだけが滅びるならまだ許せるが、他の生命までもと考えると重大事だ。こんな時に領土争いしているウクライナのぜレンスキーとロシアのプーチンも愚か者であると思ったのは、今、僕らの暮らしている惑星、地球が危機に瀕している時にちっぽけな領土争いなどしている場合でないのだ。此の惑星の危機には各国の個人的な問題は棚上げして多重絶滅の危機に立ち向かわねばならない緊急事態ではないのかと思った。

本に興味の在る方は「人新生」の惑星政治学(前田幸男著)青土社。をお薦めします。

静かな湖畔

2023/09/20

間もなくお彼岸だ、暑かった夏もようやくパワーが衰えたようだ。少し暑さも和らいだと曇り空を見上げた。三井寺の散歩では蝉の声も無く静かな境内を歩いた。湖岸ポタリングで走る遊歩道も出会う人もなく静かな湖畔で件のアオサギくんに出会った。最近三井寺の蓮池では見かけることはなくなった。態々蓮池の鯉を食さなくても琵琶湖で充分穫れるのかと近い距離から写真を撮った。少し先の湖岸にはカルガモが見えた。まだ渡り鳥のシーズンには早くカモは常駐しているカルガモだけだ。そして浜大津港のガチョウが5羽が今日見かけた鳥だ。

日常の湖畔

2023/09/19

イベントが終わり日常の湖畔に戻った。湖岸ポタリングは何の障害物もなく快適に走れた。打出浜の湖岸に佇んでいると、どうしても気になるのが若狭高浜の老朽原発が多くの反対意見もあったにも関わらず再稼働されたことだ。原発事故の恐ろしさは福島第一原発の事故で分かった筈なのに、あえて危険性のある老朽原発を再稼働するなど狂気の沙汰だ。汚染水は地下水問題が解決しない限り増え続ける一方だ。炉心の溶け落ちたデブリを取り除く作業には取り掛かることすら出来ていない現状だ。これから先、事故の後処理は何十年と続くか目処が立っていないといわれている、こんな時に又原発事故が起きれば此の国は立ち行かなくなる事を政治家は分かっているのだろうか?僕は原発は即,止めた方が未来に向けての得策ではないのかと琵琶湖の彼方の原発群を心配した。

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