中島省三の湖畔通信

格差社会

2024/08/07

湖岸ポタリングも花火大会が近づくとパブリックスペースなのに湖岸には有料の桟敷席らに占拠され琵琶湖の眺めも台無しだ。明日はびわ湖花火大会で何十万人が花火見物に湖岸に押し寄せるが良い場所は殆どが有料席だ。浜大津港周辺の有料席を見ていると格差社会が目に見えた、昔の花火大会は誰でもが無料で湖岸の好きな場所で見られた長閑な花見見物の様子を思い出した。浜大津からにおの浜までの有料席後方の道路には二メートルを超える格差の塀が立ちはだかる、光景は去年メディアが取り上げ問題にされたにも拘らず今年も設置された。花火は綺麗だが格差の塀は見苦しさを提供するだけだとデジカメで撮った。道路は歩行者天国になっていて車は通らないから花火は見えても良いのではと思った。浜大津港の湖岸から湖面を見ると藻が浮かんでいるのが気になった。此処数年藻の異常繁茂は無かったが去年の水位低下の影響で水草が元気を取り戻したからではと思った。

広島79回目の原爆の日

2024/08/06

今日は79回目の広島原爆の日、原爆の投下された日も青空が広がる夏日だった。青空を見上げると僕もB29が編隊を組んでジュラルミンの銀色に輝く機体を思い出した。大津は大した戦争被害もなく終わった。そして平和な79年間を暮らせた。朝、何時も散歩へ向かう三井寺へは今日は少し早く出かけた。三井寺の観音堂で広島原爆の日に毎年、原爆犠牲者慰霊・世界平和祈願法要に参加するためだ。8時少し前に観音堂に着くと既に参加する人の姿があった。既に風船1200が平和祈願の短冊を付けて飾られている中で8時15分の原爆投下に合わせて黙祷そして僧侶らが般若心経を唱え終わると1200の風船が青空に放たれた。今日はウインドカム風もなく風船は一直線に青空に吸い込まれていった。79年間の平和を噛み締めながら1200の風船を見送った。

タカサゴユリ

2024/08/05

今日、我が家の庭でタカサゴユリが咲いていた。タカサゴユリは外来種だが歴史は大正時代1924年頃に園芸用として輸入されたものが野生化?したものと聞いた。僕は外来種だからと言って目くじら立てて駆除するつもりはない、自然に育ってくれれば良いと思っているからだ。町内の彼方此方で見かけるようになったのは15年前くらいからだ。近くの尼寺の庵主さん遊心庵の門前に植えられたのが最初だった。その種子が風に乗って町内の彼方此方で咲くようになったのではと僕は思った。夕日を受けたタカサゴユリの花が市民権を得たと語っているように見えた。温暖化の進む我が国の花事情も変わってくるのではとタカサゴユリの花を愛でるのも悪くないと思った。

何でも無い写真

2024/08/04

毎日、散歩で撮る写真もマンネリ化したと反省しながら今日撮った写真をアップした。何でも無い写真と銘打ってコンパクトデジカメで
撮っていた頃の写真の方が面白かったのではと昔の写真を思い出した。フイルム写真でもコンパクトカメラで撮る方が面白い写真が撮れることは確かだ。コンパクトカメラはデジタルもフイルムも全て故障するかして手持ちは無くなった。そしてフイルムの現像も時間と日にちが掛かるようになった。60年以上も前の時代に帰った気分だ。コッダクロームなどのカラー現像はアメリカ送りの時代では三週間から5週間も掛かった事を思い出してきた。今は町の写真やと言っても京町のみどりや写真店だけだ、フイルム現像は約一週間掛かるがアメリカ送りよりは早いからと最近は一月に一本の割合でフイルムカメラで撮っているが一眼やライカでは仰々しく町中スナップ写真は難しいのが現実だ。もう少し気楽に写真を撮ろうと思う一日となった。

湖岸叙景

2024/08/03

湖岸ポタリングをする人など見かけないのは異常な暑さの所為ではと人影のない湖岸を走った。冷房の効いた部屋でパリのオリンピックをテレビ観戦している人も多いのではと考えた。におの浜湖岸では今年は桟敷席の工事が行われないようだ。経費も嵩むことと観客を増やすために立ち見席となったらしい、お金を払ってのギュウギュウ詰めの立ち見での花火見物も大変では想像した。浜大津港では花火大会の準備機材が置かれているが例年よりも少なく見えた。経費を節減しなければ花火大会も開催出来ない時代になったのかと低迷する日本経済の姿が此処にも見えていた。

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