老朽原発再稼働
2022/12/20
僕が原発に危険の感じる様になったのは1986年4月26日ウクライナのチェルノブイリの原発が事故を起こした時からだ。そして游心庵の庵主さんから手渡された本「原発のほんとうの話」(高木仁三郎著)の中には子供から大人まで分かるように原発の危険な事が書かれた内容は今でも充分に原発の危険を伝えている、その著者高木さんを大津に招き講演会を開く準備をしていたが、高木さんの体調不良で断念、そして熊取の京都大学原子炉実験所の小出裕章さんに講演を依頼して浜大津の明日都で原発の危険についての講演をしていただいたのは1987年の夏だった。それ以来、原発に対しては反対の立場のままだ、今日の夕方、テレビニュースから福井美浜原発三号機の40年超えの原発再稼働差し止め裁判が却下された事をきいた。何時も裁判は国側に立った裁判官が国に有利になる判決を下すのが通例になっているから期待をもっていると何時も裏切られるから多分、だめだろうと思っていた。でも判決を聞くと虚しさと怒りが交差しながら心の中を怒りで沸騰させた。今日も季節風が吹く湖岸に佇んで彼方の原発群は大丈夫なのかと心配になってきた。
ユリカモメ整列
2022/12/19
今朝は一段と寒さが厳しくなり、散歩に出かける時間が遅くなるのは、暖かい布団から出るのが辛いからだ。三井寺の蓮池は凍っった部分もあり、池の鯉も寒そうに見えた。浜大津港のユリカモメに餌を与える人が来るようになったのか桟橋の手すり留まるユリカモメに近づいても逃げなくなった。餌を与える人を見ているとユリカモメにではなく、ガチョウに与えるのが目的のようだ、その餌を横取りするのがユリカモメだ。数は増え、50羽以上確認できた。観光船乗り場は観光客も少なくなり、春の観光シーズンまでは静な佇まいだ。
比叡山初冠雪?
2022/12/18
三井寺の境内は落葉樹が葉を落とし明るくなった。展望台から比叡山を見ると雪化粧していた。雪を見ても心が時めかなくなったのは寂しいと・・スキーシーズンが来るくとワクワクしていた頃が懐かしく思い出された、左足大腿骨を骨折していなければスキーは続けていたと、人工骨頭のサイボーグの足ではと少し無念さを感じた。湖岸ポタリングの途中で亡くなられた元県知事の武村正義氏のお別れ会に向かい献花してご冥福を祈った。武村さんは僕の自主製作のビデオ作品に二度も出演してもらっている、嫌な質問にも真摯に応えていただいたことが最近の様に思えるから不思議だ。国会議員としても活躍された人で滋賀県選出の議員の中では存在感がありムーミンパパとして人気があった事も思い出した。でも僕は琵琶湖総合開発では武村県政を批判していた。琵琶湖は総合開発により自然環境が大きく変わった事は確かだ。未だ琵琶湖総合開発の総括はなされていない温暖化が進む中で琵琶湖の未来が心配だ。
三尾神社のウサギ
2022/12/17
今日は雨、琵琶湖へも向かえず、近場の名所?めぐりに出かけた。何時も三井寺の散歩に向かう時に通り過ぎる三尾神社へ寄ると何時もなら手水屋の鉄製の兎(他では龍が多い)を囲っている鉄柵の中で口から水を出しているのだが、今日は兎が飛び出している様に見え、デジカメで撮った。リアルに出来た兎は可愛いと言うより迫力があり怖さもあり、鉄柵が在る方が良いとおもった。そして来年の干支は卯で三尾神社の使いの兎だ。三尾神社は以前は三井寺の境内の中にあり、お寺の守護神だったのが明治時代に入り現在の場所になったそうだ。本殿は三井寺の新羅善神堂(国宝)と同じ時代で重要文化財指定の建物だ。神社の境内には兎を表した彫刻や瓦が見られ、それを探すのも楽しみの一つだ。小学生の頃は三尾神社の氏子地区で神輿が三基大門坂を勇壮に下った事を今も思い出す盛大なお祭りだった。今では見ることが出来ないが毎年5月3日には祭礼が行われるが昔の賑わいはなく普通のお祭りになった。琵琶湖疏水は三尾神社の手前横からトンネルに入る今日は鹿関橋から雨に煙る疎水を眺めた。石橋のギボシが一際存在感を表していた。境内では現代のモノリスが名残の紅葉と競っていた。冷たい雨が通り過ぎると本格的な冬がやって来ると天気予報が伝えていた。
京都の町も静だった?
2022/12/16
今日は友人のSさんと京都へ向かった。以前は月に二度ほど京都の友人らと飲み会をしていたがコロナ禍と高齢になったこともあり飲み会は無くなり京都へ出かけなくなった。京都のマロニエ画廊で長男が写真のグループ展で展示しているから見に出かけた。京都へ向かう京津線も相変わらずガラ空き状態だ、これでは赤字になる筈づと車内を見ると乗客の少なさに驚いた。京都の河原町も思っていたより人通りも少なく都の賑わいは感じなかった。写真展の会場マロニエも静な佇まいで僕と友人だけで写真展をみた。紙焼きされ大きく伸ばされた写真は迫力もあり楽しめた、でも最近はスマホで写真を見るのが主で写真展は衰退気味かと感じた。帰路、寺町通りを歩くと其れなりの人出もあり流石都と思った。