静なクリスマス・イブ
2022/12/24
今日はクリスマス・イブと言っても身近な処でクリスマスツリーなど見たこともなくクリスマスケーキを子どもたちと食べた記憶も彼方へと消えた。ケーキも最近は食す事もなくなったと言うのは生クリームを体が受け付けなくなった、アレルギーが関係しているからだ。大津の町ではジングルベルなど数十年聞いていない、今日も湖岸ポタリングの帰り道、大津の商店街を通った。歳末に賑わいもなくクリスマスの飾り付けも申し訳程度で華やいだ雰囲気は見当たらず寂れゆく哀愁を感じるだけだった。そしてウクライナとロシアの戦争は終結の糸口もなく無益な戦が続いていては心からクリスマスを楽しめない日常だ。どうか早く戦争が終結することを祈るしか無いとおもった。
日々の行動範囲
2022/12/23
日々の行動範囲は、スーパーローカルで直径1・5キロ以内だが、今日は坂本のKクリニックへ向かった。久しぶりの遠出?と言っても10キロ以内では知れたものだ、JR湖西線は遅れもなく定刻運転で大津京駅から新快速で一駅では近出?だ。今朝は寒く、散歩の三井寺では国宝の金堂の屋根にパウダーシュガー少しかかって美味しく見えた。一駅では車窓風景も楽しむ時間もなく叡山坂本駅に着いた。Kクリニックは少し混んでいたが、思っていたより早く診察を受け、異常なしで、安心して鶴喜で昼食を済ませた。マンネリ化した湖畔通信の写真にも変化をと坂本の町並みを撮った。観光シーズンなら鶴喜は人が行列をしているが今日は人影もなく坂本の町並みは静な佇まいだ。帰路は京阪石坂線に、観光客もなく車内は空いていて学生の姿が殆どでは路線営業も大変だと理解できた。午後は湖岸ポタリングで膳所公園まで走った。ユリカモメの数が気になり、公園の南側から湖面を見ると100羽近く見られ、浜大津港の50羽と合わせると150羽ぐらいは生息しているのではとおもった。今日は風も強く寒さ一段と厳しく湖岸には人影もなく本格的な冬になったと感じた。帰路は向かい風を避けて町中を走った。今日も70枚ほど写真を撮ったが載せるのは三枚、選ぶにに苦労するのはイマイチな写真が多いからと反省しながら写真を選んだ。
ドラマティックな雲の移ろい
2022/12/22
夜来の雨も上がり、散歩に出かけた。暖気が残るのか三井寺の展望台から見る景色は霧が少しかかり遠くは見えなかった。湖岸ポタリングに出かけると霧は消え視界も良くなった。でも比叡山は雲に覆われているが上空には青空が少し見えた。打出浜から見る雨後の風景はタルコフスキーの映画を彷彿させてくれた。におの浜のカフェタイムでお茶を済ませて湖岸へ向かうと虹の予感が、顔をパンすると湖上の雲を背景に虹の橋が掛かり始めた。久しぶりの虹に少し感動しながらデジカメのシャッターを押した。虹の写真は何時も年賀状に使用するのが決まりだが今年は諦めて、違う写真で作成してしまった事を悔やんだ。虹を見ると何故幸せになった気分になるのだろう、ホモ・サピエンスが今の様な高度な文明?を築くまでの暮しは現代よりも安らかな時代で虹を見るだけで明日への希望を感じたのではと思いながら湖上の虹を見た。午後は時雨もあり、雨後、虹を期待して湖岸へ向かうと迫力ある層積雲が湖上を北から南へと帯状に広がっていた。そして北側の雲は風が強いのか三段重ねの雲が冬将軍の到来を告げているように見えた。暫く映画は見ていないが大空のスクリーンに描かれるドラマティックな雲の移ろいを見ているだけで充分だと湖上に棚引く層積雲を眺めた。
大津の町家カフェと商店街の魚屋さん・・
2022/12/21
今日は久しぶりに町中を撮りたくなりぶらっと自転車に乗って出かけた。七月にオープンした町家カフェは紹介?したかも・・・大津京町の路地にあり、通りからは店の様子は伺えないが小さな竹の看板?小さすぎて見落としてしまいそうな目印?はおしゃれだ。名前は、にのご?番地が2−5からだそうだ。京都には町家のお店も多くあるが、大津にもやっと京都のお店にも劣らぬカフェが出来たとおもった。にのご、は、うつわ、も展示と販売もしており、そして写真や焼き物の個展も開かれるギャラリーも兼ねているがリフォームが素晴らしく小さな町家の特徴が残っていてほっとする空間だ。店主に断り写真を撮った。店内の照明が素晴らしく、落ち着いた雰囲気が時間を忘れさせてくれた。そして照明が美しいお店をもう1軒撮りに向かった。それは菱屋町商店街にある魚屋さんだ。タングステン電球の温かみのある光がが懐かしさを感じさせてくれ、夕方や雨の日は格別の美しさを感じる丸二魚店は、お母さんの味で、お惣菜も売っている魚屋さんだ。久しぶりの町中散歩写真も楽しいとおもった。
老朽原発再稼働
2022/12/20
僕が原発に危険の感じる様になったのは1986年4月26日ウクライナのチェルノブイリの原発が事故を起こした時からだ。そして游心庵の庵主さんから手渡された本「原発のほんとうの話」(高木仁三郎著)の中には子供から大人まで分かるように原発の危険な事が書かれた内容は今でも充分に原発の危険を伝えている、その著者高木さんを大津に招き講演会を開く準備をしていたが、高木さんの体調不良で断念、そして熊取の京都大学原子炉実験所の小出裕章さんに講演を依頼して浜大津の明日都で原発の危険についての講演をしていただいたのは1987年の夏だった。それ以来、原発に対しては反対の立場のままだ、今日の夕方、テレビニュースから福井美浜原発三号機の40年超えの原発再稼働差し止め裁判が却下された事をきいた。何時も裁判は国側に立った裁判官が国に有利になる判決を下すのが通例になっているから期待をもっていると何時も裏切られるから多分、だめだろうと思っていた。でも判決を聞くと虚しさと怒りが交差しながら心の中を怒りで沸騰させた。今日も季節風が吹く湖岸に佇んで彼方の原発群は大丈夫なのかと心配になってきた。