中島省三の湖畔通信

柴屋町・・・

2022/12/15

柴屋町と言えば大津で一番の歓楽街だった。遊郭としても歴史があり江戸や京都にも劣らぬ賑わいが在ったと本で見たことが在る柴屋町の現況は余りにも寂しすぎるとおもった。今日、友人のモロさんが大津へ来た。そして夕食をと誘われて商店街に出た。飲食店は少なく・・というより無いにに等しいのが現状だ。と言っても最近商店街の中にもイタメシ屋が開店した。今日は寒く、鍋にしようと柴屋町のちゃんこ料理神雷へ予約を入れた。コロナ以前は神雷は忘年会シーズンでは賑わっていた。そして数十年前にはスペイン料理、美味しい寿司屋、スナックやバーも多く在った時代を思い出しながら柴屋町の神雷へ向かった。柴屋町通りは寂しくお店の灯りもなく昔の面影はなかった。お店に入ると一番乗りだった。5時丁度の開店の店内は静で店主が席へ案内してくれた。鍋はすでに準備されていた。火を入れ鍋が煮えるのを待ちながら友人と会話しながら昔の賑わいを思い出した。冬の時期はちゃんこ鍋は人気で店内の賑わいは凄かったと静に煮える鍋を眺めた。大津の歓楽街は時の流れに埋没してしまったと少し寂しさを感じながら飲むビールは一段と苦くおもった。

戦争の足音

2022/12/14

今日は、びわこ大津九条の会の例会では「第一藝文社をさがして」の著者の早田リツ子さんを招いて、1930年代に大津に在った出版社の中塚道祐氏が活躍した時代のお話を聞いた。戦前の昭和9年に看板を上げた第一藝文社が在った時代は日本が戦争に突き進んでい行く中では出版も権力からの圧力、自由な表現にも検閲らで出版もままならない暗い時代背景らの情景を浮かべながら講演を聞いた。話を聞き終えると、にわかに現実が暗くなってきた。最近の我が国の政治情勢は軍事力をアップして戦争が出来る国へと変わって行くのではと不安が募るばかりだ。メディアは国の報道機関ではと思う時もあり、正しく真実を報道してほしいと思うこの頃だ。

冊子の連載が・・・

2022/12/13

毎月、知人から頂く、冊子「生活と自治」を楽しみにしているのは辺見庸氏の新・反時代のパンセ、だが先日12月号をいただき、ページを開くと「新・反時代のパンセ」が載っていなかった。連載中止のお知らせがあり読んだ。冊子の編集の進め方、編集姿勢などから執筆者からお断りをいただきましたとあった。以前は裏表紙には藤原新也氏の「日々の一献」が連載されていたが、終わってしまった。小さな冊子の編集方針が大きく変化したのかと危惧した。二人の連載を楽しみに読んでいたのにと少し落胆した。大きなメディアでは連載されない大切な言葉が聞けなくなった事は残念だと思いながら、朝日新聞を読むも心に響く記事もなく寂しく新聞を閉じた。

物価上昇

2022/12/12

物価上昇を伝えるニュースを聞かない日はないと、改めてフイルムの値上げの幅には驚いた。半年前では850円で買えたコダックのカラーネガフイルムがネットで見ると2500円の値が付いていた。スマホやデジカメが主流の時代、フイルム写真が人気と言ってもフイルムが高価になり折角フイルム写真のブーム?なのに、これではフイルム写真は少数の好き者の趣味の世界へと移ってしまうのかと・・・値上げはフイルムだけに限らず来年度初めには4000品目の値上げが予定されているとニュースが伝えていた。物欲が少ない年金爺の暮しの中で自由に使えるのは自分の頭脳くらいかと、これから益々、頭の中で遊べる空間を広げなければと思うこの頃だ。

ユリカモメ到来

2022/12/11

ユリカモメが琵琶湖に到来している事は分かっていいたが、例年なら12月の初めに浜大津港の桟橋の手すりに整列する姿が見られる筈が今年は沖合で群れを見かけるも間近で見ることはなかった。昨日、膳所公園の湖畔でユリカモメの群れを見かけた。公園の南側の湖上のエリが取り払われてユリカモメの休息場所が消えた。例年ならエリにユリカモメが留まっている姿が見られたが、今年はエリが無く寂しい風景だ。今日、湖岸ポタリングで浜大津港へ立ち寄るとユリカモメが桟橋の手すりに整列していたが、例年より数も少なく三十羽ほどだ。湖面に浮かぶユリカモメの群れの中をガチョウが此処はオイラの縄張りとばかり存在感を表し堂々と五羽のガチョウが通過する様は面白くおもわずデジカメのシャッターを押した。そして間もなく恒例のパン屑を与える人が登場すると毎日ユリカモメの整列する姿が見られるようになると思った。

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