ユスリカ
2022/11/30
今年はユスリカの発生が多いように感じている矢先、今夕のテレビニュース(NHK)の中で滋賀県の専門家の話によると前年と比べても多くないと語っているが、現場に出かけず机の上では分からないこともあるのではと思った。ユスリカは地元では、びわこ虫と呼ばれて久しい、僕が1980年に発表した自主製作映画「俺の見たびわ湖」16ミリ30分の中に市民会館の白い壁が黒く見えるほどユスリカが発生した様子のシーンがある、でも最近は驚くほど多量のユスリカを見たことが無かった、でも一週間ほど前から、我が家の白い壁にも数匹が留まっている、そして洗濯ものにもくっついているそうだ。ニュース映像では浜大津のカフェの店員さんがユスリカの後始末に追われ、困っている様子が映っていた。専門家はユスリカの良い面もあると生態系の中で起こっていることだから、後二週間もすれば収まってくると余裕綽々で語っていた。そして夕食時にハエが一匹食卓付近を飛行している姿を見て真夏には一度も見なかったハエが今頃何故と考えた。温暖化による酷暑でハエも蚊も発生のメカニズムを変化させて秋から冬に発生するようになるのではと想像した。
AIテクノロジーが支配する世界は・・
2022/11/29
今、読書中の「ホモ・デビス」(ユヴァル・ノア・ハラリ著)の中で語られる近未来はAIテクノロジーが発展した社会でホモ・サピエンスよりもAIロボットがアナゴリズムで正しい解答を導き出し政治や経済の世界でも活躍して一部の超人と化したホモ・サピエンスが権力を握る世界を予感させる社会は超格差社会に向かうのでは?そんな未来は見たくないのが本心だと本から目を放した。そして何故か、昨夜プライムビデオで見た、「2001年宇宙の旅」のシーンを思い出した。木星へ向かう宇宙船はAIコンピュターが機長だ。AIコンピュターハルは全権限を与えられ人間はハルの指示で作業を行っている、ある時、コンピュターに疑問を持った乗員が疑問を持ち秘密で相談するも、読み取られ反対に危機に追い込められるシーンを描いたSF映画は今更ながら凄いと感心した。まだ現在はAIは人の様な感情は持っていないがアルゴリズムの解析力が増せば人間の情動も読み取られてしまうのではと少し恐ろしくなった。映画「2001年宇宙の旅」(スタンリー・キューブリック監督)は1968年に製作されてから54年が経った、映画ではスマホはまだ登場していなかったが、現代のテクノロジーの発達スピードから想像すると凄い時代はもう其処に来ているのではと・・ホモ・サピエンスの能力ではついていけなくなるのではと思いながら、また本を開き読み始めた。
写真一枚目は三井寺観音堂前に新しく出来た、カフェカンノンがプレオープンしていた。知人のUさんに招かれ中へ入ると近未来を感じる店内は素晴らしく、紅茶とおはぎの専門店とのこと・・古刹三井寺にも新しい風を感じた。
何でもない写真
2022/11/28
何でもない写真、と題してブログを書いていた時もあった。20十年ほど前に京都の湯川書房で東京の友人Yさんの企画で「何でもない写真」展をしたことを思い出した。Yさんに宛てた写真ハガキの題名が何でもない写真だった。其のハガキを使った、写真展は湯川書房の小さなスペースに展示された。今でもYさんの洒落た展示を思い出す、もう一度何でもない写真で展示会をしてみたいと思った。今日は久しぶりの何でもない写真を撮ってみた。
大銀杏の木
2022/11/27
膳所のスーパーまで買い物に出かけた序に和田神社の大銀杏の黄葉を見に寄った。先日とは違い一段と黄色くなった葉が青空に映えていた。風で時折ハラハラと舞い落ちる銀杏の葉が秋の陽を受け輝いていた。黄色の絨毯も厚みを増してきた。晩秋は短く厳しい冬が近づく気配を感じた。帰路、浜大津アーカスの側を通ると閉館して7ヶ月も経った元アレックスシネマの人の気配の無い窓が見え、寂しく感じた。午後は久しぶりにパソコンでプライムビデオの映画を見ることにした。友人のMOROさんが推薦してくれた「ダゲール街の人々」(1975年・監督アニエス・ヴァルダ)を見た。ルイ・ジャック・マンデ・ダゲールは1893年に銀板写真を発明した有名な人だ。其の名前を冠したパリのダゲール街の商店の人達をドキュメントした映画は未だテクノロジー文明に侵されていない人間が喜々として暮した時代を思い浮かべながら楽しい時間を過ごした。アニエス・ヴァルダ監督は女性の優しい目線で撮る映画は名作も多いが、僕は以前見た「落穂ひろい」のドキュメンタリー映画を見たことを思い出した。そしてダゲール街の商店街は大津の商店街の1975年と似ているような気がした。僕も商店街を題材にして8ミリ映画を撮ったが、もう少し丁寧に街で働く人を撮っておけばと悔やんだ。パリのダゲール街のお店は現在も商いをしているのだろうか?、大津の商店街の様にシャッターが閉まって寂れているのだろうかと・・いや今も映画のシーンの様な商店街が残っていて欲しいと思いながら見終えた。
個人情報
2022/11/26
僕は個人情報など既にグウグルやフェイスブックら読み取られていると感じている、でも僕の個人情報など取るにたらないものだ。人間の脳なら直ぐに忘れ去られる事までコンピュターは記憶しているから怖いと思った。国会の答弁を見ていると、政治家の脳は殆ど記憶能力がないのは周知の通りだ。予てから政治家になれば即、人工記憶装置を脳に埋め込むのが政治家の条件にすれば漫才みたいな答弁を聞かずに済むとおもった。それにしても自分ながら感心することがある、毎日、SNSに投稿するためスマホで写真を撮っていることだ。パソコンのブログ用にはデジカメで写真を撮っているから毎日、最低でも60回シャッターを押していることになる、フイルム時代なら一月分だと、自分が既に現代のテクノロジー文明の虜になっていると改めて自覚した。情報をタダで得る代わりに個人情報もタダで吸い取られている現状を打開するにはどうすれば・・・・簡単なのは一切を遮断して山に篭もることも一つのあり方だが・・・ネアンデルタール人なら可能だが脆弱な年金爺のホモ・サピエンスには無理だとおもった。後、何年、生きられる分からないが、このまま情報網に繋がったまま朽ち果てるのも癪にさわるとスマホを机に置くのが関の山だ。
今日もスマホカメラが活躍した。誰でもがカメラマンの時代に改めてデジカメで撮る意味を考えてみると、自己満足の字が脳に浮かんだ。
三枚目の写真はフルサイズのデジイチで撮った。