小説は面白くて・・・
2022/07/16
科学や物理を題材としたエッセイと小説を併読すると、早く読み終えるのは何時も小説だ。最近、読み始めた小説「隠居すごろく」は本日、読み終えた。もう少し時間が掛かるとおもっていたら、話の展開が面白く久しぶりにラストでは目頭が熱くなった。西條奈加さんの小説は初めて読んだ。凄いなと読み終えて思った。ハッピーエンドはハリウッド映画の様な終わり方でなく心が豊かになり、ほのぼのとした空気感につつまれ本当の幸せは此のようなものではとおもいながら本を閉じた。フィナーレに訪れる嶋屋に起きる問題や江戸で有名な火事騒ぎで巣鴨町が被害に遭ったりと隠居の徳兵衛さんに降りかかる災難は周りの人達と共に隠居が中心となって問題が解決へと向かう物語は、決して隠居の徳兵衛さんが主役でなく孫の千代太を取り巻く人達が難関をクリアして行く物語を読み終え、自分の過去を振り返ると至らぬ事の多さでどれ程多くの人達に迷惑を掛けてきたかと反省するばかりだ。82歳になった爺がこれから先の人生を小説の徳兵衛さんのようには生きられないが、自分の出来る範囲で地球温暖化が進まないように心がけて行こうとおもった。
チュウサギとアオサギ
2022/07/15
毎日、湖岸ポタリングで走る琵琶湖には冬は渡り鳥が湖面を賑わしているが夏はシラサギとアオサギそしてトビとカラスを見かけるぐらいだ。小鳥ではムクドリ、スズメの姿は見かける、ケリも浜大津の空き地で警戒音の鳴き声を響かせ健在だ。今日も梅雨らしい冴えないお天気で琵琶湖の見晴らしも悪く写真を撮る気にさせてくれないが、何か撮らねばと湖岸を探しているとシラサギが見え自転車を止めた。狩りの名手のダイサギ君かと近づいて確かめると、くちばしの先が黒いからチュウサギだと分かった。此の鳥もカメラを持った爺さんは何も危害は加えないと認識しているのか比較的に撮影しやすい鳥だ。僕は鳥撮り専門でないから常時持ち歩いている標準ズームで撮れる鳥はサギ類だ。もう少し近づけば飛ぶ瞬間を撮れるが、せっかく警戒心を解いている鳥を脅すことはないと撮影を止めた。暫く湖岸を行くと今度はアオサギがいた。良く見ると三井寺で見かけるアオサギ君ではと近づいた。アオサギはペリカン目サギ科アオサギ属で三井寺の池で大きく嘴を広げ大きなコイを飲み込んでいるのを見かけ流石ペリカンと感心したことを思い出した。最近は三井寺では見かけなくなったのは琵琶湖の魚の方が美味しいのではと思った。そして近づき過ぎたのか直ぐに飛び立ったが僕は直ぐ反応してデジカメのシャッターを押した。モニターで確認すると飛翔するアオサギが上手く撮れていた。これで今日の写真が撮れ任務終了となった。
小説隠居すごろく
2022/07/14
久しぶりに時代小説「隠居すごろく」(西條奈加著)を書評欄で見て買った。宇宙や物理の話を三冊も併読していると心は地球圏外?と言うより無知の領域だ。時代劇の鞍馬天狗で育ったから時代物は好きな筈だが小説は読んだ記憶がなく、映画が全てだったから初めて読む時代小説かも?物語の出だしは主人公嶋屋徳兵衛の生活環境から始まり、僕の好きな侍モノでないから少し違和感を感じたが、徳兵衛が隠居してから身近に起きる物語は素晴らしく今日も読み続けた。徳兵衛が自分の孫千代太を通じて年齢を超えた繋がりから隠居生活の広がる様は楽しく自分の目を宇宙でなく実社会へと向けてくれた江戸時代の物語は、不便だが、心が豊かだった時代を思い起こさせてくれた。そして現実の社会では遠に隠居生活で政界から消えるべき老人がまだ此の国の実権を握っていることに改めて驚いた。60歳を超え第一線から退き過去に学んだ叡智と経験の力で縁の下から此の国の政治を支えるべきと思うが、叡智と良い経験がなければ無理だとおもうと今の現実は余りにも悲しすぎるとおもった。そして小説の中で活躍する隠居徳兵衛は現役では金儲けばかりの人生だったが隠居してからの人生の変化素晴らしく、年老いても若い世代と協調しながら自分の経験をいかしながら周りを良い方向に向けて行く生き様に魅せられた。小説はフィクションの世界だとおもうが、高齢化社会で隠居と呼ばれる人の数は増えるばかりだ。一番の問題は我が国の政治家が遠に隠居世代なのに実権を握っていることだとおもった。隠居すごろくの徳兵衛さんの様に社会の底辺で活躍してこそ本当の政治家ではとおもいながら本を閉じた。(本はまだ途中だ)
年年歳歳花相似たり
2022/07/13
湖岸ポタリングに向かう途中で花を見つけ自転車を止めて近づいた。ムクゲの花が盛りを迎え彼方此方で見かけるようになった。でもパソコンで調べたからムクゲと芙蓉の違いが分かるが、写真を撮っている時は何方の花か分からなかった。浜大津湖岸近くではムクゲと紫陽花が咲いていた。紫陽花は旬を過ぎ萎れた花の中で一輪だけが辛うじて色合いを感じさせてくれた。隆盛を極めるムクゲと寂れゆく紫陽花を見ていると、二つの言葉をおもいだし、帰宅後、パソコンでグウグルと意味も分かり、簡単に口にしていた言葉の重みも感じとれ勉強になった。年々歳々花相似たりの方は高校生の時、漢文で習った事も思い出した。習ったことの記憶だけではと反省しながら、パソコンの動画から流れる、白頭を悲しむ翁に代わる の朗読聞いた。深い人生観を謳った詩に暗さはなく老後はかく在るべきと感心した、そして中途半端な記憶では本質は捉えられないと反省した。盛者必衰は心して今の豊かなくらしの中で心に持たなければとおもった。
二枚目写真は今年初めて撮ったオオケマイマイです。セミの鳴き声も聞こえ安心しながら三井寺を散歩した。
地球外生命
2022/07/12
138億2千万年前に起こったビッグバーンが宇宙の始まりと・・宇宙関係の一般書物でしか知識を得ることが出来ないが、膨大な宇宙の事を思うだけで小さな悩みやストレスは吹っ飛んでしまう、僕の脳のビッグバーンだと自分に笑った。「地球外生命」(小林憲正著)を今日、読み終えた。第一章では古代ギリシャから今日まで から第九章地球外生命から考える人類のルーツと未来 までを二月ほど掛かり読んだ、からと言って理解できた訳ではないが、未だ人類は月に行けるだけだ。火星にも金星にも行けていない、生命が宿ると言われている木星や土星の衛星も調査中で、SF映画で見るような地球外生命と遭遇は遠い夢のままだ。僕は第九章が楽しく読めた。ホモ・サピエンスがETIと遭遇できるチャンスの問題は此れから先、何千年も先の話で、地球温暖化による気候変動、そして核戦争、地球規模の火山噴火や巨大隕石らの衝突らが起これば人類は滅亡してしまうからETIとの遭遇の可能性は低いとおもった。でも地球外生命と遭遇する大きな夢の為にも多大な経済活動による急速な地球温暖化で人類自らが愚かな事象での滅亡と核戦争による絶滅は絶対避けねばならない、もしETIが地球に到達した時、人類の築いた文明が跡形も無く消えていたら、遠い星から何万年も掛けて地球を訪ねてくれたETIに申し訳ないとおもうからだ。巨大隕石らの自然災害での絶滅なら諦めもできるが・・・・・さあ明日からエネルギーの消費を考えながら生きて行こうとおもった。