雲の美術館
2022/05/23
二度目の湖岸ポタリングでは琵琶湖上空の雲の美術館を久しぶりに楽しんだ。人間社会とは関係なしに自然が見せつける超自然的な美しさに言葉を無くした。でも人間社会では名もない人達のドラマが繰り返されているが誰も自分以外のドラマを詳しく知るすべもないが・・小説の世界では名もない人達の物語が紡がれている、僕はそんな小説が好きだ。中でも佐藤泰志の書いた物語は映像が浮かんで映画を見ている様だ。小説を再読することはあまりないが、佐藤泰志の書いた「海炭市叙景」を今再読しているが短編で構成された物語はどれも素晴らしいと読み進んでいる、僕の友人のシナリオライターのF氏は愛しいと書いて、かなしいと表現しているが、佐藤泰志の物語は正しく、愛しい(哀しい)物語で僕の心に残るのは言葉に無駄がなく市井に生きる名もない人達の暮しをリアルに感じられて、僕の住んでいる大津の町でも起こり得る物語だと今日も短編を一つ読んだ。
初夏を・・
2022/05/22
初夏を想わせる爽やかな青空が広がった琵琶湖を見ながら湖岸ポタリングを楽しんだ。今、マスクの着用問題がニュースで取り上げられているが琵琶湖岸では僕はマスクをしなくても良いのではと以前から思っていたから外国の様に自由意志にすればと思いながらテレビを消した。三井寺の境内も静で人影も疎らでマスクの必要はないと石段を上がる時は以前から外していた。境内を歩く人は2メートルを遥かに超えた数百メートルは間隔が開いている昨今なら大丈夫だとおもった。湖岸も安全地帯だが、殆どの人がマスクを着けて歩いているのは同調圧力?を感じているのかとおもった。僕も明日からマスクを外して朝の散歩を楽しもうと考えた。
トリミング
2022/05/21
僕の撮る写真は普通はトリミングはしないが、今日の写真の二枚はトリミングをしなければ湖畔通信にアップできないからだ。構図を決める余裕が在る時は撮った時点で写真は完成形だ。スナップショットでは瞬間的に構図を決めるより撮ることが優先されるから、動物写真も近づけば逃げられるからシャッター優先だ。猫は最近良く撮るようになったのは以前ほど猫が嫌いでなくなったからだ。今日は三井寺の料金所で時々見かける猫で、親子関係だそうだが餌に関しては先を争っているから人間とは違う?でも最近は人間も親子でも争いが多いから・・・畜生の世界と変わらなくなったと地球上で起きている紛争や戦争そして格差による貧困問題を見ていると地球上で威張れるほど人類もたいしたことないのではと思えてくるのは人間力の低下の兆しではとおもった。
爺は都へ
2022/05/20
午前中の湖岸ポタリングを止めて京都博物館で開かれている「最澄と天台宗のすべて」展を見に出かけた。久しぶりに都へ向かう気分は子供時代から変わっていない、一年に二回父が京都へ連れてくれるのが我が家の習わしだ。父に連れられて京都へ出かけるのは何か一つ好きなモノを買って貰うためだ、これが余り楽しくない、父は気が短く、買い物を迷っていると放っていかれるし、叱られるし、嬉しさ半分だが其の当時としては高級な玩具映写機やカメラを買ってくれた父への思い出は今でも複雑だ。電車の乗り換えもスムーズに行き45分で博物館へ着いた。コロナの影響で館内は空いていてゆっくりと鑑賞できた。中でも園城寺(三井寺 )の鎌倉時代に描かれた園城寺境内古図の前に立ち、14世紀の壮大な伽藍の様子を想像しながら今の三井寺の境内を比較した。現代では想像出来ないほどの大きな寺院だったと改めて三井寺の歴史の深さを考えた展覧会だった。都の博物館はスケールが違うと思いながら建物の周辺を眺めて、ため息をつくと、空から琵琶湖の声がした、大津は湖岸に出れば都では味わう事の出来ない大空間が広がる琵琶湖があるではないか、僕は都よりも大空間の広がる琵琶湖を目指して京阪電車に乗った。
写真データー
2022/05/19
最近、写真データーの整理を始めた。デジタルカメラで撮ったデーターはそのままパソコンへ、そしてハードディスクへと移して置いたままだった。一度ハードディスクの中を覗いてみて驚いた。写真の量の多さに加え無駄なショットの多さに呆れるばかりだ。データーの中から写真展や写真集に使えそうな写真を選ぶには時間がかかり過ぎるから大きな分類で始めようと此処数日パソコンの前で格闘中だ。6月の初めには大雑把に篩いにかけたデーターをハードディスクかSSDに入れようと考えている、でも其処から大変だ、千枚位に絞れるのはと考えると頭が痛いがやるしかないと今日もパソコンの前で写真データーの削除をしているが思ったより進まないのが現状だ。そして今後は闇雲にシャッターを押すのは止めてフイルムカメラの様に一日数枚写真を撮るだけにすれば後々の心配は無用だと思った。
追 湖畔通信の写真はMOROさんがデーターを管理整頓してくれているからと感謝した。今、三井寺の書院の「めぐる水」展の会場で流れている映像湖畔通信は一枚八秒の画像を全部見ようとすれば17時間掛かることが分かっているから・・・デジタル恐るべしとパソコンから離れた。