雲の劇場
2024/12/24
毎日の湖岸ポタリングで見る琵琶湖と上空の雲の様子を何時も雲の美術館と言っているが空の劇場と言った方が良いのではと考えた。刻々と移り変わる雲の姿は大空の劇場だと僕は思った。今日は浜大津湖岸から琵琶湖を撮って、15分後ににおの浜で琵琶湖を撮ると空の雲だけではなく琵琶湖の表情も変化していた。冬は数秒単位で変わる琵琶湖の風景は見飽きることがないとデジカメのシャッターを押した。そして夕方近く窓から空を見ると雲が少し赤く染まっていた。急いで自転車で湖岸へ向かった。湖岸から見る琵琶湖の北方は雪雲に覆われて上空の雲は少し赤く染まっていた。雄大な琵琶湖と空の風景を独り占めしているようで申し訳ないような時間を味わった。
浜大津港のユリカモメ
2024/12/23
浜大津湖岸から琵琶湖を眺めると比叡山や比良山の裾野は雪が見えた。北方は雪雲が覆っていた。今日は和邇の友人宅で忘年会の予定だったが数日前に大雪を予想して取り止めにして正解だったと雪雲を眺めた。港の桟橋の欄干に手を掛けて写真を撮っていると急にユリカモメが飛んできて欄干に整列して留まった。僕が餌でも与えると勘違いしての行動だ。餌を与える人がいるからだと思った。膳所公園では決まった時間にパンくずなどを与える人が来るその時間にユリカモメの群れが集まって来るそして数も多くいるからユリカモメを撮るなら膳所公園の方が良いと思った。
自然観察会
2024/12/22
休日の湖岸も冬場は人影も少ないが浜大津港の突堤のと近くで自然観察会の旗が見えた。近づくと数十人が集まって湖上を見ていた。水鳥の観察会ではと思った。少し先の湖岸では何時も一人で水鳥を観察している少年晴くんを見つけた。今日はお母さんと一緒だ、近づいて水鳥の状況を教えてもらった。ハシビロガモがいるよと場所を教えてもらって別れた。湖岸から水鳥の群れを探すも老人の目では無理と諦めた。沖合の彼方には水鳥の大群やユリカモメの飛翔も見られるが遠く過ぎて見ることが出来なかった。夕方も湖岸ポタリングに出かけ湖上の彼方の琵琶湖大橋から北方は雪雲に覆われている様子が確認できた。
湖岸の雀
2024/12/21
湖岸ポタリングで見かける水鳥も大群は沖の方に行ってしまい僕の望遠ズームでは撮れなくなった。今日は久しぶりに雀が群れていたので撮らせてもらった。雀は可愛い鳥だと改めて思った。そして一茶の有名な俳句を口ずさんだ「雀の子そこのけそこのけお馬が通る」は勉強嫌いの僕でも覚えている句だ。少年時代は町中の何処でも見られた雀が絶滅危惧種の候補と言われる時代になった。里山が無くなり、そして温暖化の影響で昆虫たちが少なくなって雀の食べる餌が少なくなったのも原因と言われている家の小さな庭でもチュンチュンと鳴く雀の声が聞けなくなったのは何時頃と記憶を辿るも定かではなく日常の何気ない事象が知らない間に消える怖さを知った。三井寺の花の句で有名な上島鬼貫も雀を詠んでいる「人に逃げ人に馴るるや雀の子」もあることをパソコンで知った。人の暮らしの中で愛されたスズメたちの姿が消えようとしている時代の悲しさを寒さと一緒に感じると明るい未来を想像できなかった。
久しぶりに都へ
2024/12/20
今日のお天気はイマイチで琵琶湖の寫眞も撮れなかった。午後は久しぶりに都へ・・京都の画廊マロニエで長男が参加している寫眞のグループ展HOW are you,PHOTO GRPHY?展を見に友人の清水さんのお孫さんと僕と4人で出かけた。京都河原町は外国人の姿も多く流石国際観光都市?とあまりの人の多さに驚いた。寫眞を紙焼きして大きく作品化することが少なくなった現代では画廊で見るぐらいになった。スマホで見る人が殆どで写真を紙にプリントをする人も少なくなり写真文化の衰退が心配だ。清水さん一行と別れて僕はデジカメで街をスナップ写真を撮りながら早坂バーへと向かった。小さなショットバーでバーテンダーと会話しながらウイスキーを楽しむのも京都ならではだ。今日は以前読んだ原田マハさんの小説「風のマジム」を読んで南大東島のラムが飲みたくなったからだ。バーテンダーの早坂さんが本の事にも触れてSNSに上げていたからきっとお店で南大東島のラムを飲めると・・やはり置いてあった。ラムとアイリッシュウイスキーを飲んだ。僕はウイスキーが好みだと再認識した。