花散って・・・蜃気楼のシーズン
2022/04/11
今日の三井寺は昨日の賑わいが想像できないほど静な佇まいで、江戸時代の俳人上島鬼貫が読んだ、花散りて また静なり 園城寺 の句のように境内では人の姿も無く鶯の鳴き声だけが響いていた。琵琶湖は蜃気楼のシーズンに入り、昨日は打出浜湖岸では蜃気楼を写真に撮る愛好家が集っていた。琵琶湖の眺望は春霞が掛かり蜃気楼をくっきりと見ることは出来ないが、望遠レンズで撮って見ると上方蜃気楼で琵琶湖大橋の橋桁が伸び何時もより橋が高く見え、辺りの建物も上方に背伸びしているような写真が撮れた。今日も蜃気楼が出ているが撮影には条件が悪く僕は撮るのを諦めた。でも湖岸には三脚にデジカメを装着した愛好家が数名見られた。打出浜から比叡山を見ると上空には巻雲が見えお天気は下り坂かと、久しぶりに観天望気を楽しんだ。
二枚目の写真は昨日打出浜から撮った上方蜃気楼です。
お花見シーズンも終わりに
2022/04/10
今年はお天気に恵まれて三井寺の桜も長く楽しめ、今日も朝から疎水、三井寺は賑わっていた。境内では、桜の花吹雪がお花見のシーズンの終わりを告げているように見えた。行き交う殆どの人はマスク姿でのお花見だ。一向に衰えを見せぬコロナウイルスの影響で此処二年間はお花見も自粛となって、寂しいお花見が続いたが今年は満を持してコロナの終息を待たずに、お花見が晴れて?解禁となり近くの名所は久しぶりの大賑わいとなった。一方、ウクライナでは戦火は止まず、其処に暮らす人達は大変な状況で春を感じるどころではないと思うと胸が痛むが、どうすることも出来ないが早く停戦になること願うしかないと青空を見るだけだ。
追 今日、知人から「生活と自治」4を頂いた。僕が最初に見るページは辺見庸さんの 新・反時代のパンセ だ。核戦争の可能性と国家の論理 を読んだ。ウクライナ侵攻について語っていた。我が国が1931年に中国へ侵攻したことと今回ロシアの行動も同じではと思った。そして戦争狂が最近姿を表すようになったとして注意喚起をこめて語っていた。最後の方では 気がつけば憲法九条を語る人も激減している。つまりはこの国があるべき「よりどころ」を失いつつあるということだ。・・・読み終えて、これからは、注意して我が国の政治にも目を光らせねばと思った。
坂本へサイクリング
2022/04/09
三井寺の散歩、湖岸ポタリングも午前中に済ませ、写真も其れなりに撮れたので昼食後、ぼんやりと寝転んでいると窓から差し込む春の光に誘われて思わず立ち上がった。目的は無いがとりあえずクロスバイクの小さな前かごにデジカメを入れ、首にはライカを下げて玄関を出ると自然に坂本方面へ自転車を向けた。午前中に撮った写真も三井寺と湖岸では代わり映えしないから目的は写真を撮ることだ。国道161と県道の間を走る道は車も少なく自転車は安心して走れた。以前は坂本のクリニックへは自転車を利用していたが、最近は電車で向かう事が多くなった。何よりも予約時間までにクリニックに到着するには早く自転車を走らさなければならず気ぜわしい事もあったからだ。今日はのんびりとペダルを漕ぎながら彼方此方見ながら被写体を探しながら坂本へ向かった。坂本で有名な薬樹院の枝垂れ桜は既に花を落としていたのが残念だった。久しぶりにカメラを二台首に下げると仕事をしているような感覚になった。デジカメとフイルムカメラでは撮り方が違うから交互に撮っていると、デジカメに馴れた手がフイルムの巻き上げを忘れること無く自然に動いた。右手親指にかかる巻き上げレバーが心地よく音を響かせると懐かしいカメラ小僧の時を思い出してきた。
花まつり
2022/04/08
4月8日は、お釈迦さの誕生日で仏教寺院では花まつりが行われ、釈迦像に甘茶をかける習わしで三井寺の金堂にも小さな釈迦像が祀られていた。境内のサクラも散り始めて、行く春を惜しむ人が多く訪れて三井寺も賑わっていた。午後は友人のMOROさんが5月から始まる、友人の陶芸家Oさんとの二人展に使用する映像(写真)を確認するために来てくれた。写真一枚を8秒で見る設定にしてくれたモノをパソコン出力でモニターで見ると意外と楽しく見られた。MOROさんの音楽が静に流れる中で次々と変化する写真を見ていると以前に撮ったモノなのに新鮮に感じられるのは枚数も多く、デジタルカメラで撮っているから僕の記憶からは消えているからだとおもった。そしてパソコンに入っている写真を全部見ると何時間ぐらい、掛かるのかと、MOROさんに聞くと17時間は掛かると聞き驚いた。僕が毎日撮った写真が6年間(湖畔通信掲載)分を見ようと思うと時間が掛かるが展示会では写真は一枚八秒で変わり続ける時間の流れだと思えば、好きな時間だけ立ち止って見ていただければとおもった。
児童文学書 「モモ」
2022/04/07
今読んでいる小説は「モモ」1973年(ミヒャエル・エンデ)は児童文学書として有名だ。「モモ」を見つけたのは近くの中井書店で本を探していると新刊本の脇に少し草臥れた本が目に留まった。モモの字に誘われて手に取ると時間どろぼう、の見出しに興味を持ち読もうと思った。店主のNさんが棚ずれ品だからと安くしてくれた。本を開くと児童文学書と直ぐに分かった、字はひらかなが多く、漢字には全てふりがなが付けられていた。最初は,漢字が苦手な僕だが、ひらかなが多く読みづらかったが物語の面白さと奥の深い内容に引き込まれるようにしてページを繰った。少女モモを中心に進む物語は簡単そうで難しい人間関係の話は今、世界で起きている戦争のことや社会の不条理にもふれているように思えて、いろいろ考えさせられる事も多く、まだ途中だが、児童文学も読み応えがあり、国語の苦手な僕が小学生や中学生だったら読んでも理解も出来なかったのではとおもった。慌ただしく暮らす大人たちの社会で起きる様々な不条理や格差問題にもふれながら生きる事の楽しさや難しさを語る小説を読んでいると、映画「モダンタイムス」1936年チャップリンとゴダールの「アルファヴィル」1965年の作品は何れも現代文明社会を痛烈に批判した映画で今の時代でも通用するのではと思い出してきた。まだ「モモ」も途中だが、便利な時代の中で失ったものは何かと考えると、長閑な時間の中で暮した不便な時代の中に大切なものの多くを忘れてきたのでは思いながら「モモ」を閉じた。

















