児童文学書 「モモ」
2022/04/07
今読んでいる小説は「モモ」1973年(ミヒャエル・エンデ)は児童文学書として有名だ。「モモ」を見つけたのは近くの中井書店で本を探していると新刊本の脇に少し草臥れた本が目に留まった。モモの字に誘われて手に取ると時間どろぼう、の見出しに興味を持ち読もうと思った。店主のNさんが棚ずれ品だからと安くしてくれた。本を開くと児童文学書と直ぐに分かった、字はひらかなが多く、漢字には全てふりがなが付けられていた。最初は,漢字が苦手な僕だが、ひらかなが多く読みづらかったが物語の面白さと奥の深い内容に引き込まれるようにしてページを繰った。少女モモを中心に進む物語は簡単そうで難しい人間関係の話は今、世界で起きている戦争のことや社会の不条理にもふれているように思えて、いろいろ考えさせられる事も多く、まだ途中だが、児童文学も読み応えがあり、国語の苦手な僕が小学生や中学生だったら読んでも理解も出来なかったのではとおもった。慌ただしく暮らす大人たちの社会で起きる様々な不条理や格差問題にもふれながら生きる事の楽しさや難しさを語る小説を読んでいると、映画「モダンタイムス」1936年チャップリンとゴダールの「アルファヴィル」1965年の作品は何れも現代文明社会を痛烈に批判した映画で今の時代でも通用するのではと思い出してきた。まだ「モモ」も途中だが、便利な時代の中で失ったものは何かと考えると、長閑な時間の中で暮した不便な時代の中に大切なものの多くを忘れてきたのでは思いながら「モモ」を閉じた。
花疲れ
2022/04/06
今朝も近くの鹿関橋の上には多くの人を見かけた。疎水堰堤の桜は橋からトンネルへ向けて咲いていて、誰でもが遠近法的な視覚で写真が撮れる場所で、人気スポットだ。スマホで撮る人に混じって本格的なデジカメのカメラマンも多く見かけ、日本のカメラ産業を支える人達だとエールを送りたくなった。カメラ産業はスマホのカメラ性能が向上した所為で最近ではコンパクトデジカメを使う人を見なくなった。高級デジカメとスマホが今の写真界を制覇したのが現状だ。僕の好きなフイルムカメラの時代は終わったと橋上で写真を撮っている人達をフイルムカメラで撮った。三井寺の桜も満開、湖岸の桜も満開と、何処を見てもサクラ、サクラで少し最近花疲れではとおもうこの頃だ。
一枚目は三井寺で大型バスをコロナ三年目の今年は多く見かけるようになった。二枚目は打出浜のオオシマザクラが、ほぼ満開となった。三枚目はフイルムカメラで撮った写真です。
三井寺へ向かう車の・・・
2022/04/05
三井寺へ向かう車の渋滞を見ていると、以前ニュースで見たウクライナから燐国へ避難する人達の車が渋滞する映像をおもいだしてきた。此方は観光地へ向かう車で帰ることを約束されているが、彼処・・ウクライナでは難民として燐国へ向かうのは命からがら身一つで帰る約束などない車の渋滞だ。夕食後、三井寺へ向かう車のテールライトを見ていると胸が詰まってきた。まだ停戦の見通しもつかない状態の中での一般市民の過酷な状況が一刻も早く終息することを願った。今、読んでいる「人間不平等起源論」はルソーが18世紀に表した書物の中には人間の多くの欠点とも取れる事柄が誰にでも分かる言葉で記されて、読んでいると文明の悲惨さが伝わってきて虚しくなるばかりだ。此れでもかと言うほど便利になった現代生活が幸せかと聞かれれば幸せだとは言えないのが現状だ。本の中では戦争の惨禍にも書かれていた、中でも印象に残った部分を少し書き出した・・・「きわめて誠実な人々も、同胞を殺戮することを自分の義務とすることを学んだのである。ついには何千もの人々が、理由も分からずにたがいに殺しあう事態となった。わずか一日の戦闘で死んだ人の数が、自然状態において全地球で数世紀にわたって死んだ数を上回るようになった。」を読んだ時、今から二百年以上も前に書かれた本の時代から進歩していない人間はいかなるものかと・・考えるも僕には答えなど浮かぶ筈がないが・・本の中にも出てきた、自然人や野生人のままでホモ・サピエンスが進化していれば戦争も無かったのでは思いながら、パソコンの前に佇む自分は何者と考えるが・・答えなど出るはずがないと・・・手を止めた。
百人一首
2022/04/04
昨日、友人と言っても大先輩で、今闘病中のOさん・・Oさんに変わって奥様(書家)の代筆での手紙を頂いた。和紙に書かれた美しい毛筆の手紙を読むのは初めてだ。以前、友人の装丁家Yさんが巻紙に手紙を書いている姿を見た事と時代劇のシーンでしか毛筆の巻紙に書かれる光景を思いだす、ぐらいが僕の浅はかな知識だ。手紙を広げるも、読めない?と少し戸惑いを感じた。ひらかなに漢字が交じる美しい文字に感心するも読むことが難しかったが最後に百人一首と書かれていたが百人一首の「かるた」など60年前に彦根の従兄の家で遊んでから耳にも目にも触れていない百人一首の歌詞など浮かぶ筈がないと諦め手紙の本文を読んだ、綺麗な文字で分かりやすく書かれた毛筆の文字は難なく読めた。手紙の内容はベッドの生活の中で僕が時々送る、写真ハガキの湖畔通信に対するお礼の手紙だった。手紙は読み終えたが百人一首がと頭を巡らせ、パソコンで百人一首を検索した。手がかりは、最初の、いにしえの、と読めなくもない字と八重の文字が入っている歌を探すと、見つかった。いにしえの 奈良の都の八重桜 けふ九重に にほひぬるかな 伊勢大輔の歌である事が分かった。そして改めて、手紙を広げて、百人一首の書かれた綺麗な和紙に書かれた歌詞を読むと、僕の経験したことのない世界の難しさと楽しさが感じられた。そして便利なパソコンに改めて感謝した。何時も何かと便利な時代を批判している自分が恥ずかしくなった。
写真二枚目はフイルムで撮影した写真です。同じ場所で同じ時間に撮ったデジカメと比べると、僕の選ぶのはフイルムの方だった。空気感が違うからだ。ただそれだけ・・・・
火星移住?
2022/04/03
今朝、新聞を読もうと朝刊を探すとカラー刷りの朝日新聞、グローブが目に留まった。朝刊はカラー刷りのグローブに挟まれていた。本誌よりも脇役(グローブ)が主役に変わったのかと新聞の未来を垣間見た気分だ。火星移住の文字に誘われ一応読んだ。赤い土に覆われた大地は火星?最終的に何百万人の人を火星に送り、そこから他の星を目指す遠大な計画を読んでいると、以前に見た映画「メランコリア」2011年(ラース・フォン・トリア監督135分)を思い出した。映画は巨大惑星が地球に接近、最後は衝突へと向かう過程での人間の心理や行動を描いた映画は映像も素晴らしく僕の好きな映画だった。今日もパソコンで「メランコリア」の情報を見た。大方は僕の記憶と変わらなかった。ただ最後に女性が語った言葉が、蘇った、「地球は邪悪よ消えても嘆く必要はないわよ」・・そのご三角形の形をしたパワースポットに入り衝突を待つシーンが印象的だった。地球外へ人類の存続を求めて止まない人類の浅はかな夢など、惑星の衝突で消えてしまっても宇宙から見れば大した事でもないとおもった。寧ろ映画「メランコリア」のように清く僕は惑星の衝突を待ちたいと思う方だ。

















